馬の調教師の先輩と・・・🐴
今回は乗馬の予定はありません
のんびりとお話してきました
行ってみたい場所があり
深浦水雷艇隊基地跡
長崎県対馬市美津島町竹敷に位置する深浦水雷艇隊基地跡は、
対馬の一大軍事拠点の一部であった。1886年(明治19年)、
浅茅湾南部の竹敷港に水雷施設部が設置され、海軍艦隊が出入りするようになった。
日清戦争に勝利すると竹敷軍港の艦隊根拠地としての重要性が一段と高まり、
竹敷海軍要港部は1896年(明治29年)~1912年(大正元年)までに日本海軍初の要港部として設置された。
現在は海上自衛隊 対馬防備隊基地として利用されている。
日清戦争において、海軍大尉・鈴木貫太郎
(のちの海軍大将・侍従長・第2次大戦終戦時の総理大臣)は
水雷艇長として竹敷の深浦水雷艇隊基地から出撃、
清国威海衛の戦闘や対馬沖海戦では大活躍し、多大な貢献をした。
深浦水雷艇隊基地跡は石ドックとなっており、石積みの完成度の高さ、曲線を利用した技術の高さ、
保存状態の良さから、近代遺産として誇るべきものである。
石ドックのうち、公用地に面する203mが認定対象となっているそうだ~
和多都美神社の先にある元嶋神社
調べてみると・・・https://www.buccyake-kojiki.com/
元嶋神社(もとしまじんじゃ)は、
対馬市豊玉町唐洲にある神社。妙見社、妙見神社とも呼ばれ、字は妙見。
創祀年代は不詳。上対馬の南西側に突き出た、唐州の妙見崎に鎮座する。
創祀年代は不詳。上対馬の南西側に突き出た、唐州の妙見崎に鎮座する。
この妙見浦は風待浦で、緊急の避難地として有名だという。
また、外冦に際してはいつの時も要衝の地になりえた。平時は海上安全の守護神として崇敬されたという。
『延喜式』写本により、「大嶋神社」「本嶋神社」の二通りの表記がある。
また、外冦に際してはいつの時も要衝の地になりえた。平時は海上安全の守護神として崇敬されたという。
『延喜式』写本により、「大嶋神社」「本嶋神社」の二通りの表記がある。
また、『大小神社帳』には、唐州北辰妙剣社の祭神は不詳とあり、『神社大帳』には、百済の第三皇子である琳聖太子としている。
古代から半島・大陸と日本本土を往来していた対馬の船人たちによる、北極星や北斗七星に対する信仰に根付いたのかもしれない。
神職家は阿比留家で、対馬大掾の裔だという。室町時代の応永2年(1395年)、命を受け、阿比留政行が祭祀を務め、現在までに30代を超すという。
歴代の国主が崇敬した古社で、祭費はすべて国主がまかなったという。
なお、式内社「大嶋神社」の論社は他に、豊玉町仁位の和多都美神社、権現島、上対馬町豊の島大國魂神社・那祖師神社がある。
【ご利益】
水難除け、海上安全、武運長久・勝運
古代から半島・大陸と日本本土を往来していた対馬の船人たちによる、北極星や北斗七星に対する信仰に根付いたのかもしれない。
神職家は阿比留家で、対馬大掾の裔だという。室町時代の応永2年(1395年)、命を受け、阿比留政行が祭祀を務め、現在までに30代を超すという。
歴代の国主が崇敬した古社で、祭費はすべて国主がまかなったという。
なお、式内社「大嶋神社」の論社は他に、豊玉町仁位の和多都美神社、権現島、上対馬町豊の島大國魂神社・那祖師神社がある。
【ご利益】
水難除け、海上安全、武運長久・勝運
対馬も桜が満開で綺麗でした~
今日も来てしまいました
今日は穴子とざるそば
出港までまだ時間が少しあるので、
対馬藩お船江跡へ
今回は計画は無く、ゆっくりと過ごせました
ありがとうございました
次回は馬🐴
博多港に着く
無事に大橋に到着・・・
その後、車運転して、学術大会のアクロス付近のコインロッカーへ
スーツと靴を取りに行きました
1日終了お疲れ様でした
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