「 最小の努力で最大の効果 」
と聞くとちょっとしか頑張らずに効果だけは最大だなんて少しズルいのでは?って思っています方もいらっしゃることと思います。
まぁ、当然かなとは思います。
しかし!!o(`^´*)
私が考え、座右の銘にしている「 最小の努力で最大の効果 」とは!(笑)
時間の無駄、金銭面の無駄、健康管理の無駄、等々の無駄に対して効率の良い一番を目指す(o≧▽゜)o
ということです(笑)
たとえば、何か必要なものがあるというときには同じ場所に整然と並んでいたならサッと考えることなく取り出せます。
脳の中のキャパに考えなくてもできることが増えると、新しい何かを取り入れるキャパが増える(あくまでも私がそう思っているだけです(笑))ような気がするからです(*´ω`*)
義母が倒れてもうダメですと言われたときに考えたこと。そこからの回復ぶりに考えたこと。今、とりあえず状態は落ち着いている、ということに考えたこと。
目まぐるしく動く現実に、その日その日での対処を求められそれらをこなすことで精一杯だった日々ももう過去の話になります。
義母は4人部屋で過ごすことができるくらいの回復ぶりです。
最近はお見舞いに行くと目は開いております。「 起きているの? 」と声をかけると視線が動く気がします。
しかし、それが分かっていての反応なのか、単なるいつも動いているよ〜の反応なのかは義母本人の口からは語れないので確認のしようがありません。
4人部屋と言っても似たような状態の方々との毎日です。本当に分からないのであればむしろいつもきちんとケアしていただけている様子なのでかえってしあわせなのかもしれません。
しかし、様子は分かっているが自分では伝えることも出来ずにいるという状態なら?と思うと切なくなります。
どうしてそう思ってしまうのかと言いますと、お見舞いに行き声をかけると目を開けて動かす・・・ような気がする・・・。
それが私の気のせいなのかどうか分からないでいたつい先日にお見舞いに行きやはり声をかけると・・・。
今度は一度も見たことのない指先を動かしたのです。
モソモソと動かしただけですが、それは入院してからは見たことのない様子でしたから、驚いたのと同時にまた「 本当は気がついているのでは?」という思いがよみがえります。
どちらにしても私たちは今できる精一杯をしていると思うので、それはもう義母の人生であると考えるしかありません。
自分の人生もどうなるかなんて分かりません。
しかし、義母から学んでいることはとても大きいことのように感じます。
毎日はあっという間に過ぎてしまいます。本当に最近は特に早く感じます。
やらなくてはならないことや、やりたいことはたくさんあります。
今まで義母に付き添って何時間も病院で待つ。
病院に行く時間はもったいないと考えるようになりました。
ただし今までの生活をただただ続けていたらの結果、身体に何らかのサインがあれば、(たとえば血圧の数値200越え・・・(^-^;)とか)そこを改善することを考えなくてはなりません。
病院に行き薬を処方してもらうのもよろしいかと思うのです。ただし病院の先生はほぼほぼ言うと思います。
生活の習慣を改善してくださいね。
なので、時短のため病院には頼らずに生活習慣を改善するための「 最小の努力で最大の効果 」ってなんだろう(´・ω・`)
と突き詰めているわけでした(笑)
なので「 最小 」を突き詰めるための努力はやっているわけなのですよσ( ̄∇ ̄;)
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