先週、引き取って十年、倒れてずっと寝たきりになり四年の義母が旅立ちました。
今年の春から頻繁に、職場にも病院から電話が来るくらい切迫した状態でした。
このご時世です。
ずっとお見舞いも行けない日々が続いておりましたが、今年の春から病院側からお見舞いに来ても良いと言われました。
今年の4月です。
条件的には二人まで、時間は5分程度、平日の9時5時の時間帯で。
それでも本州から飛行機で息子が会いに来て、検査で大丈夫なことを確認してから5分顔を見て帰りました。
他の息子は平日だから行けない、と言うので私が会いに出かけました。
今までで一番しんどそうでした。
その頃はもう少しで結婚式を控えており、その時義母に「 あまりしんどいなら仕方ないけど、もう少しで結婚式があるからできたらそこまでは頑張って欲しい 」と伝えました。
「 もし滞りなく結婚式が済んだら、必ず「 ありがとう 」って言いに来る 」とも伝えました。
その後少しまた落ち着いた状態になりましたが、再び今度は結婚式の前々日に「 意識障害を起こし、いつ何時夜中でも連絡が行くこともあり得ますので 」と病院から連絡がありました。
つらそうに頑張っている人にもう少し頑張って欲しいと言うのは大変つらいけど、後二日でしたからもう少し、もう少しと祈るような気持ちでした。
前日の夜からもう何かあっても決行すると覚悟を決めて、病院からの連絡は結婚式当日の15時までは弟のところに引き受けてもらうように病院側に伝えました。
無事に結婚式がお開きとなりました。
その後はパッタリと病院から連絡が来なくなりました。
連絡してみると状態が少し落ち着いてきた、と言います。
しかし、もう流動食も取れなくて、点滴のみなので相変わらずいつ何時にという状態には違いありません。
結婚式から数週間の先々週のこと。
「 また意識レベルが低下しているので、今度は人数は制限しませんので、5分程度ですが、お見舞いにいらしてよろしいです 」と言われて今度は息子たちもお見舞いに行きました。
人数制限がなかったので、私も結婚式が無事に済んだことの報告に向かいました。
「 頑張ってくれてありがとうね 」
すると義母が目をカッと開いて(◎-◎;)
何か口をパクパクさせているではありませんか!(;゜∀゜)
え?(;゜∀゜)
「 何か言いたいことがあるの? 」
パクパクさせて、呼吸器がズレていきます。
え?(;・∀・)
「 聞こえないわ、おばあちゃん・・・ 」
その時、まだ会いたい人がいるのかなってふと思ったので。
帰りに看護師さんに「 兄弟や姉妹の親戚が近くなので会わせてあげてもよろしいですか? 」と尋ねるとたまたま担当の先生も状態の説明にいらして(・_・;
「 同じ条件で時間も5分程度で良ければよろしいです 」と言われて早速お電話すると、次の日に顔を見ることができた、ありがとうと義母の妹さんからお電話をいただきました。
妹さんがお見舞いできたのが先々週の金曜日のこと。
明けて月曜日、本当は子どもの用事で出かける予定でしたが、何故か体調を崩して中止して。
それならと先にいろいろやらなくてはならない用事をやり終えて、片付けも終わって「 今月は早めに終わったな 」ってホッとしてちょっと一休みしようとスマホを手にしたちょうどの18時。
電話がかかって来ましたのですぐに取ることができました。
急変したのですぐに来て欲しいと、何分で来られるか?と。
え?(;゜∀゜)
20分にはそちらに行けると思います。
着いたときにはもう・・・。
夕方の病院スタッフの交代の時間帯で、17時50分の時間には変わりなかったとのことでした。
本当に「 もう行くわ 」的にふわーっと旅立ってしまったおばあちゃん。
いかにも義母らしい。
先々週に直接ありがとうを伝えることができたし、息子の顔も自分の姉妹の顔も見れたし、ちょっと安心したのでは?とふわーっと思っていたので。
覚悟はしていたけど、長かったけど、突然だったなぁという気持ちもありました。
頑張りました。
もう頑張らなくてもいいよ。
ピンクの装束でピンクの口紅で旅立って行った義母らしい最期でした。
息子は最期にピンクを着せてあげたんだ。
てか、白じゃなくてもいいんだ(◎-◎;)
不謹慎ですけど、本当に内々だけのほっこりとしたお式となり、彼女なりに幸せだったのでは?と思ってしまいました。
本当に長い間、お疲れさまでした。
お互いの健闘を讃え合いましょ( ´∀`)
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