初めて馬産地を旅したのは1991年の夏でした。そしてツアーバスが最初に停車したのが、新冠町農協畜産センターだったと思います。
「あ、ヤエノムテキだ!」この年から、スタッドインしていました。
ぶひぶひぶひ~~~!1985年4月11日に生まれた彼は、当時6歳。ぴかぴかの体で厩舎の中にいました。
当時はフィルムカメラでしたが、何枚か写真を撮ったかどうか、記憶にありません。ただ、畜産センターという名前の所にいたことが、ちょっと不思議な気がしました。
初めて見たスタリオンがヤエノムテキで、ちょっと怖かった。。。
同行していた母に、「これが岡部さんを落としたムテキだよ!」というと、「白いソックスが綺麗ね~♪」と喜んでいましたっけ。
時は流れました。。。
その後、ムテキのシンジケートは解散となり、消えてしまったかと思っていたら、ムテキ会が作られ、最後までムテキを守りとおしました。たまたま私の友人がメンバーで、会いに行った様子を見せてもらいましたし、その後、ムテキが大切に大切にされていたことは、最後まで耳にしていました。
近くに引っ越して来たし、生活も落ち着いて来たので、そろそろムテキに会いに行こうかな?と思っていた矢先のこと。
ムテキは天に召されました。
縁あって、長年、ムテキを愛し訪問し続けたファンの方とお近づきになり、このたび、写真を分けて頂きました。ムテキを愛するたくさんの方に見て頂き、思い出して頂ければとここに公開します。
元祖イケメン。
立ち姿も美しい。。。
眠いね?
お客さーん、ニンジンは?
ムテキちゃん!
はい、何でしょう?
寒くてもゴロゴロ必須!
もう帰るの?。。。
そして2014年3月28日、星になりました。
あなたの馬生は、なかなか良いものでしたね。人間は、悪くなかったでしょう?
これまでに競走に送り出した177頭のうち116頭が勝ち馬になり、457勝をあげているそうです。立派です!
どうか安らかにお眠り下さい。
ムーちゃん、と勝手に呼んでいました。
初めて北海道に馬を見に行った時、ヤエノムテキもスタッドインした年でした。
荒っぽくって懐っこくってかわいいムーちゃん。
翌年だったかその後だったか…
まだ新冠の畜産センターにいましたが、見学禁止になっていました。
仕方ないので、畜産センターの横の道路から遠くのムーちゃんを見ていました。
そしたら!
あんなに遠いのに「ボクを見てる?」みたいな感じで、ムテキも身体ごとこっちを向いて、じっと見つめあったのを覚えています。
コメントありがとうございます。
私が初めて馬産地に来て初めて見たのがヤエノムテキで、厩舎の中で、ぶひぶひ騒いでいましたから、「こんな怖い動物を見て回ってどうするんだろう?」と少なからず不安に思ったことを思い出しました。
当時は、母が申し込んだツアーに連れて行かれた、、、という感じでしたから。。。
ムテキ君は、きっと人間に対するアピールが上手だったのでしょうね。
Wikipediaによれば、引退式も提案されたのに、「気性の悪さ」を理由に調教師がお断りしているそうですから。。。見学禁止の理由も、そのあたりだったのかな?
個性派イケメンの元祖みたいでした。
今ではオルフェーブルの印象が強いのですが、あの頃はかなり目立ってましたよね。ただオグリ世代主役は持っていかれたけど、ファンの心はムテキさんから離れませんでした。やんちゃで引退レース放馬しちゃったけど凄い記憶に残っています。
幸せだったかな?ムテキさんの幸せが守ってくれたみなさんの幸せだったと思います。
空の上からみんなを見守ってて下さい。
一回しか会いに行けなかったのが残念やわ
久しぶりにムテキ会の会員向けのblog「Muteki☆通信」見てたら、なんか涙がこぼれちまった
最後の有馬記念で岡部騎手を振り落とし、自ら引退式をやってくれた姿を忘れられない。
調教師さんが放馬後のムテキの顔みて「こいつ、もう一仕事終わったっていう顔しとる」って言ったとか。
四泊流星ならダービー馬のメリーナイスも同じ。でもムテキは見た目以上に個性が強烈やった。
岡部さんが「人間に甘やかされて育った馬」って評してたからね。
ほんとに人間の愛情をたっぷり受けて、大事にしてもらって、恵まれた馬生だったよね。
ムテキのように一頭でも多くの馬が幸せな馬生を送れるように願うばかりだ
正真正銘、生涯、幸福馬でしたね。岡部さんが乗っていたことも幸運です。あの時代に、サポーター会が作られて、ちゃんと今日まで機能したということは、尊敬に値します。会の皆さん、会の代表の方には、心から敬意を表したいと思います。
大切にしていた一頭だから、そりゃ、思い出すと泣けますね。
ムテキ君みたいな生涯幸福馬が、増えますように、と、私も祈ります!