北国の小さな家の大きな家族 "Happy Horse Inn"

競走馬、乗用馬のふるさと北海道の馬産地で、家族として暮らす二頭のサラブレッド様子を中心に発信しています。

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馬を迎えるという責任

2015年03月21日 | マイネルスプレモ

スピ君との日々、前後篇を読んで頂いた方には、おわかりいただけたかなと思いますが、馬を競馬場までお迎えに行き、人のために活かすためには、色々なことが必要になります。

 

私がスピ君を連れて横浜を出る時に、最優先にしたことは、馬の獣医さんと装蹄師さんに困らない場所に行く、ということでした。必然的に、競馬場、トレセンの近く、、、しかありません。福島は震災の後の混乱もあり、馬産地へ、という流れになりました。

 

これからも、OTTB=競馬場から引退してくる馬をひきとる方がいらっしゃると思いますが、経験者の立場からお願いしたいことは、「馬の状態を理解してから、次の仕事の内容を決めてやってほしい」ということです。

 

競馬場から、5歳、6歳という若さで引退してきて、いきなり養老牧場は。。。私の選択肢にはありません。養老牧場にはいるということは、自分のためだけに生きる、ということになります。多くの人をハッピーにする=仕事をしてもらうためには、乗馬施設や観光施設に行くことになると思います。しかし、馬体の状態をよく理解せずに馬に過剰な要求をすれば、早く死なれてしまうことになります。

 

私が考える、引退馬をひきとる時に必要なことを列記します。こんなことを書くと、「あんた何さま?自信満々であほか?」と言う人、いますよね。書くのは、自信が無いから書くんですョ。いろんな人から、アドバイスや批判をもらいながら、より良い道を選んできた9年間でしたからネ!


(1)健康診断:レントゲンによる骨折の有無や関節の劣化具合の確認と、血液検査による、潜在的な病気の可能性を確認すること。


(2)ひきとり時の健康状態から、どのレベルまで馬に求めることができるかを、最初の段階で把握し、新馬調教に活かすこと。


(3)週末に通える距離の施設で新馬調教をすること。調教の進捗状況を確認し、トレーナーに注文を出したり、目的に応じて施設を移動します。


(4)調教期間に情報収集をし、調教後どこで働くか、就職先を交渉したり、確保すること。(半自馬として乗馬クラブで働く、など)


(5)長期的なライフプランを設計し、体調の変化に応じて、臨機応変に対応できるようスタンバイすること。


ーーーーーーーーーー

各項について、補足します。

(1)私見ですが、健康診断なくして、馬に調教をつけるべきではないと思います。馬は、外から見るだけではその健康状態などわかりません。スピ君も、JRA時代にトレセンのクリニックで頻繁に治療を受けていたそうです。(詳細は不明)このことが判明し、新しい馬主さんは、スピ君を諦めて引退~売却して下さいました。


(2)(1)で確認した馬体の状態から、プレジャーホースか、競技まで要求できる馬かを最初に判断しないと、馬を壊すことになります。スピ君は、「せいぜい3課目か90cm程度を限界とする障碍」と言われて新馬調教を始めました。

スピ君は、とても真面目で、教えられたことをすぐに覚えるため、トレーナーは教えるのが楽しくなり、次から次へと新しいことを教えました。2か月目には「ヨコアシや踏歩変換の練習をしている、セントジョージも目指せる」などとお世辞を言われ、その気になってしまいました。

預託しているトレーナーは、100%、おだててくれると思います。気持ちよく預託してほしいでしょうし、出て行かれたくないから当然でしょう。お世辞やおだてにのって、新しい運動を詰め込むことは馬体を壊すことになりかねませんので気をつけましょう。


(3)遠方で新馬調教をすることは、お薦めしません。今何をしている、馬体はどうか、そういったことを自分で確認しながら、軌道修正を適宜かけてゆくほうが安全です。スピ君は、半年~1年かけてゆっくり体を作り、3課目程度までと言っていましたが、2か月でヨコアシもOKというレポートを頂き、有頂天になっていましたが、いろいろな方からアドバイスをもらいました。「時間をかけて無理なく体を作ると言っていた最初の考えはどこに行ったのか?」と。そう、おだてられて我を忘れて、どんどん詰め込むことに夢中になっていました。

クラブを移動して、リセットしました。


(4)(5)就職先の確保とライフプラン。スピ君は、当初、私が通っていた乗馬クラブに半自馬として置かせてもらいながら、先先は、練習馬として障がい者乗馬などに活用して頂き、年老いた時にはひきとり、養老牧場にいれるというライフプランを立てていました。

そのため、練習馬という厳しい仕事に耐えられるかを確認する、新馬調教の仕上げとして、競技会に使った後、体調が戻らないスピ君を見て、「練習馬として使える体は残っていなかった」ということに気付きました。そのため、ライフプランを変更。「私自身のプレジャーホースとしながら、ゲストハウスに集う人達を癒す」というキャリアプランとなりました。

さらにインターネットの時代ですから、その様子をネット配信することで、見る人が癒され、ほっとし、くすっと笑い、えっと驚く。まるで自分がスピ君と戯れているかのような体験をして頂くことで、たくさんの人のハッピーにつながることがスピ君の仕事、としたわけです。


馬は見れば見るほど、つきあえばつきあうほど、かわいいですし、超大型犬のような錯覚をすることもありますよ。それを疑似体験して頂くためには、頻繁に情報を発信することだろうと考えました。


予定外だったのはプーちゃんが来たこと。プーちゃんが愛らしく、また、日々、進化することから、すっかり主役をプーちゃんに奪われた感じのスピ君ですが、毎日、ブラシで泥を落としながら、「長いつきあいになったねー。」と話しかけます。するとブルっと鼻をならし、「またその話し?オイラに感謝してほしいの?」って不満そうな顔しますよ。


9年間を振り返ると、(3)までは、ぶれずにうまくできたと思います。ただ、スピ君の体が想像していた以上に悪いことにもっと早くに気付けばよかったと思います。途中、「魔法の薬」を使用して動きがよくなった時にも、また、我を忘れてしまい、より高度な運動を求めた時があります。しかし、薬が効いて痛みを忘れてよく動いた後には、怖いリバウンドが待っていました。その時に、覚悟を決めました。「プレジャーホースとして活かそう」と。


20回も50回も競馬を走った馬は、無傷ではありません。スピ君は右肩を傷めていて、右前脚に荷重することを嫌います。右に小回りを要求すると「いやだー!」と爆発します。右を内側にしての荷重が苦しいから馬は逃げようとします。そういう行動から、馬が抱える問題を見つけ出さないといけません。馬体の問題を理解し、それ以上悪くならないよう、配慮して運動させる必要がありますよ!


9年間でたくさんの経験をしました。おだてられて木に登った豚のようになった時期も幾度かありました。今の自分なら、蹄裏のクリーニングで足を上げさせる時の馬の踏ん張り具合で、「この足が痛い」とか、「肩が悪くなってる」と感じることができますが、8年、9年前の自分は、無知でした。獣医さん、装蹄師さんがついていて下さったので、大きなミスにはつながりませんでしたが、彼らがいなかったら、スピ君をもっと厳しい状況に追い込んでいたでしょう。今、生きていなかったかもしれません。。


これ以上壊れないように、それが今の私の責務だと思っています。


 



●3月19日木曜日の夜飼いの様子


●3月20日金曜日のおはようさん♪

 

 

●3月21日土曜日のおはようさん♪

 

 

●3月21日、ランチでのバケツとり戦争!

 



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スピ君(マイネルスプレモ)との日々~後編

2015年03月04日 | マイネルスプレモ

■馬をどう維持するか

馬一頭を最後までめんどうみるのにかかる費用は、大きな邸宅を建てるほどの予算をみないといけません。

スピ君への私からの約束は、「良い乗馬クラブで生きてゆけるように良い調教をつけ、3課目程度の運動がこなせるようになったら、乗馬クラブに譲渡し、引退時にはひきとり条件で、養老牧場にいれてあげる」というものでした。


■目的に合わせた預託先

2008年には、将来、スピ君を譲渡するつもりだった自宅から近くの乗馬クラブに自馬としての移動が決まり、入厩料も支払いましたが、いろいろなことが発覚し、入厩を断念。母の病状も進行する中、「いつまでもスピ君をまるががえしていられない、早く独り立ちをさせなければ!」と考え、仕上げとして、競技会に連れて行くことを目標としました。


茨城のクラブでは、競技会に対応できないため、新天地へと移動しました。

「え?」


「どこさ行ぐだぁ?」


■馬は従業員、というクラブ

「移動しましたー。また埼玉に戻ったよ。」

自馬専門クラブと異なり、日中、多くの会員さんが出入りします。そういったせわしない環境にも慣れてもらわなくてはいけません。

2008年9月、母のカウントダウンが始まった中、スピ君は移動しました。

母の病室から会社に通う日々を過ごすこととなったため、入厩早々から、スピ君に会いに行くことはできませんでしたが、クラブ長さんが、「今日のスピ」という写メを毎日のように送って下さいました。


■アイル通信(クラブ長の写メから)

テッテケ調馬策のスピ。病室の仮ベッドで夜中に写メを見るのが楽しみでした。

「オイラ、カンヌキあけて、一人で外に出れるよー!」

2008年12月、母が亡くなり、葬儀を終える頃、スピのクラブでは、

先生がカンヌキの位置をスピ君のくちが届かない所に移していました。

ものに驚かないための馴致や、

フリージャンプなど、乗馬として生きてゆく基礎をさらに固めました。

表情から、のびのび、ハッピーが伝わってきます。

そんな中、母の付き添いや葬儀で、年間、50日の休みを頂いてしまいましたので、会社を辞めるタイミングを考えなければならないと覚悟を決めました。競争の激しいアメリカの企業ですから、現実的な問題です。

2009年5月、7歳の誕生日を祝いました。

11月、スピ君が練習馬として生きてゆく上で、競技会への適性を見るための本番となりました。そんな最中に退職が決まりました。

 

この競技会本番の前日が、最終出社日でしたよ。

競技会から戻ると、ハコウ、コズミがとれません。獣医さんも、「こんなにカチカチのスピは初めてだー。負荷が大きいなー。」と。


■毎日馬に乗れる生活へ。

退職して、毎日でも乗ろうと思えば乗れるのに、片道120kmという埼玉ですから、なかなか通えません。悩んだ末、以前、「空きがない」と断られたクラブに電話すると、「今月あきました」とのと!運命でしょう。すぐに移動を決めました。

埼玉、最後の日です。

また、何か変化があるのかなー?

2009年11月、神奈川のクラブに移動しました。

お客さんが来るたびに愛想をふりまきました。

移動して毎日通い始めて二ヶ月後、父の末期癌が判明。またしても病院通いのため、スピには近くにいるのになかなか会えない日々が続きました。

2010年8月に父が他界。ここから最低1年、毎日クラブに通い、貪欲に学ぼうと決めました。

2011年のお正月!毎日通って、馬場にレーキをかけ、追い運動をし、引き馬したり、乗り運動したり、楽しい楽しい日々でした。

そんな最中に東日本大震災が発生。

「いつか馬と暮らしたい」という夢を漠然と抱いていましたが、「自宅で馬を飼えない、都会の人達のために馬がいるゲストハウスを作ろう」、と2004年頃から温めていた計画を実行に移すことにしました。人の生涯など、天変地異でいつ奪われるかわからないのですから。。。

みんなに会いたいなぁ。


2012年4月まで、騎乗技術や調馬策のかけ方など、たくさんの事を学んだクラブを去ることはとても悲しいことでした。大きな馬運車に乗って、スピ君は30時間以上をかけて北海道を目指しました。

馬運車にすんなり乗ったものの、ステップで無理して少量のボロを出し、振り返らずにひと声、ヒヒンと啼きました。

「かあちゃんは先に行って待ってるよ。」と声をかけると安心してステップを上り、牝馬2頭にはさまれ、青草をほおばり始めました。。。

6時間遅れで乗馬施設に到着!

毎日クラブに通いながら、引っ越し荷物をほどく日々の繰り返し。

 

少年団に乗ってもらったり、楽しく過ごしながら、プーと出会いました。

2012年6月、スピ君が自宅に到着。二人で眺める朝焼け。。。


プーがいない風景。。。何かが足りない、って感じですね。この頃、馬せん棒もなく、厩舎には足りないものだらけでした。

2012年7月、プーちゃんが到着。しかし、二頭を一緒にするわけにもゆかず(プーが喧嘩を売る)二頭は離していました。


しかしすぐに二頭は慣れ、一緒に放牧できるようになりました。

「おかあちゃん、オイラ、友達ができたよー。初めてだよー。」

競馬場を出てからは、自馬として一人っ子として育ったボンボンスピにとって、プーちゃんは初めてのお友達です。毎日が嬉しくて嬉しくて仕方ない、、、そんな日々を積み重ねて来ました。

時に、じゃれあいが加熱して、互いの首に歯型を残していますがー。


こんなふうに、スピ君とは、人生を共に生きてきた家族という関係も今年で9年目になりました。心が萎えそうになった時も、いつもノホホンとしたスピ君の顔を見て、奮起することができました。これからも健康でやんちゃに生きて欲しいと思います。

(終わり)





 

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スピ君(マイネルスプレモ)との日々~前篇

2015年03月03日 | マイネルスプレモ

このブログは、ついついディンプル(プーちゃん)の情報の方が多くなってしまうのは、ブログしか見れないサポーターさん達に様子をお伝えするためーーー、です。

今日は、少し、スピ君とのこれまでの日々をふりかえってみたいと思います。一頭の競走馬を素人が個人でひきとり、世話をする、ということは、ぞっとするほど、色々なことがありました。

■出会い

スピ君は、一口馬主で知られる、マイネル軍団の馬です。カタログのオーナー募集写真です。この写真を見ただけで、素直な性格、と感じました。

 

■偶然の出会い。。。

デビュー前、坂路調教を始めて数日後。別の馬に会いに来たついでにのぞいたパドックに彼はいました。「よろしくね!きっと長いつきあいになるよ!」スピ君、2歳の夏。。。

 

■競走馬時代

2歳の10月、デビュー戦のパドックはあくびをしながらトロトロ歩いてました。

13着に終わりました。(田中Jk)

第二戦、11着で終わり、岡部Jkの進言で北海道に戻り。


■ぬ~~ん

「牧場に戻されちゃったー!」さわりまくり、ちゅーしまくり、この子、引退する時、なんとかしないといけないなー、という気持ちが強くなりました。スピ君、2歳の11月。

 

■初勝利!

デビューから8ヶ月後、12戦目、地方交流戦でした。こんなに最後まで根性を見せたのは、後にも先にもこのレースだけでした。この日は、川崎ナイターでしたので、仕事を早く上がり、見に行く予定だったのが、会議がはいり、行けなくなってしまったのでした~(T_T)


■低迷時代

 

船橋でも


中山でも


川崎でも勝つことはありませんでした。


■転職。。。

3歳の11月にJRAをリストラとなり、南関東に移籍。写真は、乗馬施設で休養中のスピ。笹針直後のため、馬服を着ていました。「僕、どうなるんだろう?」不安そうな表情。


■新たな馬生

大井では、舌をしばられてしまいました。今思えば、歯並びが悪いスピ君は、くちの中でぺろぺろと舌を動かします。

川崎でも。。

レース前のパドックで右前脚が出ないのは、競馬を始めて見る人の目にも明らかでした。もう限界でした。

4歳の夏にすでに30戦を消化していました。


■僕のこと迎えに来てくれる?

ある日、スピ君が夢に出てきました。広い背中に頬をうずめ、お日様の臭いを感じていました。ふぅーふぅー、お馬さんの背中って、広いなぁー。

するとスピ君が振り返り、こう聞きました。「僕のこと本当に迎えに来てくれるの?」「行くよー。馬運車に乗って、お迎えに行くよ!」

そう答えると、すーっと姿が消え、目が覚めました。不吉なことが起こるのではないかと、不安になりました。

3日ほどして、馬主さんからのお電話で、買いとりが決まりました。スピ君、4歳の7月のことでした。


■お迎え

乗馬として生きてゆける馬体かどうか、獣医さん、装蹄師さんによってすみずみまで検査しました。

蹄葉炎無し、蹄壁は薄く、もろいため、鉄を打つ前に少し回復させたほうがよい。

右肩関節変形。加齢と共に悪化するのみで、完治することはない。ヒセツもよくない。結論として、馬場なら三課目、障碍は低障碍あたりで使ってあげるのがせいぜい。競技用の馬には使えない、と診断。

ポコポコ乗馬専門ということで買い取りました。


■乗馬として生きる

暑い埼玉で休養、放牧


乗馬クラブにうつって本格的な調教


クラブが遠方に移転のため、スピ君4歳の11月に茨城の自馬専門クラブに移籍。

各馬、専用のパドックがあり、天気がよければ、朝、昼、外で飼葉を頂きました。幸せだったね!


5歳の4月に去勢をしました。

全身麻酔ですので、本人は何も覚えていません。術後の回復も順調でした!


5歳の夏、おそらく馬生で2度めのデンタルケア。1度めは、獣医さんによる、手やすりでしたが、この時は、獣医さん+整歯スペシャリストによる作業でした。たくさん削られました。

茨城時代は、とにかく体をケアして、ハッピーな状態にすることを目標としました。

運動メニューは、負荷は低く、基本運動を繰り返すことで、基礎体力をつけました。


スピ君に、どの時代に戻りたい?と聞けば、「この頃に戻りたい」と言うのではないでしょうか。何も知識のない乗馬初心者故に、苦悩も多かったですが、たくさんのことを学ぶことができました。

スピ君が6歳の4月。

 

茨城のクラブまでは、片道150km近くあり、往復で7時間は運転していました。6年間、楽しい日々を演出してくれた小型車では、長時間運転がしんどいため、この日を最後に車を買いかえることになり、スピ君と記念撮影。スピ君は、この車のエンジン音を覚えていて、私が近づくと、ぱっと馬房の窓から顔を出したそうです。いつも馬運車の後をついて走った車です。。。スピも車との別れを惜しむようでした。。。

この頃から母の病気が進行し、楽しい日々にも陰りが出て来ました。それでもいつもスピ君に慰められていました。


(続く)

 

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