CSのチャンネルNECOで、渥美清の「八つ墓村」を見ました。
『1970年代後半の横溝ブームを受けて、松竹は監督の野村芳太郎をはじめ、脚本の橋本忍、撮影は川又昂、音楽に芥川也寸志と、『砂の器』を制作した陣営を投入、東宝作品などと競うように封切られ、目論見どおり配収19億8600万円という松竹映画の歴代に残る大ヒット作となった。
探偵・金田一耕助の役には渥美清を配するなど、同時期の東宝配給による石坂浩二のシリーズとは作風が大幅に異なる。事件を「祟りに見せかけた犯罪」ではなく「本当の祟り」として描き、登場人物の設定も大幅に変更し、推理劇風のオカルト映画へとアレンジした異色作となった。テレビCMで流された濃茶の尼のセリフである「祟りじゃ〜っ」は、キャッチコピーとして流行語にもなった。
クライマックスでは、金田一による謎解きのくだりが短縮され、背景を地中の鍾乳洞洞窟とした迫力ある恐怖描写に替わっている。もうひとつの大きな特徴は、舞台を現代(公開当時)へと移し、原作発表時の昭和20年代に舞台をとった東宝のシリーズとは大きく一線を画したことである(製作開始はこちらが先なので、東宝側が差別化に出たともいえる)。特に、日本航空とのタイアップをとって辰弥の職業を空港職員に設定、近代的なジェット機離着陸場面で幕を開け、失われつつある農村風景や前近代的風習とのコントラストを強調した。』
私なりに、感じたところを、箇条書してみます。
1.尼子の残党が落ち延び、村に定着しそうな時に虐殺される。
ここの表現が、大変残酷だった。そう表現することで、“たたり”につなげようとしたのでしょう。
2.「砂の器」のように、時間とお金をかけて制作したようで、今だったらSFXかな。
松竹の大作主義がうかがえる。
3.何と言っても、渥美清が肩の力の抜けた普通人の金田一耕助を演じたこと。
4.犯人役の小川真由美の綺麗だったこと。
原作者は、悪魔の手毬唄 (1977年の映画)でも美人(岸恵子)の犯人を作り上げている。
美人は、「悪いことをしないことはない」と言いたいのかな???
5.楽しめる娯楽作品でしたね。面白かったです。
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