入院加療中の母親が亡くなりました。95歳でした。
私は、亡くなった23日台北にいました。
ヨメさんや息子から、「おとうさんが居ない時、ナンカが起こる」と言われてました。
そんな予感があったのか、台北へ出発する前に、妹に葬儀屋さんへの連絡方法は、伝えてました。
葬儀屋さんは、堺市の圓龍寺さんの紹介です。
病院で亡くなった母を見た娘のメールです。
《東側に窓のある部屋で、晴れた日の朝旅立ったおばあちゃんは、観音様のお迎えが来たようで、素晴らしい人だなぁと改めて思う気持ちです。
とても美しいお顔でした。
もうおばあちゃんは喉の渇きも空腹も寒さ暑さもない所にいることでしょう。
命を継がされた私達がこれからも仲良く力を合わせて生きていけるように、おばあちゃんを安心させられるように、温かいお葬式にしましょうね。》
式場を北斎場に決めてました。
弟、妹、私の妻、娘、息子、息子の嫁に私の家族葬を考え、
母親の住んでいる集合住宅の集会場を使わない為です。
私が、24日に帰国することと、会場の都合があったのでしょう今日が、葬儀でした。
昨日までは、病院でのカバーを終えたあと新今宮近くに安置していただきました。
葬儀屋さんが適切にことを運んでいただいたおかげです。
私が台北に居る間に、25日26日の図書館ボランティアは、ヨメさんが断りの電話を入れ
28日29日の息子らとの一泊も、息子がキャンセルをしてくれました。
スマホで連絡を取りました。
葬儀を導いていただく、堺市の圓龍寺さんともLINE電話しました。
25日葬儀屋さんと打ち合わせです。
26日の通夜は、19:00。私には、散髪に行く時間がありました。
北斎場です。(ピンボケ写真)
通夜は、私たちだけでした。
入院中の母の弟さんも、長男さんの車で来てくださいました。
次男の奥さんも来ていただきました。
母を一人にするのは、しのびないのですが、それぞれ帰宅して十分休みました。
今朝は、11:00からの葬儀でした。
滞りなく済ませることができました。
遺骨は、1月末の満中陰・納骨まで妹が、見ます。
最後まで、親不孝な私でしたが、母の愛だけはありがたいものです。
遺影を見ると、なかなか別嬪なおふくろでした。優しい笑顔が救いです。
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