まず一茶さんの秋の蝉を御覧いただきましょう。
矢羽勝幸 ジョイ・ノルトン「雪五尺 四季の一茶」信濃毎日新聞社 より
横田正知編「写真 俳句歳時記 秋」現代教養文庫にも、ありました。
・秋の蝉ころび落ては又鳴きぬ 一茶
【子規365日】■9月6日
啼(な)きながら蟻(あり)にひかるる秋の蝉 1895(M28)年
夏井いつき【子規365日】朝日文庫
《秋の蝉》の俳句
単に蝉と言えば夏季になる。秋に鳴く蝉を言う。衰残の感が深い。
・蝉おちて鼻つく秋の地べたかな 蛇 笏
・ねごらはれをり秋蝉の声の中 汀 女
・秋蝉のこゑ澄み透り幾山河 楸 邨
横田正知編「写真 俳句歳時記 秋」現代教養文庫 より
谷口 璽照さんのコメントです。
《冬の蝉 (谷口璽照)
「目はかすみ 耳に蝉なき 一葉落ち 身にしみてこそ南無阿弥陀仏」
信州信濃の善光寺に堂照坊という御開山(親鸞聖人)の旧跡があり、その寺の宝物に「四季の歌」というのがあります。これは御開山がお年を召されて、奥歯が一本抜けさせられたときの御(おん)歌と伝えられています。
目は霞とは、春の花霞。よく見えた目も霞がかかり、眼鏡をかけねば用事が足せません。私など新聞を読む時には、さらに虫眼鏡がないと読むことができません。耳に蝉なきとは夏の部で、耳鳴りのこと。一葉落ちとは、丈夫な歯だと思っていたのが一枚落ち二枚落ち、これが秋の紅葉。私も先日、スペアリブに齧(かぶ)りついたら前歯に罅が入ってしまって、とうとう歯を抜く羽目になってしまいました。情けない、「身にしみてこそ南無阿弥陀仏」というのが冬で、死ぬことばかりが無常ではない、一年の四季の移り変りが即無常の有様。
「目はかすみ 耳に蝉なき 歯は落ちて 雪を頂く老いの暮れかな」
この座の皆さまたちも、いつのまにか天窓(あたま)には白髪の雪が降り、顔には四海の波が寄り、腰には梓の弓が張る。松にも等しき痩せからだ、心も細き竹の杖、よろめく足で寺参り。段を登るも苦しき息は、霜に傷(いた)める秋の蝶、露に息継ぐ冬の蝉。昔は肩で風を切る、今は歩くに息を切る。ほんに見る影なき姿、皆これ有為転変というもの。》
信州信濃の善光寺に堂照坊という御開山(親鸞聖人)の旧跡があり、その寺の宝物に「四季の歌」というのがあります。これは御開山がお年を召されて、奥歯が一本抜けさせられたときの御(おん)歌と伝えられています。
目は霞とは、春の花霞。よく見えた目も霞がかかり、眼鏡をかけねば用事が足せません。私など新聞を読む時には、さらに虫眼鏡がないと読むことができません。耳に蝉なきとは夏の部で、耳鳴りのこと。一葉落ちとは、丈夫な歯だと思っていたのが一枚落ち二枚落ち、これが秋の紅葉。私も先日、スペアリブに齧(かぶ)りついたら前歯に罅が入ってしまって、とうとう歯を抜く羽目になってしまいました。情けない、「身にしみてこそ南無阿弥陀仏」というのが冬で、死ぬことばかりが無常ではない、一年の四季の移り変りが即無常の有様。
「目はかすみ 耳に蝉なき 歯は落ちて 雪を頂く老いの暮れかな」
この座の皆さまたちも、いつのまにか天窓(あたま)には白髪の雪が降り、顔には四海の波が寄り、腰には梓の弓が張る。松にも等しき痩せからだ、心も細き竹の杖、よろめく足で寺参り。段を登るも苦しき息は、霜に傷(いた)める秋の蝶、露に息継ぐ冬の蝉。昔は肩で風を切る、今は歩くに息を切る。ほんに見る影なき姿、皆これ有為転変というもの。