まずは、新聞記事をご覧ください。
韓国のそれも若い世代に、「日本語ってかわいい」と言われて嬉しいですね。
私にも逆のことがいえます。
朝鮮語というのは、がなる言語と思ってました。ニユース映像のせいですね。
それが、「冬のソナタ」や「宮廷女官チャングムの誓い」などを見て、柔らかくロマンチックな発音と思いました。
私たち世代の多くの方が、韓国ドラマなどにのめり込んだ瞬間です。
互いの文化を認め合う瞬間っだともおもいます。
今は政治が、文化を押しつぶしているのではと思っています。
もう一つ、事実は小説より奇なり。
空港で18年生活した男性が、旅立ちました。
でした。
谷口 璽照さんのコメントです。
《言葉遊びから (谷口璽照)
日本語は芸術です。言葉遣いには、教養や品格が滲み出ます。私は意識的に「昼は終日(ひねもす)、夜は終夜(よもすがら)」とか「雨もさめざめと泣き崩れ」といった、昔風の表現を好んで用います。絶滅しそうな言葉には、現代の日本人が置き忘れてしまった、繊細な美しいニュアンスが多いのです。節談説教の美辞麗句から──「雨の名も 替わり替わりて 時雨かな」。遣らずの雨に小糠雨、咳・声・咽喉に浅田飴って、それは舐めるほうのアメですが。春は弥生の春雨に、散るは大和の桜花。夏は水無月梅雨空に、濡れる紫陽花雨の花。秋は長月秋雨の、土手に一輪曼珠沙華。冬は師走のクリスマス、氷雨に凍えるシクラメン。その時々で名は色々に変われども、もとより水一色。──て、きれいでしょ、日本語って。》