ただおの不定期日記

主に映画の感想など。たまに違う話題も書くかもしれません。

ゴジラ-1.0

2023-11-09 20:53:01 | 映画

*この投稿はゴジラ-1.0のネタバレを含みます。読む際はご注意ください。

はじめに、個人的には大満足の映画でした。確かにつっこみどころはあるかもしれないが、それを補って余りある映画と思います。

SNSで神木隆之介演じる主人公のことを「覚悟はあったが死ねなかった」特攻崩れ、と書いていたのが気になって、そこから考えたのが以下です。ネタバレになるのでご注意を。

確かに特攻崩れではあるけど、「覚悟はあった」のか?私はなかったと受け取ります。なぜなら、親から「生きて帰ってこい」という手紙を受け取っていて、しかも戦闘機が故障したと偽って大戸島に不時着したんですから。よく言えば、親孝行したくて嘘をついたわけです。しかしそこにゴジラが上陸し、整備兵たちが死んでしまう。しかし彼は生き残る。望みは叶うが、心に傷を負ってしまうわけですね。素直に帰っていいのかと。

「お前が撃たなかったから」と責められるわけですが、後のゴジラを回復力を見たら、ほんとにそうだったかは怪しい気はします。むしろ撃たなかったから生き残ったのかも。その方が皮肉が効いてます。結局、死と対峙する覚悟がなかったから撃てなかった、その結果生き残った。

しかし、したいときに親は無し、そして世間代表の安藤サクラからも責められ、ますますこれでよかったのか、になっていく。それを承認(許)すべき存在としての浜辺美波と子供が登場するわけですが、おいそれとは心の傷は癒えはしないわけです。

しかし、「もう死んでるんじゃないか?」と取り乱す彼をなだめる女の気持ちに触れ、「もういいだろう。もう一度ちゃんと生きてみたい」となったときにまたゴジラが現れる。そしてその女性に生かされ、彼女は消える。

そこでヤケになって特攻を目指す。自分を生かしてくれた女を亡くして、死と向き合う覚悟ができた、という流れですが、大事な人を亡くしたから自分も死んでも構わない、というのが本当にそれでいいのか?という問いかけに思えます。いや生きろよ、なわけです。

さらには、置いて行かれた小僧が船団を連れて駆けつける、まるでクリストファー・ノーランの「ダンケルク」のシーンですが、この映画もいかに多くの兵士を「生きて」帰すか、に貢献したのは船で駆けつけた一般人だったという話ですから、自分は「おおー」と膝を打ちました。

結局、自分を責めるはずの相手から「生きろ」と言われ、自分で「脱出」を選択する。親に言われて「帰る」くらいだったところから「生きるぞ!」になるまでの話なわけですが、最後の海に沈むゴジラと、あのうなじのショットが、不穏さを醸し出している。いつまたゴジラが復活するかもしれないという、これは我々への警鐘でしょうか。

戦後の復興を引っ張った人たちは結局は「生き残った」人たちでしかないわけで、「おめおめと生きて帰ってきやがって」なんて言われるのはどうなんだろう。いろいろ思いはあるだろうけど、本当に死なないまでも「死んでもいい・命懸けで」と思えることを求めていたのかもしれないなと、見終えて思ったのでした。



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