「ショーシャンクの空に」好きな映画です。
すでに11回目となっている「午前10時の映画祭」でも、最初に企画が始まった時の一般投票で1位だったそうです。
以前に知り合いとFacebookでこの映画の話題でやりとりした時に、前から気になっていたことをいい機会だと思って改めて考えてみました。そして自分なりの解釈に辿り着きました。せっかくなのでここに書いておこうと思います。
何が気になっていたのかというと、結構見逃されがちなエピソードではないかと思うのですが、看守に殴られて死んでしまった新入り囚人の話です。
アンディが監獄に入ったとき、周りの囚人たちが、どの新入りが最初に泣くかという賭けをします。消灯時間が過ぎてから、先輩の囚人たちは新入りたちをからかう言葉を投げて泣かせようとします。ある太めの囚人が我慢しきれず泣き出しますが、看守が「何を騒いでる!」とやって来てその泣き出した囚人は警棒でひどく殴られてしまいます。
翌朝、朝食をとっている食堂で、「あの囚人死んだらしい」という話が流れます。アンディは「彼の名前はなんだった?」と聞きますが、泣かせた当の本人は「知るか。やつは死んだんだ」と突き放します。
このエピソードはその後も触れられず、忘れてしまいがちですが、ずっと気になっていました。で、ちょっと考えてみました。それで思ったのが以下のようなことです。
「直接手を下していなくても、誰かの死に対して責任がある」
無実を主張しているアンディだからこそ、感じるものがあったのではないかと思うのです。この若い囚人が死んだのは誰のせいでしょう?もちろん、直接手を下したのは看守です。でも彼が泣き出さなければ、殴られず、死ぬこともなかったでしょう。
そうすると泣かせた先輩囚人にも責任はあると言えるのではないか。
アンディの妻は浮気をしていたようですが、なぜかはわかりません。でも、このエピソードをきっかけとして、妻を死に追いやったのは自分にも責任の一端があるのでは、とアンディは思い始めたのではないかと思うのです。そうすると、原題の redemption の意味である「贖罪」を意識し始めたのはここからなのかもしれないと思うのです。これはやはりアンディが本当に無実ならばという前提にはなるかとは思いますけどね。
他にもいろんなことを考えさせられる映画ですが、やはりよくできた作品ですね。