★NPO団体 福祉協会(welfare association)

★このブログは、このブログは、『障害』と言ったレッテルを貼られただけの者達の集まりの会です。

冒険ヨット、健康に問題なし

2009年06月18日 21時09分43秒 | Weblog
冒険ヨット、健康に問題なし
4月末にインド洋の島国セーシェルを出航後に連絡が途絶えていたヨット冒険家米子昭男さん(62)がタイのプーケットに到着していたことが18日、分かった。海賊被害に遭った可能性もあるとみられていたが、健康状態などに問題はないという。
 プーケットのマリーナ関係者によると、米子さんは8日に到着。海賊被害の有無などについては話していなかったという。
 一部米紙は、米子さんが乗ったヨットは別のヨットと一緒に、セーシェル沖で海賊被害に遭った恐れがあると報じていた。
 米子さんは事故で左腕を失った隻腕のヨットマンと知られ、1995年から97年にかけて大西洋・太平洋単独横断を敢行した。 

人一倍努力「乗り越えられない障害ない」…快挙の辻井さん

2009年06月11日 23時31分37秒 | Weblog
人一倍努力「乗り越えられない障害ない」…快挙の辻井さん
2009年6月11日(木)15:16
 バン・クライバーン・コンクールで優勝した辻井伸行さん(20)──11日付二面<顔>

 「全盲のピアニスト」と呼ばれることに、内心抵抗があった。「音楽家としての評価に全盲かどうかは関係ない。これからは一人のピアニストとして聴いてほしい」。プロとしての自信を深め、きっぱりと語った。

 ハンデはもちろんある。だが、「音楽の世界に乗り越えられない障害はない」と信じている。難しい新作の課題曲で、ほかの参加者が楽譜を見ながら弾くところを、1か月で完全に暗譜し、本番で審査員を驚かせた。協奏曲では「指揮者の『息遣い』に耳をすませ、心の中で指揮棒を思い浮かべながら」演奏し、聴衆を熱狂させた。

 10歳でプロになると決意して以来、人一倍努力してきた。しかし悲壮感はない。10日の記者会見では「今までつらいと思ったことはなく、楽しくピアノを弾いてきた」と笑顔で語った。

 音への鋭敏な感覚、抜群の記憶力とテクニック、繊細な歌心……。才能に恵まれ、苦労とは無縁だったのに、受賞が決まった時は母親と抱き合い、涙を流した。「一日だけ目が見えるとしたら何を見たい?」という質問に、真っ先に返ってきた答えは、「両親の顔」だった。

全盲ピアニストの辻井さん、バン・クライバーン国際で優勝

2009年06月08日 18時59分29秒 | Weblog
全盲ピアニストの辻井さん、バン・クライバーン国際で優勝
6月8日10時12分配信 読売新聞

 世界的演奏家を多く出している「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」の結果が7日(日本時間8日未明)、米テキサス州フォートワースで発表され、東京都在住の上野学園大3年、辻井伸行さん(20)が中国人ピアニストの張旻辰(ちょうびんしん)さんと並んで1位となった。

 辻井さんは全盲で、国際的なピアノコンクールを全盲ピアニストが制覇したのは極めて異例。

 同コンクールは、ピアノコンクールとしてはチャイコフスキー国際コンクール、ショパン国際ピアノコンクールなどと並ぶ難関。過去の日本人入賞者は3人で、これまで1969年の野島稔さんの2位が最高だった。

 辻井さんは書類選考で残った151人から、決勝の6人に残り、4日にショパンのピアノ協奏曲第1番、6日にラフマニノフの同第2番、7日はベートーベンのピアノ・ソナタ第23番<熱情>などを弾き、聴衆を熱狂させた。

 辻井さんは生まれつきの全盲。音の感覚が鋭敏で、幼い頃に母のいつ子さん(48)が歌う「ジングルベル」のメロディーを、おもちゃのピアノですぐに演奏したほど。

 4歳から本格的に習い始め、7歳で全日本盲学生音楽コンクール・ピアノの部で1位に。10歳でオーケストラと初共演してプロデビューした。今までに国内のほかアメリカ、ロシア、フランスなどでも演奏会を開いている。2005年にはショパン・コンクールで「批評家賞」を受賞し、注目を集めた。

 ◆バン・クライバーン国際ピアノコンクール◆

 第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝した米国人ピアニスト、バン・クライバーンの名前を冠し、1962年に始まった。

 原則4年に1回開かれ、今年が13回目。過去にラドゥ・ルプー、アレクセイ・スルタノフ、アレクサンダー・コブリンらが優勝している。