★NPO団体 福祉協会(welfare association)

★このブログは、このブログは、『障害』と言ったレッテルを貼られただけの者達の集まりの会です。

いよいよ!LiveDoor決戦の時・・・!?

2005年02月27日 00時42分04秒 | Weblog
ライブドアVSフジサンケイグループとの対戦は見物となって来ましたので、
今回もスポンサー様のご厚意により、引き続きここにコラボレーションなる。
ものを展開して行こうと思います。
なお、決してここのBLOGは、障害者の達の者でありますので、
本題に入る前に、旧体制VS新体制のこの一戦は見逃せないのであります。
ここに、「LiveDoor堀江社長の所信表明と有識者の見解がBB(ブローバンド)で
流されていますので、その真意や心意気、また、将来のビジョン等が分かります。
また、有識者による解説ではあくまでもニュートラル(中立的)なものの見方が
示されていますので、今後の行方を占う上でも大変参考になります。
しかし、地上はデジタル化の為に国民の税金が数兆円規模で無駄使いされている気がして
なりませんが、そう言う事も国民の民意でない事が政府の独断と偏見で行われ、
国民には「アンテナの交換や変換は、国家が無料で行いますから安心です」としか言わない
この体制が、やはりまやかしである事に変わりは無いのですね!
残念ながら、生活弱者や障害者の福祉は切り捨ててでもここまでやる必要が何処にあったのか?
是非聞きたいものです。(著者談)
ここが、LiveDoor堀江社長の所信表明と有識者の見解がBB(ブローバンド)URLです。御覧下さい。

http://finance.livedoor.com/finance/shoshin

livedoor 社長日記

2005年02月15日 10時53分24秒 | Weblog
最近とにかく、何かと話題の多いこの人にスポット当てて見ました。
livedoor 社長日記こと=堀江 貴文氏です。
livedoor 社長日記URL
http://blog.livedoor.jp/takapon_jp/

『この方のご意見に、私も賛成です!』と言う事で・・・。
今回は障害者とは違った人物を取上げましたが、時節柄こう言った文面も
良いかと思いまして(笑。 しかし、若干32歳の青年実業家としては、かなりの
面白いと言いうか!?味のあると言うか!?こう言う人物が『日本にも現れた!!』
という感じで、この人の様な人物が増えれば日本も変わるかも知れませんね!?

ヘレン・アダムス・ケラー

2005年02月12日 14時15分57秒 | Weblog
今回は、余りにも有名な人物の登場です。しかし、皆さんはこの余りにも有名な人物が故に
本当の姿を知らないかも知れません。『知ってるつもり!?』でも、今一度御覧下さい。
『ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller, 1880年6月27日 - 1968年6月1日)は、
米国アラバマ州北西部の町タスカンビア出身の教育家・社会福祉事業家である。
自らも障害を背負いながらも、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育・福祉に尽くした。

生い立ち
地主の家に生まれたヘレン・ケラーは、2歳(生後19か月)のときに熱病にかかり、医師と家族の懸命な治療によりかろうじて一命はとりとめたものの、聴力と視力を失う。彼女は元来活発で利発な少女だったが、数年後には周囲の人間を困らせる、わがままで反抗的な性格に変わってしまった。
1887年、彼女の両親アーサー・ケラーとケイト・ケラーは聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明者として知られる)を訪れ、彼の紹介でマサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の校長アナグノスに手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。そこで派遣されてきたのが、同学校を優秀な成績で卒業した当時弱冠20歳のアン・サリヴァンAnne Sullivan(通称アニー)であった。彼女はその後約50年にもわたってよき教師として、そして友人として、ヘレンを支えていくことになる。

政治的活動
ヘレンは福祉活動のみに限らず、広範囲な政治的関心をもち活動した女性であった。 当時として先進的な思想をもち、男女同権論者として婦人参政権を主張し、また人種差別反対論者であり、また過酷な若年労働や死刑制度、そして第一次世界大戦の殺戮に反対した。
ヘレンは既存の保守政党には満足せず、1909年にアメリカ社会党に入党し、政治活動を行っている。また1916年には世界産業別労働者組合(IWW)にも共感し、活動に参加した。そして、1917年のロシア革命を擁護した。
これらの活動のため、ヘレンは FBI の要調査人物のファイルにされている。これはある意味で名誉なことであろう。
ただし、米国盲人援護協会(AFB)に参加してからは、表立った左翼活動は停止した。AFB側からの圧力(協会が左翼イメージをもつと寄付金がこなくなる云々)があったためと推定される。現在でも、ヘレンに関する伝記的書籍や映画では、彼女の急進的な開明思想の部分に関しては隠蔽されることが大半である。
ヘレンは、自身の考える20世紀の三大重要人物を問われて、エジソン、チャップリン、レーニンと答えている。
ヘレンは合計3度、日本を訪れ、障害者の福祉のために全国を回っている。1度目は太平洋戦争開戦前の1937年で、このとき彼女は秋田犬を所望し、後に2頭を贈られた。2度目の来日は終戦後間もない1948年で、これを記念して2年後の1950年、財団法人東日本ヘレン・ケラー財団が設立されている(現・東京ヘレン・ケラー協会)。さらに1955年、3度目の来日を果たしたが、このときは熱烈な歓迎を受けている。』

日本ヘレンケラー財団
http://www.helenkeller.or.jp/