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前略 ご無沙汰致しております。
今こうして、桜の下でこの文を読まれているということは、あなたは結論に達したということですね。
大変心苦しい問いかけをしてしまったことを、
最初にお詫び致しておきます。
そして、なぜ斯様な真似を致したのかということを、その真意を、この文でお伝えさせていただこうと思っております。
つきましては、はじめにお願いがございます。
これに同封されている、もう一つの厳封された文は、こちらを読み終えるまでは絶対に開かないでください。
なぜ、今開封してはならないのかという理由も、それを開封すべき時がいつかということも、これを読んでいただければ、理解していただけるかと思います。
ですから、どうかそれを信じて、まずはゆっくりと、この文を読んでいただけると嬉しいです。
それでは、始めさせていただきます。
ちょうど一年前、出会ったばかりのわたくしたちは、ここ法金剛院で、並んで桜を見上げていました。
それから一年が経ち、再びあなたはここに戻ってきました。
そしてその横に、わたくしはおりません。
それこそが、あなたにとっての正しい選択ということになります。
わたくしが何を話しているのか、今は見当もつかないことと思いますので、それが分かるように、これから順を追ってお話をさせていただきます。
わたくしはこの一年を通して、否、厳密に言えば、これまでのあなたの人生を通して、一つの課題を投げかけておりました。
翻ってそれは、わたくしの使命でもありました。
そのことを説明するにあたり、このような例え話から始めようと思います。
唐突ですが、才能というものは、途中から芽生えるものではありません。
ほとんど生得的なものです。
持って生まれてくる人と、最後まで持ち得ない人に分かれています。
それは、良い悪いではありません。
才能がある故、それに苦しめられる人生を送る人もいれば、才能がなくとも陽気な人生を送れる人もいます。
そして、苦しめられる人生が不幸で、陽気な人生が幸福ということもありません。
才能にもがき、しんどい人生を送ったとしても、その苦しみを乗り越えた先の幸せを感じることもできます。
一方で、陽気な人生を送った最後に、物思いに耽ることが少なかったことに、物事の真と向き合うことに背を向けていたことに、後悔をすることもあります。
つまり才能というものは、ただ、それを持っている、持っていないという事実であって、その後に付随してくるものまでが、すでに決定されているという、絶対運命のようなものではないのです。
持っているからどうとか、持っていないからどうとか、という公式ではないのです。
それに近いものに、使命というものがあります。
よく、人にはそれぞれ、生まれ持った使命があると言われることがあります。
しかし、実はそれには誤りがあるのです。
使命というものは才能と同様、誰にでもあるものではないのです。
それを課される存在と、課されない人に分かれます。
そしてそのほとんどが、後者となります。
使命なき人生を送る人が、大半ということです。
それは、ほぼ最初から自覚しているものであり、才能と同じように、途中から気づくというものではありません。
なにより使命とは、唯一つしかありません。
それは、「誰かのため」の使命です。
使命を与えられたものは、その対象となる「誰かのため」に、生涯を捧げなくてはなりません。
わたくしは、その使命を授かった側の存在です。
すでに、今生で果たすべき使命を知り得ている存在です。
これまでのわたくしの半生は、その使命を果たすための生涯でした。
さりとて、使命という果たすべき事柄を心得ているだけであって、そこに至る道のり、つまり方法や手段は決められていません。
それを考えて実行することが、わたくしには求められているのです。
なので想定とは違ったことが起きたり、予定外の方向へ進んでしまうこともあります。
そのため、軌道修正を加えなくてはならないこともあります。
そして、最終的にその使命を果たすためには、その対象者にある課題を与え、それを及第させなくてはなりません。
わたくしの使命は、これまで永く続いてきたあなたの霊を、終着駅まで誤りなく導くことでした。
突(とつ)としてこのようなことを言われても、にわかには信じられないことだと思います。
ですのでこれからは、それを証明する段に入っていきます。
そこでまずは、あなたとわたくしの出会いが必然だったということ、わたくしの使命の対象が、あなたであることの証明を試みたいと思います。
それは、わたくしがあなたのこれまでの人生と、これから果たすべき霊の目的を、
どれだけ存じ上げているのかということの証明です。
当然あなたには、これからわたくしが申し上げる未来のことは判断できないでしょう。
けれども過去の証明がなされた時、未来の出来事も信じてもらえるのではないかと思っています。
(つづく)
前略 ご無沙汰致しております。
今こうして、桜の下でこの文を読まれているということは、あなたは結論に達したということですね。
大変心苦しい問いかけをしてしまったことを、
最初にお詫び致しておきます。
そして、なぜ斯様な真似を致したのかということを、その真意を、この文でお伝えさせていただこうと思っております。
つきましては、はじめにお願いがございます。
これに同封されている、もう一つの厳封された文は、こちらを読み終えるまでは絶対に開かないでください。
なぜ、今開封してはならないのかという理由も、それを開封すべき時がいつかということも、これを読んでいただければ、理解していただけるかと思います。
ですから、どうかそれを信じて、まずはゆっくりと、この文を読んでいただけると嬉しいです。
それでは、始めさせていただきます。
ちょうど一年前、出会ったばかりのわたくしたちは、ここ法金剛院で、並んで桜を見上げていました。
それから一年が経ち、再びあなたはここに戻ってきました。
そしてその横に、わたくしはおりません。
それこそが、あなたにとっての正しい選択ということになります。
わたくしが何を話しているのか、今は見当もつかないことと思いますので、それが分かるように、これから順を追ってお話をさせていただきます。
わたくしはこの一年を通して、否、厳密に言えば、これまでのあなたの人生を通して、一つの課題を投げかけておりました。
翻ってそれは、わたくしの使命でもありました。
そのことを説明するにあたり、このような例え話から始めようと思います。
唐突ですが、才能というものは、途中から芽生えるものではありません。
ほとんど生得的なものです。
持って生まれてくる人と、最後まで持ち得ない人に分かれています。
それは、良い悪いではありません。
才能がある故、それに苦しめられる人生を送る人もいれば、才能がなくとも陽気な人生を送れる人もいます。
そして、苦しめられる人生が不幸で、陽気な人生が幸福ということもありません。
才能にもがき、しんどい人生を送ったとしても、その苦しみを乗り越えた先の幸せを感じることもできます。
一方で、陽気な人生を送った最後に、物思いに耽ることが少なかったことに、物事の真と向き合うことに背を向けていたことに、後悔をすることもあります。
つまり才能というものは、ただ、それを持っている、持っていないという事実であって、その後に付随してくるものまでが、すでに決定されているという、絶対運命のようなものではないのです。
持っているからどうとか、持っていないからどうとか、という公式ではないのです。
それに近いものに、使命というものがあります。
よく、人にはそれぞれ、生まれ持った使命があると言われることがあります。
しかし、実はそれには誤りがあるのです。
使命というものは才能と同様、誰にでもあるものではないのです。
それを課される存在と、課されない人に分かれます。
そしてそのほとんどが、後者となります。
使命なき人生を送る人が、大半ということです。
それは、ほぼ最初から自覚しているものであり、才能と同じように、途中から気づくというものではありません。
なにより使命とは、唯一つしかありません。
それは、「誰かのため」の使命です。
使命を与えられたものは、その対象となる「誰かのため」に、生涯を捧げなくてはなりません。
わたくしは、その使命を授かった側の存在です。
すでに、今生で果たすべき使命を知り得ている存在です。
これまでのわたくしの半生は、その使命を果たすための生涯でした。
さりとて、使命という果たすべき事柄を心得ているだけであって、そこに至る道のり、つまり方法や手段は決められていません。
それを考えて実行することが、わたくしには求められているのです。
なので想定とは違ったことが起きたり、予定外の方向へ進んでしまうこともあります。
そのため、軌道修正を加えなくてはならないこともあります。
そして、最終的にその使命を果たすためには、その対象者にある課題を与え、それを及第させなくてはなりません。
わたくしの使命は、これまで永く続いてきたあなたの霊を、終着駅まで誤りなく導くことでした。
突(とつ)としてこのようなことを言われても、にわかには信じられないことだと思います。
ですのでこれからは、それを証明する段に入っていきます。
そこでまずは、あなたとわたくしの出会いが必然だったということ、わたくしの使命の対象が、あなたであることの証明を試みたいと思います。
それは、わたくしがあなたのこれまでの人生と、これから果たすべき霊の目的を、
どれだけ存じ上げているのかということの証明です。
当然あなたには、これからわたくしが申し上げる未来のことは判断できないでしょう。
けれども過去の証明がなされた時、未来の出来事も信じてもらえるのではないかと思っています。
(つづく)