「それでもわたくしは、重さよりも長さを選びたいと思います」
「え?苗雅さんは、そう、即断できるのですか?」
これまで研究についての持論を通して、彼の人柄を知ってきた二葉だったが、ほとんど初めて聞く彼自身の恋愛観に、少しの当惑とともに聞いた。
「あなたの言う『現在進行形で続いている過去』、つまり愛し合う二人は、いつでも共にいることを前提とした時間の連なりを持つことの方が、自然だと思うのです。そしてわたくしは、そういう間柄で、恋しい人との時間を送りたいと思っています」
「――」
普段まったく口にしない、とても奥まったところにある引き出しからの言葉だったことで、まるで自分へ向けての愛の告白かと勘違いしてしまうくらいのインパクトを持って、二葉に突き刺さってきた。
同時に、なぜか旗幟鮮明に畳み掛けられる予感も襲ってきた。
「二葉さん」
飲み干したカップの淵を、愛でるように流していた右手を止めて、苗雅は彼女を見据えた。
「はい」
鼓動の高まりが、直接脳に響いているようだ。
「わたくしは、二葉さんに好意を持っています。直接的な言い方に換えれば、恋情を抱いております。おそらく、あなたにお会いした時からそうだったと思います。そして、こうしてお話をするようになってから、その感情は日々膨らみ続けております」
「――」
静っと(じっと)見つめる彼の視線に、二葉は完全に言葉を失う。
「これは、わたくしからの愛の告白です。もしも、あなたが同じ気持ちでいてくださるのならば、これ以上幸せなことはないでしょう。無論、あなたの気持ちを推し量ることなどできません。しかしできることならば、わたくしは大学を卒業した後も、あなたと共にいる時間を持ち続けていたいと思っております。これは正式なプロポーズです。さらばと言って、あまりに突然で、一方的な物言いであることは承知致しております。ですから、すぐに返事をお聞かせてくださいなどとは申しません。答えが出るまで、時間をかけて、真剣に考えていただきたいのです。そして結論に達した時、その答えを聞かせてもらえたらと思っています。もしもその時、わたくしの申し出を受け入れてくださるのであれば、待っていていただきたい場所があります。また、もしも申し出が受け入れられなかった場合には、それとは別のところにいらしてほしいのです。おそらくわたくしは、いつ、どちらにいらっしゃるのかが分かると思います。ですので、何も言わず、あなたのタイミングで、その場所までいらしてください」
――あれほどまでに、正面きっての告白というものがあるのだろうか。
あの日のあの会話を克明に思い出し、二葉の心臓はざわめく。
おあつらえ向きの小雪舞い降りる、クリスマス・イブの告白シーン。
その時もその場所も分かる、と不思議なことを言った苗雅。
奇しくも、桜の開花宣言となったその日、二葉はひとり、一年前の思い出の地、流れ落ちる滝がその動きを止めたような、法金剛院の枝垂れの下に立っている。
苗雅のプロポーズへの返事を携えて、心を決めた二葉は待っている。
静かな足音が、すぐ後ろで立ち止まる気配。
これまでで最大の勇気を振り絞る。
淡い空気を伴って振り返る。
しかしそこに見えるは、まるで面識のない老紳士。
「白駒二葉様ですか?」
「はい」
目線は枝垂れに、思いはいずこに、というまったく上の空にいた二葉は、目の前で起こっている現実世界に、一気に引き戻された。
「突然驚かせてしまい、誠に申し訳ございません。私は、住友苗雅の代理で参りました、住友家執事、久瀬仁哉(くせじんや)と申します」
「白駒二葉です。苗雅さんの代理で?」
少し上ずる声を意識しながら、いつもよりも早いピッチで聞いた。
「これを、白駒様へお渡しするように言付かりました」
こもるような声でそう言うと、正装の紳士は、うぐいす色の封筒を手渡した。
手のひらによく馴染む、すぐに苗雅のことを思い描けるような、しっとりとした和紙の封筒だった。
「ありがとうございます。ところで苗雅さんは、どちらにいらっしゃるのでしょうか?」
「相すみません。私は、これにて参らねばなりませんが、苗雅が申しますには、
その文を是非ともご一読くださいとのことでした」
「はあ、そうですか――承知いたしました」
「恐縮至極にございます。それでは、私は、これにて失礼させていただきます」
お礼の言葉を伝える暇もないほど、まるで小走りするかのように去って行った。
狐につままれたような顔で、久瀬の後ろ姿にお辞儀をして見送った二葉は、突如抜き差しならない胸騒ぎに襲われた。
どうして、直接会おうとしなかったのか。
どうして、手紙なのか。
二つの手紙が収められた封筒。
覚束ず、お気に入りのアジュールブルーのハンドバッグに、無意識にしまわれた封筒。
今あらためて、そろそろと手にする。
おとなしく時を稼いでいた心臓は、トクトクと呼吸を始める。
うぐいす色の封筒の、心許ないくらいに優しく閉じられた広い口を静かにめくると、しっかりと封の閉じられた純白で小ぶりの封筒と、見慣れた達筆が透けて見える三つ折りの手紙が同封されている。
その片方、きれいな三等分で畳まれた手紙を取り出す。
ゆっくりゆっくり、折りを伸ばしてゆく。
一陣の風が通り過ぎると、枝垂れの花びらは、まだ散るものぞとしがみつく。
一行ごとに流れ過ぎる文面は、目の前の世界から彩りを奪っていく。
小刻みに震える両腕を、力いっぱい体に押し付ける。
どんどん浅くなる呼吸。
力尽きて、母なる幹から離れた花びらは、無秩序な動きで蝶の揺蕩うがごとく、その儚い命を大地に戻していく。
果たして二葉の意識も、ひらひらと音も立てずに遠のいていく。
(つづく)
「え?苗雅さんは、そう、即断できるのですか?」
これまで研究についての持論を通して、彼の人柄を知ってきた二葉だったが、ほとんど初めて聞く彼自身の恋愛観に、少しの当惑とともに聞いた。
「あなたの言う『現在進行形で続いている過去』、つまり愛し合う二人は、いつでも共にいることを前提とした時間の連なりを持つことの方が、自然だと思うのです。そしてわたくしは、そういう間柄で、恋しい人との時間を送りたいと思っています」
「――」
普段まったく口にしない、とても奥まったところにある引き出しからの言葉だったことで、まるで自分へ向けての愛の告白かと勘違いしてしまうくらいのインパクトを持って、二葉に突き刺さってきた。
同時に、なぜか旗幟鮮明に畳み掛けられる予感も襲ってきた。
「二葉さん」
飲み干したカップの淵を、愛でるように流していた右手を止めて、苗雅は彼女を見据えた。
「はい」
鼓動の高まりが、直接脳に響いているようだ。
「わたくしは、二葉さんに好意を持っています。直接的な言い方に換えれば、恋情を抱いております。おそらく、あなたにお会いした時からそうだったと思います。そして、こうしてお話をするようになってから、その感情は日々膨らみ続けております」
「――」
静っと(じっと)見つめる彼の視線に、二葉は完全に言葉を失う。
「これは、わたくしからの愛の告白です。もしも、あなたが同じ気持ちでいてくださるのならば、これ以上幸せなことはないでしょう。無論、あなたの気持ちを推し量ることなどできません。しかしできることならば、わたくしは大学を卒業した後も、あなたと共にいる時間を持ち続けていたいと思っております。これは正式なプロポーズです。さらばと言って、あまりに突然で、一方的な物言いであることは承知致しております。ですから、すぐに返事をお聞かせてくださいなどとは申しません。答えが出るまで、時間をかけて、真剣に考えていただきたいのです。そして結論に達した時、その答えを聞かせてもらえたらと思っています。もしもその時、わたくしの申し出を受け入れてくださるのであれば、待っていていただきたい場所があります。また、もしも申し出が受け入れられなかった場合には、それとは別のところにいらしてほしいのです。おそらくわたくしは、いつ、どちらにいらっしゃるのかが分かると思います。ですので、何も言わず、あなたのタイミングで、その場所までいらしてください」
――あれほどまでに、正面きっての告白というものがあるのだろうか。
あの日のあの会話を克明に思い出し、二葉の心臓はざわめく。
おあつらえ向きの小雪舞い降りる、クリスマス・イブの告白シーン。
その時もその場所も分かる、と不思議なことを言った苗雅。
奇しくも、桜の開花宣言となったその日、二葉はひとり、一年前の思い出の地、流れ落ちる滝がその動きを止めたような、法金剛院の枝垂れの下に立っている。
苗雅のプロポーズへの返事を携えて、心を決めた二葉は待っている。
静かな足音が、すぐ後ろで立ち止まる気配。
これまでで最大の勇気を振り絞る。
淡い空気を伴って振り返る。
しかしそこに見えるは、まるで面識のない老紳士。
「白駒二葉様ですか?」
「はい」
目線は枝垂れに、思いはいずこに、というまったく上の空にいた二葉は、目の前で起こっている現実世界に、一気に引き戻された。
「突然驚かせてしまい、誠に申し訳ございません。私は、住友苗雅の代理で参りました、住友家執事、久瀬仁哉(くせじんや)と申します」
「白駒二葉です。苗雅さんの代理で?」
少し上ずる声を意識しながら、いつもよりも早いピッチで聞いた。
「これを、白駒様へお渡しするように言付かりました」
こもるような声でそう言うと、正装の紳士は、うぐいす色の封筒を手渡した。
手のひらによく馴染む、すぐに苗雅のことを思い描けるような、しっとりとした和紙の封筒だった。
「ありがとうございます。ところで苗雅さんは、どちらにいらっしゃるのでしょうか?」
「相すみません。私は、これにて参らねばなりませんが、苗雅が申しますには、
その文を是非ともご一読くださいとのことでした」
「はあ、そうですか――承知いたしました」
「恐縮至極にございます。それでは、私は、これにて失礼させていただきます」
お礼の言葉を伝える暇もないほど、まるで小走りするかのように去って行った。
狐につままれたような顔で、久瀬の後ろ姿にお辞儀をして見送った二葉は、突如抜き差しならない胸騒ぎに襲われた。
どうして、直接会おうとしなかったのか。
どうして、手紙なのか。
二つの手紙が収められた封筒。
覚束ず、お気に入りのアジュールブルーのハンドバッグに、無意識にしまわれた封筒。
今あらためて、そろそろと手にする。
おとなしく時を稼いでいた心臓は、トクトクと呼吸を始める。
うぐいす色の封筒の、心許ないくらいに優しく閉じられた広い口を静かにめくると、しっかりと封の閉じられた純白で小ぶりの封筒と、見慣れた達筆が透けて見える三つ折りの手紙が同封されている。
その片方、きれいな三等分で畳まれた手紙を取り出す。
ゆっくりゆっくり、折りを伸ばしてゆく。
一陣の風が通り過ぎると、枝垂れの花びらは、まだ散るものぞとしがみつく。
一行ごとに流れ過ぎる文面は、目の前の世界から彩りを奪っていく。
小刻みに震える両腕を、力いっぱい体に押し付ける。
どんどん浅くなる呼吸。
力尽きて、母なる幹から離れた花びらは、無秩序な動きで蝶の揺蕩うがごとく、その儚い命を大地に戻していく。
果たして二葉の意識も、ひらひらと音も立てずに遠のいていく。
(つづく)