タクシー運転手でもない一般ドライバーが、お金を取って客を運ぶ仕組みが、いくつかの国・地域で以前から始まっている。日本では国の規制があるため海外のようにはなっていない。しかし人材不足と高齢社会が進んでいくことが明白な今、いわば「日本型Uber」の可能性を考えてみたい。
Uber(ウーバー)とはなにか
「withコロナ」といわれる昨今、ウーバーというと飲食店の出前を請け負う仕事を思い浮かべそうになる。しかし、それは「Uber Eats」である。ここで話題にしているのは配車システムとしてのUberであり、Uber Eatsは同様のシステムを応用しているものの異なるサービスである。
さて、そのUberの「本来の」しくみを簡単にいえば、営業用の運転免許を持たない一般ドライバーが、自家用車を使って、有償で客を運送するサービスである。
利用者からみれば、スマホアプリから車を呼べば、付近にいる一般車両がすぐにやってきてくれ、タクシーよりも安い料金で目的地へ運んでくれるというサービスだ。
また登録しているドライバーからすれば、空き時間や思いついた時間に自分のスマホアプリを「受付状態」にして車を走らせていれば、スマホに客の配車要請が入ってくる。いい小遣い稼ぎになるのだ。
安全面での仕組みも考えられている。
利用者にとってもっとも不安なのは、「ドライバーがまともな人物かどうか」だ。
この点に関しては、Uberに登録した一般ドライバーが、実際に仕事を始めてから毎回、利用客の評価を受けることとなっており、その評価が以降の利用者に事前に知らされるようになっている。
逆に、一般ドライバーにとっても「どんな人物が乗ってくるのか」が不安である。こちらの方もやはり、過去の利用実績について多くのドライバーによる評価がされているため、「ヤバそうな客の配車要請は無視する」ということもできる。
金銭授受は現場では行われず、利用者の登録クレジットカードから運賃が引き落とされ、この仕組みを提供しているUberが一定割合を差し引いた後、登録ドライバーの口座に振り込まれる。車内に一定額の現金を置いておく必要もない。
もちろん目的地やそのルートなどは、ナビゲーションシステムと連携しているため、仮に一言も会話しなかったとしても目的は達成できる。
日本の有償運送
さて、日本国内では当然ながら一般のドライバーが金をとって客を運ぶことは法令に違反することになる。
道路運送法によって「自家用車を有償運送の目的に使用すること」という点と「許可を受けずに旅客輸送の事業を行うこと」の2つの点で懲役や罰金を科されることになる。
日本では、人を運んで(そのことの対価として)お金をとる場合は、事業者としての許可を得ることのほか、自家用車(いわゆる「白ナンバー」)ではなく旅客輸送のための自動車(いわゆる「青(緑)ナンバー」)を使用しなければならない。
もちろん運転者は、そのための運転免許である「2種免許」を取得している必要があり、運転者自身もどこでどのように営業運転を行うのかを登録する必要がある。
なお旅館やゴルフ場などが、最寄りの鉄道駅との間に限って客を送迎したり、保護者のお父さんなどが運転して、クラブ活動の子どもたちを送迎したりするような場合は、「白ナンバー」の自動車で「1種免許しか持たない運転者」であっても違法とはならない。これらはあくまでも宿泊やプレーに付随する無料サービスなどであって、運送そのものの対価を得ているわけではないからだ。
もちろん、常識的に考えて付随サービスなどの範囲を超えるような実態が反復・継続していれば、注意や処罰を受ける可能性はある(定員が11~29人の乗用自動車を運転するには、普通免許ではなく最低でも中型免許が必要となる。中型免許の制度ができる以前に大型免許を取っていればもちろんOKだ)。
日本のタクシー行政
ところで乗用車での有償運送というと、思い浮かぶのはタクシーである。タクシーには大きく、法人タクシーと個人タクシーがある。
法人タクシーは「〇〇交通」だとか「△△無線」などといった会社名を車体に書いて走っているもので、乗務員はつまり会社員である。彼らは日本全国どこへ行っても、タクシー運転手として生きる限り、タクシー会社を通して国や各地域の業界団体の管理・監督を受ける。
仮にA県で多数のクレームを受けたり事故を起こすなどしたあと、B県で心機一転頑張ろうと思っても、過去の経歴はバレバレになる仕組みになっており、常識的なタクシー会社なら採用を見送る。
個人タクシーの場合は、会社員ではなく個人事業主である。
つまり個人事業主として、有償の旅客運送事業を国から許されている人々であって、そういう意味では、一定の信頼性が担保されている。
詳細は地域によって異なるが、会社の監督などがなくとも自律的に個人タクシーを営んでいること自体が、一定の社会的信用を表しているともいえる(ただし利用客側から見れば、極端に個性的な乗務員と付き合わされる可能性もある)。
法人タクシーにしろ個人タクシーにしろ、日本では国(国土交通省)と、一定の地理的範囲である「事業区域」内のタクシーを管理・監督する業界団体によって、安全・安心が担保されるようになっている。
Uberの一般ドライバーにはたぶん出来ないこと
さて、日本のタクシー乗務員が一般的にどんな仕事をしているかを見ていく。
ここでは東京事業区域(東京23区と武蔵野市・三鷹市の範囲)を想定するが、他の地域でもほとんど差はない。
法人タクシーの乗務員はシフト制である。昼間だけやるパターン、夜間だけやるパターンもあるが、一般的なのは朝から翌早朝まで乗務し、その日は「明け」となるパターンだ。つまり1勤務するとカレンダーでは2暦日を過ごすことになる。
この勤務日数も法的に上限があるので、たくさん出庫(出勤)して稼ぐなどということはできない。
また1勤務あたりの走行距離(空車時も含むトータル)は365kmとなっているし、乗務する時間帯、営業運転の合計時間とそのうちの休憩時間、連続運転時間などが決められており、これらはすべてデジタル・タコグラフで監視され、運行管理者が見るパソコン画面にアラートが出るようになっている。
もちろん車内・車外ともドライブレコーダーで記録されていて、客との会話も記録されている。
そして、こういった規則に反することがたびたびあると、その乗務員は「乗務停止処分」となり、仕事ができなくなってしまう。またそのような乗務員がいるタクシー会社の方も、稼働できるタクシーの台数を減らされて、経営に影響を与えることになる。
さらにタクシー乗務員は、出勤時と退勤時に、アルコール検査機による検査と、運行管理者との対面による点呼が義務付けられている。これは民間航空会社のパイロットにもない厳しさで、呼気を吹き込んだ検査機が「0.000mg」を示さない限り出庫できないし、帰庫時に検出されれば「乗務時間中に飲酒の可能性」を疑われる。
栄養ドリンクを飲んだり、あんぱんを食べたりしただけでもアルコール検出される場合があるほどだという。
そうはいっても少子高齢社会
東京周辺や都市部で生活していると、タクシーに関してさほど困るということはないかもしれない。また地方都市では自家用車保有率が高いため、タクシーにくわえて運転代行サービスの需要も高いと想像できる。
しかし、日本はなにも東京や地方都市だけで成り立っているわけではない。とくに過疎地域などでは高齢者の「買い物・病院・役所」への移動、観光の移動手段、子どもたちの通学手段などが深刻な問題となっている。
2015年の秋、安倍首相が「過疎地などで観光客の交通手段として、自家用自動車の活用を拡大する」と指示したことにより、いくつかの地域で、一般ドライバーが自家用車を使って有償運送する試みが始まった。
制度開始後どうなったかはほとんど報道されないが、差し迫った実情が日本の各地にある以上、なんらかの対策、規制緩和が求められるのも自然なことである。
Uberが本来目指している、「一般ドライバーが」「自家用車で」「有償運送」するということについては、当然ながら既存のタクシー事業者から猛烈な反発がある。
「旅客の安全とサービスレベルが維持できない」という意見もあるが、端的に言えば、格安の商売敵が増えて、業界の存続が危ぶまれるということだろう。
もちろん、何でもかんでも競争原理を導入すれば、理想的な社会になるわけではない。公共性が高い事業・サービスは、一定のコストがかかっても、担保しなければならないレベルはあるはずだ(コスト負担をどうするかはまた別の問題だ)。
とはいえ、地域差があるこういった問題では、それぞれの地域の実情に即した対応があってしかるべきだろう。
提言
Uberという一民間事業者の参入は別として、地域を限定したうえで、一般ドライバーが、自家用車で、有償運送することは、進めたほうが良いと思う。 問題は「どのように」という部分だ。
個人的には、既存のタクシーのシステムとの共存を図る、いわば「日本型」が良いのではないかと考えている。それは、やはり過疎地などの地域に限って特区承認することである。しかし都市部でそういった仕組みを導入する必要性は無いだろう。
過疎地のような特区でもない限り、やはり一般ドライバーが有償運送することは違法として継続しつつ、スマートフォンを使った配車システムや相互評価システムの部分だけを、既存のタクシーのシステムに適用すればよい。
すなわち現状とほとんど変わらない状態であって、スマートフォン配車システムの競争状態を作ったとしても、一般ドライバーが有償運送するような仕組みに発展させてはならない。
Uberについては、日本国内に既存の配車システムと競うプレーヤーとして参入してもらい、過疎地などの特区を除いて、一般ドライバーに有償運送させるといったことにまで踏み込ませるべきではないだろう。
理由の第1は、こういった仕組み(一般ドライバーが自家用車を使って有償運送すること)を真剣に必要としているのは、過疎地などに限られているからだ。
都市部では公営や民間の路線バスがそれなりに充実しているし、自治体によっては敬老パスのようなしくみもある。
ただ、たとえ都市部とはいってもバスはバス停にしか止まらないので、都合の悪い高齢者もいるはずだ。そこでタクシーの障がい者割引制度を拡充して、障がい者ではない高齢者も、一定の条件をつけて割引の対象とするなどの方法が考えられる。
理由の第2は、先述したようなタクシーと同等の安全レベル(厳格なアルコールチェックや過労運転防止など)を期待することは困難と思えるからだ。
一般ドライバーが、自宅などから気分次第で営業運行を始められるようなしくみでは、タクシーと同等の安全を担保することは困難だろう。
個人タクシーも似たような動きをしてはいるが、彼らは法人タクシー営業での数年間にわたる無事故無違反など、それなりの実績を積んだことによって特別に個人営業を認められているわけで、短期間の思い付きだけで開業しているわけではない。
ただ、乗務員と利用客の相互評価システムを導入することは実質的な意味がある。
タクシー乗務員もピンからキリまでいるのは事実で、利用客が不快な思いをすることもある。そこで、評価の低い乗務員の車は、客がスマートフォンの画面上で選ばないようになり、やがては都市部において質の悪い乗務員を排除していける。
また反対に、泥酔して乗務員に絡んだり、あまりにも態度が悪かったり、車内を著しく汚すような人物は、少なくともスマートフォンでタクシーを呼ぶことはできなくなる。
これらの仕組みの導入にはスマートフォンやオンライン決済などのしくみを併用することが前提となるが、これからの時代「現金が使えないタクシー」が増えていく可能性はある。
確かに「多少リスキーでも不都合でも、とにかく安い方がいい」という人もいる。
事実、都内のタクシーでも一般的な運賃より安く設定するなどして利用客にアピールしているところもある。ただしそれらは、スマートフォン配車ができなかったり、キャッシュレス決済の種類が少なかったり(できなかったり)する。事故の際の任意保険に加入していなかったりする例もあるようだ。
しかし、2種免許も取得していない一般ドライバーが、自家用車でタクシーのような営業行為をすることとは全くスジが違う話だろう。
Uberのような仕組みは、Uber Eatsとおなじく一般人が気軽に金を稼げるしくみであり、過疎地で小規模にやっているならともかく、一定規模以上に普及した場合は、一種の「働き方改革」につながってくる。そういった面でいえば、タクシーの利便性や安全性といったことにとどまる問題ではなくなってくる。
いわゆる「まともな仕事」につけない労働者を増加させる可能性がある。出前代行のUber Eatsでも、事故などのトラブル時の対応や、契約形態の解釈、法的整備なども含めて明確になっていない部分が未だ残っていたはずだ。
日本で非正規雇用が多くなったことによって格差社会が加速したことは、大企業の論理である。しかしUberのようなしくみは、大企業の論理であると同時に、システム統治者(プラットフォーマー)の論理でもある。
さらにいえば、日本の非正規労働者から広く浅く手数料を取り、そこで得られたビッグデータを活用し、しかもそれらの労働者はシステムに依存しつづけるしかなくなる、といったロードマップも透けて見えるようだ。
「便利、格安」といった単純な基準と目先の利益だけで、日本の多くの人々が物事を判断しだすと、それはやがて、自分で自分の首を絞めるような国民になっていくような気がする。