花川倶楽部

  こども達に 豊かな里を手渡すために

伝えるということ

2016年02月19日 | いろいろ
「供養塔といわれている所には
 昔は原爆納骨安置所という
 大きな看板が立っていた。
 それがいつの間にかなくなり、
 入り口ドアの『安置所』の文字も消された。
 資料館の展示はスマートになり、
 見せる資料館になり、
 伝える資料館でなくなった。
 広島は見せるものではない。」

上は、『絵で読む 広島の原爆』の
『復元図絵解き』にある、語部の方の言葉です。



平和公園はとても美しい公園でした。
丹下健三設計の平和記念資料館は、
素晴らしい建物でした。
資料館の展示は小ぎれいで貧粗。
原爆の悲惨さや、
戦争の愚かしさ、
ヒロシマの悲しみが
伝わるものではありませんでした。
被爆者をイメージしたマネキン人形も
撤去が決まっているそうです。
(キレイな顔のマネキンで、
 とても再現はされていませんが…)

海外からの来館者も多く、
中学生の団体もいましたが、
切なさを感じました。

ここでも過去に向き合えない
日本の在り方を痛感しました。
ヒロシマにおいてさえ、
行政に任せたらこの有り様。

どうしたらいいんでしょう。
ボクに何ができるでしょう。
答えが見つかりません。

吉永小百合の祈り

2016年02月15日 | 花川文庫


 編  NHKアーカイブス制作班


「序」
「ヒロシマの空」
「生ましめんかな」
「慟哭」
「帰り来ぬ夏の思い」

こんな胸に突き刺す詩をボクは知らない。


こどもたちと一緒に原爆詩を読んだ時のことを、
吉永さんはこんなふうに振り返っています。
「最初の段階では、これは、
 ちょっとうまくいかないんじゃないかな
 というふうに感じてしまったのですけれども、
 やっていくうちにわかってくれたんです。
 思いが伝わって…。
 伝えようとすることは、
 ばぁーっと誰もが受け止めて下さる
 わけではないけれども、
 でも、そうやって少しずつ、
 次の世代に伝えられればと思います。」

祈る気持ちで読み伝える。
粘り強く続けていく。
忘れないように、
繰り返さないように。
小さなこどもたちにも、
種を蒔くように語りかける。
大人になったとき、
こころにちゃんと育っているように。

吉永さんの朗読は、
今もそのように続いています。


明日、初めて広島を訪れます。

広島の原爆

2016年02月15日 | 花川文庫


 文  那須正幹
 絵  西村繁男


もう20年も前に描かれた絵本です。

原子爆弾投下の前後の広島を、
人物が何をしているかがわかる大きさの鳥瞰図で描かれています。
戦災誌、資料集、写真集、画集など多くの参考文献と、
調査、取材による被爆者や語部の方々の証言をもとに、
一人ひとりの姿を、
一つ一つの建物を、
山や川や海や島々や街並みを、
客観的に描くという基本姿勢を貫いて、
6年の歳月をかけて完成されたのだそうです。
巻末の「復元図絵解き」には根拠となった参考文献や、
証言者の生の声が多く綴られています。
(それでもほんの一部なのでしょうが)

それ以外にも、
マンハッタン計画や原爆のメカニズム。
ヤルタ会談、ポツダム宣言など当時の世界情勢。
そして原爆による被害の実態。
戦後冷戦下の核軍拡などが、
詳細にわかりやすく解説されています。

制作後の作者の話で、
「小さな絵柄だったからこそ、
 被爆者の姿を描くことができたと思っています。
 現実の世界は視覚以外に臭いや体感も加わります。
 被爆の地獄図は、想像しきれない世界だと、
 描きおわったあとも痛感しています。」
と言っています。

先日、新聞の記事だったか、
「震災や福島の原発被害、復興の報道は、
 空撮や外観的な内容が多くて、
 そこに住む一人一人に焦点が当たっていない。」
と言うような話がありました。

そうした傾向は確かにあるのかもしれませんが、
この絵本のように、
多くの体験者との膝の付け合せによって成る成果も存在します。
今、ボクらに必要なのは、
ただ流れてくるだけの情報に頼るのではなく、
自ら求めて、深く知っていく努力なのだと思います。


※この本を手元に持っています。

本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること

2016年02月09日 | 花川文庫


沖縄・米軍基地観光ガイド

 写真  須田慎太郎
 文   矢部宏治
 監修  前泊博盛


写真だけ見てると、
「沖縄って米軍基地の中にあるんじゃないの」って、
そんな感覚にも襲われるガイドブック。

併せて28のコンテンツで、
米軍基地にまつわる歴史や背景が説明されています。

その一つ。
1960年に結ばれた日米新安保条約の本質は、
「実質は9割がた、『米国の日本基地使用協定』だった。」
(村田元外務事務次官)
「われわれは直接、日本の通常型防衛に関する
 いかなる地上・航空戦力も持っていません。
 それは完全に日本の責任です。」
(1970年当時ジョンソン国務副長官)

そもそもアメリカは日本と相互防衛条約を
結ぶことができない。
アメリカ上院が1948年に採択した
ヴァンデンバーグ決議によって、
「自助および相互援助の力」を持つ国でなければ、
アメリカは相互防衛条約を結ぶことはできないと
決めているから。

今回、解釈改憲によって容認した
集団的自衛権の行使には、
新3要件を満たすという条件付き。
あくまで日本の存立危機が前提となっているこの要件付きで、
日本を「相互援助力」を有する国と
アメリカ上院が認めてくれるのか。
火を見るより明らかでしょう。

この本の結論として、
「条約にもとづく大規模な外国軍の駐留は、
 絶対に認めてはならない。
 それは自国の法体系を破壊する」
沖縄での取材によってそう確信したと矢部氏は言っています。

また、
「大切なのは、現行憲法が「密室で米軍によって書かれた」ことを素直に認め、
 歴史をさかのぼってその成立の経緯を学問的に検証することでしょう。
 そして自国の最高法規の条文が本当は何を意味しているのか、
 他の国際条約とどのような関係にあるのか、
 自分たちの力で確定するのです。
 そこからすべてが始まります。」
とも。

政府や与党の強権的な国会運営や沖縄の切り捨て。
秘密主義、報道規制、原発推進、格差拡大の助長。
これだけあからさまにやってくれてんだから、
日本でもやっと民衆自らが勝ち取る民主主義、
立憲主義の時代がやってくるんじゃないか。

お上が決めたものではなく、
あてがわれたものでもなく、
借りてきたものでも、
許されたものでもない。
民衆の、民衆による、民衆のための民主主義。

やっと社会科学で、
国民の深いこころのところで、
みんなでいきてく基盤のところで、
国際標準に近づくチャンスが来てる。
そんな気がする。

沖縄の問いかけ  苦難の歴史と共生の願い

2016年02月03日 | 花川文庫


 著者  隅谷 三喜男


「沖縄を何度か訪れ、沖縄に多くの友人を得、
 その人たちと語り合っているうちに、
 我々本土の人間は、沖縄の、
 そしてウチナンチュの苦難の歴史に思いを致し、
 その悩みを自らの責任と考え、
 〈自己検証〉すべきではないか、
 と考えるに至ったからである。」

本書を書こうと思った理由を、このように綴っています。


激戦からアメリカ占領下へ。
本土から切り離されアメリカの信託統治下に。
ベトナム戦争を経て本土への復帰。
そして復帰後の25年の歩み。
(本書は1998年発行)
沖縄と日米安保の関係、そして基地問題。
ガイドライン(日米防衛協力の指針)という盲点。
戦後基地経済の成立と葛藤。
復帰後の沖縄経済。

経済に関する多くの統計データや、
計画と実績の比較表。
米軍基地に関する規模や地代などの数値。
米軍の演習内容の推移や事故・事件の発生件数。
多面的で実質的な現象把握から、
今に至る沖縄の苦悶(くもん)の姿を示しています。

「そうはいっても沖縄は基地と国の財政支援で食べてるんだろ」
という人がいます。
「そうした状況は元を正せばヤマトンチュがおしかぶせたものである」
ことは明らかです。
(米軍基地関連の経済比率は現状10%以下まで減っている)

「「加害者」としてのヤマトンチュに向けられた
 「問い」にどう答えるべきかを、
 本土の人々と共に考えたいと望んで書いた」
ともありますが、難しさも手伝ってか、
残念なことに多くの本土人には届かなかったようです。
図書館では開架書棚には置かれず、
Amazonのレビューには投稿されず、
新刊の取り扱いはもうありません。

この本が書かれた当時、
まだ海上ヘリポート案だった辺野古の新基地計画が、
V字滑走路と大型艦船(強襲揚陸艦など)が接岸できる
係船機能付き護岸(いわゆる軍港)にまで拡大し、
今まさに工事が強硬に開始されようとしていることを
隅谷さんが知ったら、なんと言われるでしょう。

「沖縄はなおしばし苦難の途を歩まなければならない。」
まるで今の状況を予見するかのような本文の締めくくりです。