はなはな横丁

毎日の暮らしの中で見たり聞いたりしたことをつぶやいています。

篤姫のふるさとを訪ねて

2014-05-20 10:33:46 | 日記
18日は・・・ 歳の誕生日でした。

一年前に行った指宿の「知林ケ島の砂の道」を見に行くことに・・・。

当日は、砂州出現時間がPM1時45分~5時35分と
長い時間現れますのでラッキーと思い
一年ぶりに見る砂州を楽しみに行ったのですが

雨風が強くなりちょっと躊躇してしまいました。
そんな状況でも砂州は出来ていますし、
渡っている人達も数人見えるのですが ・・・

私達は、風邪気味でしたので断念しました。

今度は、6月15日(日)に出直すことにーーー。

写真は写してきました



見える島が「知林ケ島」です。
手前が「田良岬」です。
この間に砂州が出来ます。

では・・・どこに行こうかと考えてみた所、

指宿は、篤姫が幼少の頃育った故郷だったことを
思い出し、そちらに向かうことに。

まず、篤姫が育った別邸の跡に行きました。
黒松林が別邸跡まで続いています。
別邸跡は、指宿市立今和泉小学校になっています。

小学校の前は、錦江湾に面した海岸沿いに
隼人松原と呼ばれる松林と石垣の一部が残っていました







幼少の頃の篤姫です 当時の名前は 於一(おかつ)といいます。
この砂浜で遊んでいたであろうとーーー。












篤姫の一生を調べてみました。

  ※ 天保 6(1835)年
     薩摩藩、今和泉島津家の
忠綱の娘として生まれる

  ※ 嘉永 6(1853)年
     島津家本家 島津斉彬の養女になり
     鹿児島を発ち、
江戸の薩摩藩邸に移る

  ※ 安政 3(1856)年
     近衛家の養女となり、第13代将軍家定の
御台所となる

  ※ 安政 5(1858)年
     家定が死去  後
     落飾し、天璋院と号す

  ※  慶応 4(1858)年
      戌辰戦争勃発
      江戸城無血開城
      大奥解散

  ※  明治元 (1868)年
      江戸から東京と改める

  ※  明治 16(1883)年
      死去   49歳

      以上 でした。