はなはな横丁

毎日の暮らしの中で見たり聞いたりしたことをつぶやいています。

蕎麦の花

2010-10-24 09:57:11 | 日記
 そばの花が、あちこちの田んぼで見られる。
白い小さな花が、可愛い 

そばの美味しい季節になったのですね~。
田舎では、そば打を各家庭でされる所がほとんどで、
よく頂くものでしたが、最近では、そばを打つ人が少なくなってきました。

それでも、たまにそばを打ったからと持ってきて下さる人がいますが・・・ 
やっぱり美味しいですよ

年末の年越しそばになると、あちこちの家庭からいただきます。
やはり、昔からの伝統は各家庭で受け継がれているのかな~と
思います。
毎年、年末の年越しそばを楽しみに待っているだけの私 












さくら

2010-10-16 10:09:33 | 日記
 車で走っていると、あちこちで桜が咲いているのが目に入る。
今年の暑さに桜も異常を感じたのかな~






ようやく、秋らしくなり夏物の整理にかかる・・・。
昨年までの秋~冬物を見てみると、
あれっ
去年どんなの着ていたのかな~
今年着れそうなのが、何もな~い

こうして毎年、衣替えの頃思うのは何故だろう。
去年もそう思って、新着購入したはずなのに

どうしましょう

でも、身だしなみや、何でも欲しがる気持ちが
なくなったら人生寂しいかもね・・・。

と・・・いうところで、来遊あたりちょっとデパート辺りを
散歩してみようかな~   





生駒高原

2010-10-12 10:05:55 | 日記
 小林市生駒高原の100万本のコスモスが満開で、
夜には、コスモス園内にキャンドルライトアップされ幻想的で、
よりコスモスが生えて美しいとのテレビ情報でしたので
早速  にて 

毎年見学には行くのですが、ここ2、3年台風によって
無残な姿になり、残念な思いがしていましたが、
今年は台風もなく、見事な景色でした。
これでこそ、生駒高原です・・・・・・

夕方着いたのですが、キャンドル点火の準備で会場は、
忙しそうでした。

夕方6時から、始まるライトアップのキャンドルを見たかったのですが、
帰りが遅くなりますので、断念して帰路に着きました。

コスモス高原を出ると、高原に向かって車が2~3Kほど数珠繋ぎでした。
これは大変だ~




足元にロウソクの用意がされています。
この白い入れ物の中にロウソクが入っています。
点火されると、キャンドル ライトアップです。
来場の子供さん達に点火の希望者を呼びかけていました。




黄色いコスモスが珍しいかな~。



種類も豊富で、きれいでした。
生駒高原は数年前まで「日本一星がきれいな所」としても
登録されていました。

5時半頃になると、日が落ち始めました。
木の間から見える木漏れ日の夕日がまた美しかった。













池田湖

2010-10-09 17:29:07 | 日記
 指宿市の池田湖には、一時期「イッシー」がいると
騒がれ話題になった事があります。
でも結局、必死の探索にも拘らず見つからなかった。

池田湖は「開聞岳」を背に美しい湖です。
「開聞岳」は、富士山に似ていてその姿は雄大です。
雨天の為、雲がかかって美しい姿をみることができません。







池田湖をモーターボートで一周できます。
ボートからみる景色もなかなかです。



「大うなぎ」がいるのも、観光材料のようです。



この日、薩摩半島は大雨が降ったり止んだり、
大変な日でした。
でも、幸いなことに大雨の時は車の中 
見学の時は雨も止みラッキー 
また、車に乗ると大雨  

目まぐるしい一日でした。





特攻の母

2010-10-06 09:59:51 | 日記
 かの有名な特攻の母「鳥濱トメ」さんの話

鳥濱トメさんの「冨屋食堂」は、知覧分教所が開校されて以来、
軍の指定食堂となっていました。

特攻隊員として知覧飛行場にきた隊員達は、
「鳥濱トメ」さんのことをいつしか「おかあさん」と呼ぶようになったそうです。

昭和20年3月沖縄方面に対する特攻作戦が始まってからは、
鳥濱トメさんは家財道具を売ってまでも、
最後の思い出にと冨屋食堂を訪れてくる特攻隊員をもてなしたといわれています。

現在の冨屋食堂はその当時のままを、
もちろん、食堂はされていませんが展示場として復元されて残っています




トメさんと特攻隊員との悲しい思い出が写真・手紙・遺書・遺詠・等が、
食堂の一階、2階にかず多く展示されています。
おかあさんと慕われたトメさんには、永久に残したい遺品です。

数々ある隊員との思い出の中でも、「宮川三郎少尉」のことが印象的でした。

知覧の特攻隊員「宮川三郎少慰」が出撃の前夜、トメさんに挨拶に来られ、
「明日わたしは沖縄に行き、敵艦をやっつけてくるから、帰ってきたときには、
宮川、帰ってきたかと喜んで下さい」といわれたそうです。
「どんなにして帰ってくるの?」と尋ねたら、
「ホタルになって帰ってくる」と答えたそうです。

そしたら、約束の時間に「ホタル」がやってきたのだそうです。

その当時、冨屋食堂の裏に小川が流れていて、
そこに、一匹の大きな「ホタル」がやってきて、
白い花にとまったそうです。

トメさんは思わず、みんなに、
「このホタルは、宮川サブちゃんですよ」といったそうです。
そして、そのホタルを見ながら、みんなで「同期の桜」歌ったのこと・・・。

この話が「高倉 健・吉永小百合さん主演」の映画「ホタル」が、
撮影され放映されました。

こんな話、あんな話をトメさんは、ビデオに残し
知覧を訪れる人々に切々と語っています。



心にのこる鳥濱トメさんのことば

「散るために
        咲いてくれたか
                 さくら 花 
 ちるほど ものの
           みごとなりけり」




「なぜ生きのこったのか
          考えなさい
  何か
    あなたに   
        しなければ
            ならない ことがあって
                 生かされたのだから」
     

二つの言葉が残されています。

散っても、生きても 勇士であり、意義がある ということでしょうか。

今回も、戦争の悲惨さを、しみじみ感じた一日でした。

 




知覧特攻平和会館

2010-10-01 10:50:28 | 日記
 平和会館には、
知覧基地の指令により沖縄特攻で散華した1036名の隊員たちの、
遺書・日記・手紙・写真など関係資料を収集し、展示しています。
館内のあちこちに特攻にまつわるビデオも放映され、多くの人々の涙をさそう。
また、昭和20年5月に鹿児島県手打港の沖500mに墜落した戦闘機が
昭和55年6月に水深35mの海底から引き揚げられた。
その海軍零式艦上戦闘機の展示をみると、
大きく折れた機体は、操縦席をあらわにし無残で残酷としかいいようがない。
その戦闘機に乗って特攻の地へ向かった特攻兵の悲しい気持ちが痛いほど
伝わってきます。
その他にも、大きく傷ついた機体が展示されています。

会館の外には、三角兵舎が残っています。
この兵舎で、特攻出撃の命を受けた隊員たちが過ごした
最後の場所だったのです。
半地下式木造で、屋根だけが地面に出ているような形から
「三角兵舎」と呼ばれたそうです。
それは、敵機に発見されないようにとの目的でその屋根には、
樹木がかぶされて、中はじめじめしていたと聞きます。
ここで、隊員たちは、談笑したり遺品の整理をしたりしながら、
遺書を書いたそうです・・・・・。




三角兵舎の中です。
せまいです。突撃までとはいえ・・・・・