精神科医・斎藤学(さとる)/メタモル出版
「毒親」について、今までフィクションや体験漫画くらいで精神科医の本を読んだことがなかったのですごく勉強になりました。
毒親と呼びたくなるようなひどい親は確かに沢山いる。けれど治療者である著者は、「毒親に育てられたから自分はダメ」と思考停止して親を責めるだけになってしまうことに警鐘を鳴らしています。
メディアの功罪も、次のように指摘しています(要約)。
* * *
名付けをすることは、すでにある物事を発見する手だてになる。例えば「児童虐待」や、「DV」という言葉が広まったことで、それまでは「厳しいしつけ」「ひどい夫婦ゲンカ」と思われていたことが、社会的に受け入れられない(犯罪的な)「暴力」として認識されるようになった。
一方で名付けをすることは、理解しないためのレッテル貼りにも利用される。名付けをしたことで簡単に安心してしまい、それ以上は理解を深めようとせず、「あいつは、新型うつだからダメだ」というように、ただ非難したり排除したりするために言葉を使ってしまう。
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毒親と「そうでないと親」との境界線はなく、人の成長過程で自分の親を毒親とみなす(はしかのようなもの)ことも多いそうです。
これは、本当に苦しい思いをしている人にとっては冷たくて無理解な言葉に聞こえるかもしれません。私なんかが当事者に言ったらダメなんだと思う。
しかし、この著者は「毒親論」が宿命として語られるのを否定し、どんなにひどい親に育てられたとしても、その人の未来には明るい可能性があると力説してます。
先日読んだ「鹿の王」にも、治療者は「運命」という言葉で片付けられない、治療を諦めない、というような言葉があったのを思い出しました。そういうことなんだな、と少しわかったような気になってます。
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