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花日和 Hana-biyori

小説『あひる』

今村夏子著(角川文庫)

3つの短編、連作とも言えそう。どれも子どもの存在を、癒やしとか可愛いとか呼びつけるのを真っ向から拒否しているような作品だと感じた。


数年前に評判を見かけていて読んでみたかった『あひる』。読後感は「こんな薄気味悪い話だったのかあ…」という衝撃があった。

孫が欲しい父母と暮らす独身女性の視点で語られる。暴力的だった弟は結婚して家を出ているが、子どもはいない。

あるとき父が、あひるの「のりたま」をもらい受けて来たことから、静かな一家の生活に変化が訪れる。のりたまのおかげで家が近所の子どもたちのたまり場になり父母は喜ぶが、やがてのりたまは体調を崩してしまう。

のりたまは父が「病院へ」連れていき、戻ってくると前とは様子が違っていた。要するに父は新しいあひるを仕入れて来たのだ。しかしそれをはっきり口にする者はいなかった。

あひるが代替えのきく存在にされるのも怖いが、父母は子供らの名前も覚えることはなく刹那的で一層気味が悪い。

三歳の子が終盤に大人たちに向かって言う無邪気でシンプルな問いがしんどかった。凄みのある作風だ。


次の『おばあちゃんの家』は、はなれで一人住まいのおばあちゃんを思う10代の孫娘の視点で、しかし一人称語りではない。

優しい思い出とともに、壊れゆくおばあちゃんへの危機感が滲んでいてこちらも不穏さがあった。

ただ、若干退屈して飛ばし読みしてしまい、次の『森の兄妹』を読んで「あっこれは」と気が付き、もう一度ちゃんと読み直した。

母子家庭で育つ小2男子、モリオの生活を描く『森の兄妹』と、同じ舞台で展開していたのだ。



モリオの話は色々と不憫で没入感ふかく読んだ。

小さい妹のモリコの世話をしながら森でおやつを調達するモリオ。あるときうっかり踏み込んだ人家でびわの木を見つけて貪り食うが、小窓から老婆の顔がのぞいていて驚いて逃げてしまう。

この老婆が、『おばあちゃんの家』に出てきたおばあちゃんなのだった。

おばあちゃんの優しさが子供を癒やしそうになるし、老婆も子供に癒やされそうになるけれど、寸前でそういう温かそうな交流は寸断される。

だからといって冷たい残酷なことが起こるわけではなく、ただモリオは目の前の楽しい出来事に心を奪われて普段の生活に戻っていくだけだ。

「子どもって具体的に目の前にある今を生きている存在だよなあ」という当たり前のことが改めて思い起こされた。
 
平易な言葉で読みやすい小説だったけれど、美しい場面の描写もあり、淡々として絶妙な匙加減の文章がよかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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