ブログ 浜松市平和委員会 2

へいわが好きでせんそうに反対する市民団体「浜松市平和委員会」は核兵器も戦争も暴力もない地球をめざします。

戦争遺跡シリーズ  浜北区の「九勇士散華乃碑」 20211128

2021-11-28 15:35:53 | 戦争遺跡・戦争遺物

戦争遺跡シリーズ  浜北区の「九勇士散華乃碑」 20211128

 浜松市には戦前から日本陸軍の航空軍事基地があったので、アジア=太平洋戦争末期に、アメリカ空軍戦闘機に撃ち落とされて亡くなった爆撃機搭乗員たちの慰霊碑がいくつもあります。これはそのうちのひとつです。

 『浜松市文化財ブックレット4 遠州山辺の道を歩く』という、浜松市が発行したA5判で64ページのカラーパンフレットが手元にあります。

 その29ページに「九勇士散華(さんげ)乃碑」が載っています。

 そのまま引用すると「麁玉(あらたま)公民館から250mほど南に建つ。昭和20年(1945)7月1日、浜松陸軍飛行学校キ六七式重爆撃機が、米艦載機グラマンの攻撃を受けて撃墜され、9名の搭乗員が機と運命を共にした。墜落地には、昭和53年【 注 西暦1978年 】に近隣住民有志によって建てられた慰霊碑があり、裏面に経緯が刻まれている。」

 場所は、あらたま公民館のすぐ東を南北に走る道路を250mほど南で、すぐ西に細い道を入ったすぐです。細い道の北側に龍燈、南側に慰霊碑があります。

 以前に、このブックレットで見に行って確認し、写真も撮ったのだが、所在がわかりません。古い写真が見つかるか,新しい写真が撮影できしだい、写真を載せることにします。

        ( 雨宮智彦 )


戦争遺跡 「明野陸軍飛行学校天竜分教場跡」又は「竜洋袖浦公園」

2021-10-16 13:42:35 | 戦争遺跡・戦争遺物

戦争遺跡 「明野陸軍飛行学校天竜分教場跡」又は「竜洋袖浦公園」


 当時の名称は「明野(あけの)陸軍飛行学校天竜分教場跡」で、今の名称は「竜洋袖浦公園(りゅうようそでうらこうえん)」です。

 住所は 〒438-0216 磐田市飛平松125-1 です。

 戦争中の1939年に工事が始まり、東西1600mの滑走路2本や格納庫・兵舎が作られました。

 現在の「竜洋袖浦公園」には当時の格納庫の跡だけがあります。

 航空自衛隊浜松基地から払い下げられたFー86Fジェット戦闘機が1機置かれています。


戦争遺跡 3 東区半田山のトーチカ 20210929

2021-09-29 09:16:27 | 戦争遺跡・戦争遺物

戦争遺跡 3 東区半田山のトーチカ 20210929


 半世紀前のアジア・太平洋戦争中にアメリカが上陸して来たときに備えた、つまり本土決戦用につくられたコンクリートのトーチカです。

 この中に兵隊が潜んで、上陸して来たアメリカ軍に対して、開いた銃丸から迎え撃つための軍事施設です。

 実際に使われたことは、ありません。

 場所は浜松市東区の浜松環状線沿い、台地へ上っていく直前、エイデンと桜井製作所船岡工場の南、ちょうど信号の東、「カーテンじゅうたん王国半田店」の西です。

 すぐ東に仏教と民俗信仰の「法源堂」があります。その前に桜井製作所が立てた法源堂の説明板に、このトーチカのことが書かれています。
 
 位置がうまく環状線の道路の南と細い歩道のあいだにあるのは、もしかしたら移築したのか、あるいは、そのままの位置なのか不明です。

 上陸軍が攻めてくるはずの方向を剥いていないのも、考えるべき点です。

 「トーチカ」とはロシア語で「点」という意味で、防衛したい拠点である台地の上の陸軍三方原飛行場のまわりに、こういう防衛「点」がたくさん作られたようです。
 
 現在では、このトーチカひとつだけが残っています。

 最終探訪は2017年12月。写真は2015年10月撮影です。

                              <雨宮智彦>