私の雑記帳

ちょっと!始めてみました、頑張ってみます。

今日原爆の日 長崎平和式典が

2007-08-09 | 今日の出来事


「戦争の悲惨さ、平和の大切さ」

平和学習青少年派遣事業に行き終えて振り返ってみると・・・
長崎に原爆が落とされたのは昭和20年8月9日。一発目の原子爆弾によって
市街の建物が一瞬で粉砕されると共に多くの人々が命を失い、キレイだった
長崎の街は汚れ、今も沢山の人が苦しんでいます。それは誰でも知っている
事実なのに、なぜか現代の人達はそのことに対する考えが少ないと思います。
私も行く前はその中の一人でした。学校の教科書や本に載っていることだけで
長崎の原爆を知ったような気になっていました。
私が長崎に行こうと思ったのは、そんな考えを変えるためです。
この事業をきっかけに戦争の悲惨さや、今がどんなに平和で
幸せなのか知ろうと思ったのです。
原爆の悲劇を本当に知るには、実際触れてみるのが大切なのではないかと
私は思います。その上でとても重要な場所、原爆資料館に行きました。
そこには被爆した方が着ていた服、影となった人の写真、爆風ゃ放射線
熱線による被害を受けた人々の痛々しい写真、そして被爆した人々の証言
そのもの一つ一つから色んな思い出が細かく伝わってきました。その中
で特に印象的だったのが、原爆の放つ強い熱によって変形したガラスと
人間の骨が一つになってしまった物です。とても考えられません。
人間の骨がガラスと一緒に固まってしまうなんて・・・しかし、そこには
普通ではないものばかりがたくさん展示されていました。私はそこで見た
数々の事実に大きな衝撃を受けました。
まだ原爆をよく知らない人、日本に生きる人みんなに一度は、原爆資料館に
行き、同じように衝撃を受けてほしいとおもいました。
その後は、実際に原爆体験をされた方との話を直接聞きました。
本当に辛かったことは誰だって話したくないはずなのに、それを私達に
すべて話して下さいました。語っている姿はとてもたくましく、大きく
みえました。方言が入っていて聞き取れなかった部分もありましたが
一つ一つを強く話していたのでその悲惨さが響いてきました。中でも
心に残っているのは、助けを呼んでいる人を見捨てなくてはならなかったと
言う一言でした。重みのある言葉でした。
そしてフィードワークに参加し、61年たった今も原爆の悲惨さを表している
風景を歩いて自分の目で見てまわりました。爆風で半分しかない鳥居、真っ黒く
色が変わっている階段など本当にこの街に原爆が落とされてしまったのだなあ
あらためて感じさせられました。8月9日を迎えた長崎は、なんとなく静かな
空気が流れているように私は感じました。全国から式典に参加するために
やってきた人々皆がしっかりとした思いを持っていたからこそ、この静かな
空気を作り出したのだと思います。
とても暑く日差しが暑い中、式典は原爆によって死没された方々の名簿奉納
からはじまりました。毎年原爆死没者が増えているという確かな現実は
重く受け止めなければならないと思います。
11時2分、長崎に原爆が落とされた時間。その時間に黙祷がささげられ
ました。たくさんの参加者が一斉に静まり返り、死没された方々の冥福を
祈りました。「平和への誓い」という被爆者の代表の方の言葉もとても
印象的で私は聞いていて、もう誰にもこんな思いをしてほしくないと深く
心の中でおもいました。
最後に色んな地方から来た人達が集まり、班で分かれて平和について話し
合いました。いろんな意見を出し合った結果、私達ができることは被爆の
悲惨さや、平和の尊さをみんなに伝えたり、身近な問題を解決していく
ことなんだ!となりました。知らない人と話し合ったり仲良くなれたし
色々勉強になりました。こうやって私達が幸せに生活している今でも
世界のどこかで戦争が行われています。多くの人達が恐怖におびえ、苦しみ
命をうばわれています。そして長崎をあんな風に無残にも焼き尽くした
核兵器はいまだに世界に存在しているのです。出来ることなら核兵器
原子爆弾、戦争をなくしてもらいたいです。しかし、世界に原爆が
あるということは、いつ戦争が起きて、いつ原爆が使われ、いつ悲劇が
起こるかわからないのです。私達も平和を願い、平和な世界をつくる努力
をしなければならないと思いました。
もう二度とあの悲劇が起こらないように・・・・・。