東京港の貨物専用鉄道は、東京市が1930年に汐留駅から芝浦駅を
結んだのが始まりで、その後深川線・晴海線・芝浦線・日の出線と
増設されていき東京港の貨物専用線の総延長は24キロメートル余に
なりました。
高度経済成長期には化石燃料・塩・新聞巻取紙・穀物・果物野菜などの
生鮮食品を取り扱い、その取扱貨物量は、170万トンに達しました。
貨物は鉄道輸送から自動車輸送に転換し鉄道貨物取扱量も年々減少し
1985~1989年までに順次芝浦・日の出線・深川線・深川・晴海線が
廃止となりました。
こうして鉄道貨物輸送に貢献してきた東京港の貨物専用線は
約半世紀にわたる使命を終えて姿を消しました。


東京都港湾局専用線 晴海橋梁

豊洲橋梁

深川線分岐点跡
晴海橋梁先の晴海側の機関庫跡等
ほとんどが撤去(撮影2014年)されていて残っていない。
結んだのが始まりで、その後深川線・晴海線・芝浦線・日の出線と
増設されていき東京港の貨物専用線の総延長は24キロメートル余に
なりました。
高度経済成長期には化石燃料・塩・新聞巻取紙・穀物・果物野菜などの
生鮮食品を取り扱い、その取扱貨物量は、170万トンに達しました。
貨物は鉄道輸送から自動車輸送に転換し鉄道貨物取扱量も年々減少し
1985~1989年までに順次芝浦・日の出線・深川線・深川・晴海線が
廃止となりました。
こうして鉄道貨物輸送に貢献してきた東京港の貨物専用線は
約半世紀にわたる使命を終えて姿を消しました。


東京都港湾局専用線 晴海橋梁

豊洲橋梁

深川線分岐点跡
晴海橋梁先の晴海側の機関庫跡等
ほとんどが撤去(撮影2014年)されていて残っていない。
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