【関東大震災】に於ける朝鮮人虐殺の真相~当時の新聞を読む3

▼ というわけで、大正12年(1923年)9月5日の地元新聞記事より
書き起こします。(震災より四日後)
【今回の不逞鮮人の系統は上海及間島】
【今秋を期して秩序破壊の行動に出づる所を今回の震災を機會に勃発】
●々方面に於いて今回の不逞鮮人の暴挙に就き●察せる●に依れば
その系統は上海及間島の不逞鮮人にして●てより今秋●行せらるる
○○○○○●日を期して秩序破壊の行動に出づる預定なりしを
はからずも今回の震災を機會とし諸般の行動に及びたる極めて
憎むべき性質に属するを以って當局に於いては徹底的に
不逞鮮人を絶滅する方針らしいと云う ダイナマイト及拳銃其他
の武器の系統に就いては詳しかならざるも多分●國製の
ものなりと云う
【宮で捕へた鮮人 爆彈は燒けた牛缶】
横濱東京の地圖を携帯せる者あり三日夜は寝ずの警戒
不逞鮮人入込みたりとの報に宇都宮市は三日夜は消防青年團の総出と
なり停車場は無論●所を警戒し尚各町青年團も町内の不寝番を
為し棍棒竹●鳶口を携え密行を行い停車場前の如きは彌次馬●集し
戦争の如き混亂を来し動きもならぬ雑踏を呈し列車の着毎に
二人三人づつ朝鮮人を発見し或いは汽車の屋根より引き下ろし
或いは今泉町瓦斯タンク附近に追ひ込み或は専賣支局内に追い込み
格闘の末取り押へ警察に突き出したるが中には真黒に焼けたる
牛缶を二個携帯し居るものあり的切爆彈と誤認し警察に同行されし
者もあり中には逃走せるるまま姿を失へるあり中には川に飛び込み
しま●所在不明となれる者あり塙田町及び壽町青年團等は壽町
八百升前の森の木に人の●したりとて手に手に鳶口棍棒を携え
取り囲み数十分に亙り捜索せるも何者か判明するに至らず眞光寺●には
塙田町青年團●詰かけ夜明けまで握り飯を喰いつつ寝ずの番し
歩兵第五十九連隊にては各中隊より二名づつの監視兵を派遣し着剣のまま
市内を警戒したるが鮮人を取り押へしのみにて別に異常無く不安の中に
夜を明かし河内郡城山村にては五十九連隊に鮮人忍び込み爆彈を投げ
込みたりとのひ語を耳にし青年團消防手等不寝番を為す事となり
警戒中鮮人二名発見し彼等は爆彈を所持せる如く装ひ逮捕を免れん
とし身には東京及横濱の地図を所持したり恐るべき陰謀あるものの
如く豪語したるより引き捕へ警察に突き出し四日も八幡山附近にて
トランクを携帯の鮮人二名取り押へたるが警察にては行商中のものは
取調の上直に放還したるも保●をうけるべきもの及不審者と認むるべき
ものは検束し居れり

▼ そして、日本人とも朝鮮人とも書いてありませんが、
活動家(過激派)の暴挙も…
【挙動不審の看護婦の帽子から爆彈発見】
三日午前中小石川富坂町附近の一救護班内に挙動不審の看護婦を
発見せるより直に富坂署に引致し身体検査を行ひたる
處帽子の裏より一個の爆彈を発見せるより即刻嚴刑に處したり
▼ あの辺りでその格好は…確かに怪しいが…
【社会主義嫌疑者捕はる】
警備中の清滝青年團並に消防隊は四日午前六時半頃
足尾街道を徘徊し居りたる白洋服を着せし怪しき男を
社会主義の嫌疑者として捕へ日光警察署に引渡せり
…と、記事を読んでいると、この時代の背景が徐々にわかって
来ます。
最初の記事『今回の不逞鮮人の系統は上海及間島』
『今秋を期して秩序破壊の行動に出づる所を今回の震災を機會に勃発』
震災のあった1923年、その6年前(1917年)、4年前(1919年)
には何があったか?
そう、ロシア革命から始まり、三・一運動(朝鮮)~五四運動(中国)
の流れの『反日運動』…
この異常な朝鮮人に対する警戒は既に震災のはるか前から始まって
いました。
政府、マスコミもこの時点では『朝鮮人要注意』であったことは
間違いないでしょう。
そして、震災による人心不安な時節に、朝鮮人(活動家)が一件でも
具体的な行動を起こせば…そして、新聞で全国に拡散されれば…
(巻き込まれた一般の朝鮮の方、特に地方
に於いて取締や暴行を受けた方は誠に気の毒としか申せませんが)
一気に火が点くのは当然の事。
『デマで朝鮮人が大勢殺された』…これは物事の一部しか観ない誤り
であることが分かります。
時代の背景だけでもかなり複雑な状況の中、何が真実であり、
何が誤りであるのか?更に勉強していきたいと思います。
以上。今日はこのへんで レキのニュース・スクラップ
~関東大震災後 1923年9月5日の新聞より
▼ 関連ブログ(ランキング)を表示します。クリックお願いします!




▼ というわけで、大正12年(1923年)9月5日の地元新聞記事より
書き起こします。(震災より四日後)
【今回の不逞鮮人の系統は上海及間島】
【今秋を期して秩序破壊の行動に出づる所を今回の震災を機會に勃発】
●々方面に於いて今回の不逞鮮人の暴挙に就き●察せる●に依れば
その系統は上海及間島の不逞鮮人にして●てより今秋●行せらるる
○○○○○●日を期して秩序破壊の行動に出づる預定なりしを
はからずも今回の震災を機會とし諸般の行動に及びたる極めて
憎むべき性質に属するを以って當局に於いては徹底的に
不逞鮮人を絶滅する方針らしいと云う ダイナマイト及拳銃其他
の武器の系統に就いては詳しかならざるも多分●國製の
ものなりと云う
【宮で捕へた鮮人 爆彈は燒けた牛缶】
横濱東京の地圖を携帯せる者あり三日夜は寝ずの警戒
不逞鮮人入込みたりとの報に宇都宮市は三日夜は消防青年團の総出と
なり停車場は無論●所を警戒し尚各町青年團も町内の不寝番を
為し棍棒竹●鳶口を携え密行を行い停車場前の如きは彌次馬●集し
戦争の如き混亂を来し動きもならぬ雑踏を呈し列車の着毎に
二人三人づつ朝鮮人を発見し或いは汽車の屋根より引き下ろし
或いは今泉町瓦斯タンク附近に追ひ込み或は専賣支局内に追い込み
格闘の末取り押へ警察に突き出したるが中には真黒に焼けたる
牛缶を二個携帯し居るものあり的切爆彈と誤認し警察に同行されし
者もあり中には逃走せるるまま姿を失へるあり中には川に飛び込み
しま●所在不明となれる者あり塙田町及び壽町青年團等は壽町
八百升前の森の木に人の●したりとて手に手に鳶口棍棒を携え
取り囲み数十分に亙り捜索せるも何者か判明するに至らず眞光寺●には
塙田町青年團●詰かけ夜明けまで握り飯を喰いつつ寝ずの番し
歩兵第五十九連隊にては各中隊より二名づつの監視兵を派遣し着剣のまま
市内を警戒したるが鮮人を取り押へしのみにて別に異常無く不安の中に
夜を明かし河内郡城山村にては五十九連隊に鮮人忍び込み爆彈を投げ
込みたりとのひ語を耳にし青年團消防手等不寝番を為す事となり
警戒中鮮人二名発見し彼等は爆彈を所持せる如く装ひ逮捕を免れん
とし身には東京及横濱の地図を所持したり恐るべき陰謀あるものの
如く豪語したるより引き捕へ警察に突き出し四日も八幡山附近にて
トランクを携帯の鮮人二名取り押へたるが警察にては行商中のものは
取調の上直に放還したるも保●をうけるべきもの及不審者と認むるべき
ものは検束し居れり

▼ そして、日本人とも朝鮮人とも書いてありませんが、
活動家(過激派)の暴挙も…
【挙動不審の看護婦の帽子から爆彈発見】
三日午前中小石川富坂町附近の一救護班内に挙動不審の看護婦を
発見せるより直に富坂署に引致し身体検査を行ひたる
處帽子の裏より一個の爆彈を発見せるより即刻嚴刑に處したり
▼ あの辺りでその格好は…確かに怪しいが…
【社会主義嫌疑者捕はる】
警備中の清滝青年團並に消防隊は四日午前六時半頃
足尾街道を徘徊し居りたる白洋服を着せし怪しき男を
社会主義の嫌疑者として捕へ日光警察署に引渡せり
…と、記事を読んでいると、この時代の背景が徐々にわかって
来ます。
最初の記事『今回の不逞鮮人の系統は上海及間島』
『今秋を期して秩序破壊の行動に出づる所を今回の震災を機會に勃発』
震災のあった1923年、その6年前(1917年)、4年前(1919年)
には何があったか?
そう、ロシア革命から始まり、三・一運動(朝鮮)~五四運動(中国)
の流れの『反日運動』…
この異常な朝鮮人に対する警戒は既に震災のはるか前から始まって
いました。
政府、マスコミもこの時点では『朝鮮人要注意』であったことは
間違いないでしょう。
そして、震災による人心不安な時節に、朝鮮人(活動家)が一件でも
具体的な行動を起こせば…そして、新聞で全国に拡散されれば…
(巻き込まれた一般の朝鮮の方、特に地方
に於いて取締や暴行を受けた方は誠に気の毒としか申せませんが)
一気に火が点くのは当然の事。
『デマで朝鮮人が大勢殺された』…これは物事の一部しか観ない誤り
であることが分かります。
時代の背景だけでもかなり複雑な状況の中、何が真実であり、
何が誤りであるのか?更に勉強していきたいと思います。
以上。今日はこのへんで レキのニュース・スクラップ
~関東大震災後 1923年9月5日の新聞より
▼ 関連ブログ(ランキング)を表示します。クリックお願いします!


