宮崎勤の死刑が執行された。
彼とはもちろん直接の面識もないし、彼自身の書いたものを読んだこともないし、無関係な人間と言えば、言い切れるわけだが、一つの時代の終焉を感じた。
彼をヲタクの象徴だと言うと、特にネットワーク界隈ではすごく反発をくらうだろう。
いや、私自身、そういう議論になった時に、彼とヲタクは別物だと主張してきたクチだ。・
彼が逮捕された前後で、彼に関する様々な情報とともに、彼自身の容姿も何度も放送された。それを見るたびに、私はすごく嫌な気持ちになった。
雰囲気が似ているのである。
そして、彼の犯罪、彼の趣味、彼の容姿から、世間のヲタク像が確立されていった。
彼が登場する前から、ある種の集団をヲタクと呼び始めていた。そして、ヲタクとハッカーの違いについて、私の周辺でも議論する人たちがいた。
私と、ヲタク文化の関わりについても、少し話をしておいたほうがいいだろうか。
私は、幼稚園に上がる前から、本とテレビが大好きで、テレビを見せておけば、いつまでも機嫌よく遊んでいる育てやすい子供だったとうちの母が語っていた。
ところが、小学校に上がった時点で既に近視で眼鏡を必要としていたので、うちの母は私にテレビや本を与えすぎたと反省し、物心ついた頃には、既に本とテレビは一日30分までと決められていた。
「帰ってきたウルトラマン」「仮面ライダー」「8時だよ!全員集合」と見たい番組がいっぱいある中で、どれのどの部分を30分見るかということを一生懸命考えた。
小学校3年生の遠足のバスの中で「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲をみんなで合唱するということがあったが、その時に「宇宙戦艦ヤマト」って何?っていう状態で、恥ずかしく思ったのを今でも覚えている。「宇宙戦艦ヤマト」にはまったのがヲタク第一世代であるとの記事をどこかで読んだが、この時点で、既にヲタク脱落していたのである。
中学、高校と上がるにつれて、テレビへの興味が薄れ、小説、コミックスのほうに移っていった。
中学生の同級生で、クラス一番の秀才だった子が、僕に小説版ガンダムを貸してくれて、これが如何にすごいものかを熱心に伝えようとしたのだが、アニメにほとんど興味を失くしていた僕には、全然伝わらなかった。
その頃から既にヲタク的風貌があり、秀才の彼から見ても、僕はそういうアニメに燃える人間に見えたのかもしれないが、ここで、「ガンダム」からも脱落している。
高校の時に文芸部に入っていたが、図書室で調べ物をしていて、帰りが遅くなり、図書室を出たところ、理科実験室のほうが妙な声がして、何かと見たら、無線部から独立したマイコン部の部員達が、何かの実験に成功して歓声を上げていたのだった。
彼らは何をやっているのだろうと興味を持って調べ、世間にロボットとかマイコンとか(TK-80とか)があるのを知った。しかし、結局、それにも手を出さなかったので、PCヲタ第一世代にもなり損ねている。
まだそれが何なのかよくわからなかったが、大学で工学部に進学した。そして、その授業の一環で、コンピューター演習という科目を履修し課題に取り組んでいる最中に、「コンピューターは前から順番にしか処理できない。」ということ、それの持つ深い意味に啓示的衝撃を受けた。
この啓示の内容について、当時の僕にはきちんと語る言葉を持っていなかったが、後に専門課程の情報工学の中でチューリングマシンについての講義があり、この内容が完全に僕の受けた啓示と一致していて、しかもそれをずっと広範囲に渡って数学的に正確に述べられてしまったので、先人の偉大さに敬服しながらも、そこで学問領域として完成されてしまっていることに大変不満を覚えることとなった。
とにかく、この衝撃をきっかけにして、コンピューター演習でできることがあまりにも制限されているので、自分でMSXパソコンを買って、その後は、大学の授業と家庭教師のバイト以外は、ほとんどMSXパソコンをいじるのに時間を費やすことになる。
また、その大学生の頃に、確か日曜日の朝だと記憶しているが、「うる星やつら」のアニメ放送が始まっており、妹と一緒に毎朝見ていた。
これをうちの母はひどく嫌っており、子供向けのアニメを成人式も済ませたいい大人が見ることにずっと文句を言い続けていた。
しかし、NHKの大河ドラマよりも、他のどんなドラマよりも、いやそれなりに読みふけった小説よりも、アニメ「うる星やつら」は名作だと思っていたが、その魅力について理解できる人が周囲におらず、非常に残念だと思っていた。ところが、時代は遥かに進んでいて、この「うる星やつら」に集まった人たちは、既にヲタク第二世代の人たちとなっていたことを後に知ることになる。
とにかく、この大学生の頃から、PCや機械に強く、アニメが好きで、奇妙なものをコレクションする新しい世代の人間がいることが目立ち始めた。
で、気がつくと、自分もそういう集団の一人になっていることに気がついた。
大学のPC仲間から、コンピュータークラブ加入へのお誘いももらっていたが、集団行動がそもそも嫌いな僕は、一人で自分の趣味に没頭していた。
この時点では、面白いアニメは見るが、別にコレクションはしていないし、「パトレイバー」は大学の研究室で回し読みしてる漫画雑誌でリアルタイムで読み、名作だと思ったんで、全巻買い揃えたが、それくらいで、特にヲタクと呼べるほどの趣味ではないと思っている。
そして1989年、宮崎勤による幼女誘拐殺人事件が発生し、冒頭で述べた大報道につながるわけである。
うちの母や、大学の「まっとうな」友人たちから見ると、私の容貌と、PCへの傾注、そして「うる星やつら」「パトレイバー」に対してある程度知っていることで、十分にヲタクだという認定を受けてしまった。
まだ「まっとうな」友人たちのほうは、面白がっているだけだったが、うちの母からすると、息子が色濃くヲタク風であったことは、かなり不満な様子で、まあ特にファッション面と趣味の面で色々と日々お叱言をちょうだいすることとなった。
アニメ関連の情報を交換する友人は、幸か不幸か周囲にいなかったが、PC関連の濃い人々は周囲にいっぱいいた。彼らは、一連のヲタク報道には相当クールに見ていたし、自分たちよりもずっとすごいヲタクな人たちがいることを知っていたので、ある意味他人事であった。
これらの報道の中で、特に私の劣等感を刺激したのは、当時の女性のコメントだった。
当時は既にバブル前夜の過熱が始まっており、元気な若い女性たちが目立ち始めていた。
女子大生ブームが過ぎ、女子高生ブームが始まっていた頃だと思う。
宮崎勤事件のコメントの中で、彼のファッションを気持ち悪いと非難するコメントがマスコミ報道でちらちらと見受けられたのだった。
いや、彼の犯罪と、彼のファッション、趣味、嗜好は関係ないだろう。というか、一緒にするのはやめてくれと、かなり強く思いました。
でも、報道されているのは、匿名の個人なので、誰に向かって文句を言えるわけもなく、私と関係ないところで、そういうイメージの増殖がせっせと行われていることに、非常に不愉快に思ったのである。
個人的な事情を長く書いたが、私にとって、彼の最大の罪は、ヲタクの代表的なイメージとして、キモヲタのイメージを確立し、マスコミを通じて、世間に大きく流布させてしまったことである。
まあ、これまで、私に向かって、まっすぐ「キモヲタですか?」と聞いてきた失礼な人は一人もいない。聞いてもらえれば、ここまで書いてきた、趣味として似た領域に興味を持っているが、決してヲタクと言えるような状況でないことを、縷々と説明できたであろう。
ただ、やはり、そう思われているのだなと思ったエピソードはその後、3件ほどあり、
・会社の先輩に、「君こういうの興味あるでしょ。」と、セーラームーンショーのチラシを渡された。
・高校の頃からの親友と、社会人になってから、二人でドライブをしたときに、彼の車の中で延々とアニメソングを聞かされた。
「そろそろ聞き飽きたんで、普通のFMを流していい?」
と聞いたら、
「え!君のために、昨日徹夜して編集してきたのに」
って言われた。
・ 会社の後輩とカラオケに行った時、歌える歌がなくて、黙っていると、気を利かせたつもりの後輩がアニメメドレーをリクエストしてくれ、さらにアニメソングを知らない私に歌わせる。
事実かどうかはわからないが、一部の女性からはきっとキモヲタだと思われていたに違いない。逆に、そう思われかねない自分というのに対する恐怖というのもあり、世間のそういう偏見をなんとか払拭したいと思ったものである。
ヲタクのファッションセンスが特殊であることを以って非難する人もいるみたいなので、ファッション、もしくはヲタクを非難する側の人について何か書きたい気がするが、それはまだまとまっていない。
このヲタクの呪縛を解いてくれたのは、うちの奥さんである。加藤容疑者は「恋人がいないのが全て悪い」といった内容をネットに書き込んでいたみたいだが、全面的に信頼できる人がいるということ自体が一つの救いになるということはあると思う。
彼女は、僕が知っている濃いヲタたちに比べると、全然まともであるが、ヲタ文化に関する造詣は僕より圧倒的に深い。
って言っても、ガンダムや、エヴァや、パトを普通にテレビ放映で見て、一部ビデオを買っていたり、コミックのコレクションがそれなりにあるという程度だが。
もちろん身なりに無頓着ということはないし、きちんとした社会性もある。
その彼女に、まあ、あなたは見事に外見だけヲタで、それ以外に関しては、本当にヲタという資格はないわ。と言われたのであった。
それから、もう一つ、キモヲタとか大きなお友達とかいう困ったちゃんがいるものの、第二世代以降、ヲタは細分化してしまい、ヲタ=宮崎勤なんて、いつの話をしているの?と
こちらもばっさり気持ちよく切られてしまった。
「いや、僕はそんなこと、ちっとも考えてないけど、世間が…」
「世間って、誰のことよ。」
うん、別に僕は、世の中の全ての女性に理解される必要なんてなくて、きちんとわかってくれる人が一人いればいいんだ。
というわけで、最後はのろけて終わってしまうわけですが。
安心して夫婦で暮らせている中で、宮崎勤処刑のニュースを聞くと、本当に一つの時代が終わったのだなと、ほっとした。
彼とはもちろん直接の面識もないし、彼自身の書いたものを読んだこともないし、無関係な人間と言えば、言い切れるわけだが、一つの時代の終焉を感じた。
彼をヲタクの象徴だと言うと、特にネットワーク界隈ではすごく反発をくらうだろう。
いや、私自身、そういう議論になった時に、彼とヲタクは別物だと主張してきたクチだ。・
彼が逮捕された前後で、彼に関する様々な情報とともに、彼自身の容姿も何度も放送された。それを見るたびに、私はすごく嫌な気持ちになった。
雰囲気が似ているのである。
そして、彼の犯罪、彼の趣味、彼の容姿から、世間のヲタク像が確立されていった。
彼が登場する前から、ある種の集団をヲタクと呼び始めていた。そして、ヲタクとハッカーの違いについて、私の周辺でも議論する人たちがいた。
私と、ヲタク文化の関わりについても、少し話をしておいたほうがいいだろうか。
私は、幼稚園に上がる前から、本とテレビが大好きで、テレビを見せておけば、いつまでも機嫌よく遊んでいる育てやすい子供だったとうちの母が語っていた。
ところが、小学校に上がった時点で既に近視で眼鏡を必要としていたので、うちの母は私にテレビや本を与えすぎたと反省し、物心ついた頃には、既に本とテレビは一日30分までと決められていた。
「帰ってきたウルトラマン」「仮面ライダー」「8時だよ!全員集合」と見たい番組がいっぱいある中で、どれのどの部分を30分見るかということを一生懸命考えた。
小学校3年生の遠足のバスの中で「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲をみんなで合唱するということがあったが、その時に「宇宙戦艦ヤマト」って何?っていう状態で、恥ずかしく思ったのを今でも覚えている。「宇宙戦艦ヤマト」にはまったのがヲタク第一世代であるとの記事をどこかで読んだが、この時点で、既にヲタク脱落していたのである。
中学、高校と上がるにつれて、テレビへの興味が薄れ、小説、コミックスのほうに移っていった。
中学生の同級生で、クラス一番の秀才だった子が、僕に小説版ガンダムを貸してくれて、これが如何にすごいものかを熱心に伝えようとしたのだが、アニメにほとんど興味を失くしていた僕には、全然伝わらなかった。
その頃から既にヲタク的風貌があり、秀才の彼から見ても、僕はそういうアニメに燃える人間に見えたのかもしれないが、ここで、「ガンダム」からも脱落している。
高校の時に文芸部に入っていたが、図書室で調べ物をしていて、帰りが遅くなり、図書室を出たところ、理科実験室のほうが妙な声がして、何かと見たら、無線部から独立したマイコン部の部員達が、何かの実験に成功して歓声を上げていたのだった。
彼らは何をやっているのだろうと興味を持って調べ、世間にロボットとかマイコンとか(TK-80とか)があるのを知った。しかし、結局、それにも手を出さなかったので、PCヲタ第一世代にもなり損ねている。
まだそれが何なのかよくわからなかったが、大学で工学部に進学した。そして、その授業の一環で、コンピューター演習という科目を履修し課題に取り組んでいる最中に、「コンピューターは前から順番にしか処理できない。」ということ、それの持つ深い意味に啓示的衝撃を受けた。
この啓示の内容について、当時の僕にはきちんと語る言葉を持っていなかったが、後に専門課程の情報工学の中でチューリングマシンについての講義があり、この内容が完全に僕の受けた啓示と一致していて、しかもそれをずっと広範囲に渡って数学的に正確に述べられてしまったので、先人の偉大さに敬服しながらも、そこで学問領域として完成されてしまっていることに大変不満を覚えることとなった。
とにかく、この衝撃をきっかけにして、コンピューター演習でできることがあまりにも制限されているので、自分でMSXパソコンを買って、その後は、大学の授業と家庭教師のバイト以外は、ほとんどMSXパソコンをいじるのに時間を費やすことになる。
また、その大学生の頃に、確か日曜日の朝だと記憶しているが、「うる星やつら」のアニメ放送が始まっており、妹と一緒に毎朝見ていた。
これをうちの母はひどく嫌っており、子供向けのアニメを成人式も済ませたいい大人が見ることにずっと文句を言い続けていた。
しかし、NHKの大河ドラマよりも、他のどんなドラマよりも、いやそれなりに読みふけった小説よりも、アニメ「うる星やつら」は名作だと思っていたが、その魅力について理解できる人が周囲におらず、非常に残念だと思っていた。ところが、時代は遥かに進んでいて、この「うる星やつら」に集まった人たちは、既にヲタク第二世代の人たちとなっていたことを後に知ることになる。
とにかく、この大学生の頃から、PCや機械に強く、アニメが好きで、奇妙なものをコレクションする新しい世代の人間がいることが目立ち始めた。
で、気がつくと、自分もそういう集団の一人になっていることに気がついた。
大学のPC仲間から、コンピュータークラブ加入へのお誘いももらっていたが、集団行動がそもそも嫌いな僕は、一人で自分の趣味に没頭していた。
この時点では、面白いアニメは見るが、別にコレクションはしていないし、「パトレイバー」は大学の研究室で回し読みしてる漫画雑誌でリアルタイムで読み、名作だと思ったんで、全巻買い揃えたが、それくらいで、特にヲタクと呼べるほどの趣味ではないと思っている。
そして1989年、宮崎勤による幼女誘拐殺人事件が発生し、冒頭で述べた大報道につながるわけである。
うちの母や、大学の「まっとうな」友人たちから見ると、私の容貌と、PCへの傾注、そして「うる星やつら」「パトレイバー」に対してある程度知っていることで、十分にヲタクだという認定を受けてしまった。
まだ「まっとうな」友人たちのほうは、面白がっているだけだったが、うちの母からすると、息子が色濃くヲタク風であったことは、かなり不満な様子で、まあ特にファッション面と趣味の面で色々と日々お叱言をちょうだいすることとなった。
アニメ関連の情報を交換する友人は、幸か不幸か周囲にいなかったが、PC関連の濃い人々は周囲にいっぱいいた。彼らは、一連のヲタク報道には相当クールに見ていたし、自分たちよりもずっとすごいヲタクな人たちがいることを知っていたので、ある意味他人事であった。
これらの報道の中で、特に私の劣等感を刺激したのは、当時の女性のコメントだった。
当時は既にバブル前夜の過熱が始まっており、元気な若い女性たちが目立ち始めていた。
女子大生ブームが過ぎ、女子高生ブームが始まっていた頃だと思う。
宮崎勤事件のコメントの中で、彼のファッションを気持ち悪いと非難するコメントがマスコミ報道でちらちらと見受けられたのだった。
いや、彼の犯罪と、彼のファッション、趣味、嗜好は関係ないだろう。というか、一緒にするのはやめてくれと、かなり強く思いました。
でも、報道されているのは、匿名の個人なので、誰に向かって文句を言えるわけもなく、私と関係ないところで、そういうイメージの増殖がせっせと行われていることに、非常に不愉快に思ったのである。
個人的な事情を長く書いたが、私にとって、彼の最大の罪は、ヲタクの代表的なイメージとして、キモヲタのイメージを確立し、マスコミを通じて、世間に大きく流布させてしまったことである。
まあ、これまで、私に向かって、まっすぐ「キモヲタですか?」と聞いてきた失礼な人は一人もいない。聞いてもらえれば、ここまで書いてきた、趣味として似た領域に興味を持っているが、決してヲタクと言えるような状況でないことを、縷々と説明できたであろう。
ただ、やはり、そう思われているのだなと思ったエピソードはその後、3件ほどあり、
・会社の先輩に、「君こういうの興味あるでしょ。」と、セーラームーンショーのチラシを渡された。
・高校の頃からの親友と、社会人になってから、二人でドライブをしたときに、彼の車の中で延々とアニメソングを聞かされた。
「そろそろ聞き飽きたんで、普通のFMを流していい?」
と聞いたら、
「え!君のために、昨日徹夜して編集してきたのに」
って言われた。
・ 会社の後輩とカラオケに行った時、歌える歌がなくて、黙っていると、気を利かせたつもりの後輩がアニメメドレーをリクエストしてくれ、さらにアニメソングを知らない私に歌わせる。
事実かどうかはわからないが、一部の女性からはきっとキモヲタだと思われていたに違いない。逆に、そう思われかねない自分というのに対する恐怖というのもあり、世間のそういう偏見をなんとか払拭したいと思ったものである。
ヲタクのファッションセンスが特殊であることを以って非難する人もいるみたいなので、ファッション、もしくはヲタクを非難する側の人について何か書きたい気がするが、それはまだまとまっていない。
このヲタクの呪縛を解いてくれたのは、うちの奥さんである。加藤容疑者は「恋人がいないのが全て悪い」といった内容をネットに書き込んでいたみたいだが、全面的に信頼できる人がいるということ自体が一つの救いになるということはあると思う。
彼女は、僕が知っている濃いヲタたちに比べると、全然まともであるが、ヲタ文化に関する造詣は僕より圧倒的に深い。
って言っても、ガンダムや、エヴァや、パトを普通にテレビ放映で見て、一部ビデオを買っていたり、コミックのコレクションがそれなりにあるという程度だが。
もちろん身なりに無頓着ということはないし、きちんとした社会性もある。
その彼女に、まあ、あなたは見事に外見だけヲタで、それ以外に関しては、本当にヲタという資格はないわ。と言われたのであった。
それから、もう一つ、キモヲタとか大きなお友達とかいう困ったちゃんがいるものの、第二世代以降、ヲタは細分化してしまい、ヲタ=宮崎勤なんて、いつの話をしているの?と
こちらもばっさり気持ちよく切られてしまった。
「いや、僕はそんなこと、ちっとも考えてないけど、世間が…」
「世間って、誰のことよ。」
うん、別に僕は、世の中の全ての女性に理解される必要なんてなくて、きちんとわかってくれる人が一人いればいいんだ。
というわけで、最後はのろけて終わってしまうわけですが。
安心して夫婦で暮らせている中で、宮崎勤処刑のニュースを聞くと、本当に一つの時代が終わったのだなと、ほっとした。
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