最近、ネット上の掲示板でのやり取りをベースにした本が2冊出版されました。
1冊は、もうすっかり有名になった「電車男」、もう1冊は、僕もblog サービスを利用しているgoo の「教えてgoo 」の「今週妻が浮気します。」
電車男は、SABO さんの紹介記事がわかり易いです。
そして、「今週...」のほうは、うちの奥さんがここで紹介しています。
ついでに、うちの奥さんは、僕のスタンスまで説明してもらっていまして、「いいねー、これ以上言うことないじゃん。」と余裕ぶちかましていたら、「せっかくの面白いネタなんで、きちんと読んで、何か書け。」と怒られました。
一応、goo のサービスの中なんで、こっちからもリンクしておきます。
で、うちの奥さんにも話したのですが、僕はこの浮気スレに対して何かコメントする気は全くありませんでした。このスレに対して、僕が感じたことを以下列挙します。
1. 回答する側が過剰な思い入れで語っている。相談者はそんなこと言ってないじゃんというところまで、自分の想像力で補って書いている。
2. 相談者は全ての回答に対して、全てお礼コメントをしている。(偉い!)しかし、お礼コメントの中で、徐々に明かされる真実というのがあって、相談者は(おそらく意図してやっているのではないのだろうが)いくつかのカードを隠すことによって、回答者の過剰反応を引き出すのに、成功している。
3. 2 とも関係するが、相談者は、そもそも最初に全ての状況を提示するのは、不可能である。回答者が相談者の状況を推測して質問をし、それに相談者が情報を提示するのであるが、どのカードを見せるのかは、相談者の自由である。例えば、この場合、被告である妻の弁護人が不在で、相談者は、いくらでも妻の罪状をあげつらうことが可能である。
4. この事件は、相談者のお礼コメントから推測すると、一見極めて劇的な展開を迎えて解決(?)するのであるが、ことごとく、相談者の一人称視点で語られているに過ぎず、相談者の視点以外(例えば妻の視点、浮気相手の視点、子供達の視点)での語りは、そもそも求めようがない。
ネット上で議論する際の最大の特徴は、身体性というのが完璧に排除されてしまう点である。
これは、例えば、僕みたいに、割とトロくて、ゆっくりと喋るタイプで、しかも比較的長い文章を喋りたい人間にとっては、とても大きなメリットです。
大体、最後まで喋りきる前に、話題をとられてしまうし、ひどい場合なんて(うちの母ですが)、
「あんたの話はややこしくて長くて、聞いているほうがいらいらするわ。もっとうまく喋るようにしなさい。」なんて怒られたりします。で、最近は、非常に不正確ではあるが、わかり易く短い文章で喋るようにしてますが、喋り終えた後、相手が話し始めたときに、僕の頭の中では、まだ、自分の喋った文章の不足点を補うコメントが流れていたりします。
うちの奥さんの場合は、僕がある種の中庸パンダであり、自分の立場のバランス点を説明するのに、時間がかかることを理解してくれていまして、こちらが正確に話そうとしている時には、最後まで待ってくれます。性格的にはイラチのはずなので、偉いと思います(こっちも手前味噌返ししました)。
ネット上のコメントなら、こうして誰にも邪魔されず、最後まで話せる上に、自分の話した内容が舌足らずと感じたら、読み返してもっと追加するなんて、阿漕な真似までできますもんね。
で、実際の恋愛とか、夫婦生活とかって、限りなく身体性そのものだと思います。
僕が、顔見知り以外の人の恋愛相談についてコメントする気がしないと言ったのは、この身体性の欠如により、直感的な事実がわからないからです。
いや、相談内容が特殊で、身体性という側面を横においておいて、一般論として議論しても十分面白いネタがあると、絶対何かコメントすると思いますが。
元のgoo の議論でも、「奥さんが浮気するのは、あなたにも何か原因があるんじゃないの?」という問いが為されます。この問い自体は意味があるのですが、相談者は果たしてこの問いに正しく答えることができるのでしょうか?
自分が持っていて意識しているものに対しては、もちろん自分でコメントできますが、自分の持っていないもので持っていないことを意識していないものに対しては、絶対にコメントできませんよね?
そういうことを指摘できるのは、その人の身体性について何らかの関わりを持てた人が、自らの身体性と照らし合わせて初めてできることだと思います。
相談者のお礼報告をまるまる信じるとすれば、この問題は、相談者が自らの身体性によって解決しました。非常に正しいと思います。
ただ、その正しさについて、当方、検証・確認する術を持たず、また、それは相談者の身体性によって、個別に解決された問題なので、これについて、読んだ人が自分も同じ方法で解決できるわけもなく、結果として、僕達のようなネットで眺めていた野次馬にとっては、手の届かないところで解決された話だと思うのですが。
結局そうなのよと空しくなるだけなので、コメントを避けてきたのですが、うちの奥さんに引き摺りこまれてしまいました。うぅ。
1冊は、もうすっかり有名になった「電車男」、もう1冊は、僕もblog サービスを利用しているgoo の「教えてgoo 」の「今週妻が浮気します。」
電車男は、SABO さんの紹介記事がわかり易いです。
そして、「今週...」のほうは、うちの奥さんがここで紹介しています。
ついでに、うちの奥さんは、僕のスタンスまで説明してもらっていまして、「いいねー、これ以上言うことないじゃん。」と余裕ぶちかましていたら、「せっかくの面白いネタなんで、きちんと読んで、何か書け。」と怒られました。
一応、goo のサービスの中なんで、こっちからもリンクしておきます。
で、うちの奥さんにも話したのですが、僕はこの浮気スレに対して何かコメントする気は全くありませんでした。このスレに対して、僕が感じたことを以下列挙します。
1. 回答する側が過剰な思い入れで語っている。相談者はそんなこと言ってないじゃんというところまで、自分の想像力で補って書いている。
2. 相談者は全ての回答に対して、全てお礼コメントをしている。(偉い!)しかし、お礼コメントの中で、徐々に明かされる真実というのがあって、相談者は(おそらく意図してやっているのではないのだろうが)いくつかのカードを隠すことによって、回答者の過剰反応を引き出すのに、成功している。
3. 2 とも関係するが、相談者は、そもそも最初に全ての状況を提示するのは、不可能である。回答者が相談者の状況を推測して質問をし、それに相談者が情報を提示するのであるが、どのカードを見せるのかは、相談者の自由である。例えば、この場合、被告である妻の弁護人が不在で、相談者は、いくらでも妻の罪状をあげつらうことが可能である。
4. この事件は、相談者のお礼コメントから推測すると、一見極めて劇的な展開を迎えて解決(?)するのであるが、ことごとく、相談者の一人称視点で語られているに過ぎず、相談者の視点以外(例えば妻の視点、浮気相手の視点、子供達の視点)での語りは、そもそも求めようがない。
ネット上で議論する際の最大の特徴は、身体性というのが完璧に排除されてしまう点である。
これは、例えば、僕みたいに、割とトロくて、ゆっくりと喋るタイプで、しかも比較的長い文章を喋りたい人間にとっては、とても大きなメリットです。
大体、最後まで喋りきる前に、話題をとられてしまうし、ひどい場合なんて(うちの母ですが)、
「あんたの話はややこしくて長くて、聞いているほうがいらいらするわ。もっとうまく喋るようにしなさい。」なんて怒られたりします。で、最近は、非常に不正確ではあるが、わかり易く短い文章で喋るようにしてますが、喋り終えた後、相手が話し始めたときに、僕の頭の中では、まだ、自分の喋った文章の不足点を補うコメントが流れていたりします。
うちの奥さんの場合は、僕がある種の中庸パンダであり、自分の立場のバランス点を説明するのに、時間がかかることを理解してくれていまして、こちらが正確に話そうとしている時には、最後まで待ってくれます。性格的にはイラチのはずなので、偉いと思います(こっちも手前味噌返ししました)。
ネット上のコメントなら、こうして誰にも邪魔されず、最後まで話せる上に、自分の話した内容が舌足らずと感じたら、読み返してもっと追加するなんて、阿漕な真似までできますもんね。
で、実際の恋愛とか、夫婦生活とかって、限りなく身体性そのものだと思います。
僕が、顔見知り以外の人の恋愛相談についてコメントする気がしないと言ったのは、この身体性の欠如により、直感的な事実がわからないからです。
いや、相談内容が特殊で、身体性という側面を横においておいて、一般論として議論しても十分面白いネタがあると、絶対何かコメントすると思いますが。
元のgoo の議論でも、「奥さんが浮気するのは、あなたにも何か原因があるんじゃないの?」という問いが為されます。この問い自体は意味があるのですが、相談者は果たしてこの問いに正しく答えることができるのでしょうか?
自分が持っていて意識しているものに対しては、もちろん自分でコメントできますが、自分の持っていないもので持っていないことを意識していないものに対しては、絶対にコメントできませんよね?
そういうことを指摘できるのは、その人の身体性について何らかの関わりを持てた人が、自らの身体性と照らし合わせて初めてできることだと思います。
相談者のお礼報告をまるまる信じるとすれば、この問題は、相談者が自らの身体性によって解決しました。非常に正しいと思います。
ただ、その正しさについて、当方、検証・確認する術を持たず、また、それは相談者の身体性によって、個別に解決された問題なので、これについて、読んだ人が自分も同じ方法で解決できるわけもなく、結果として、僕達のようなネットで眺めていた野次馬にとっては、手の届かないところで解決された話だと思うのですが。
結局そうなのよと空しくなるだけなので、コメントを避けてきたのですが、うちの奥さんに引き摺りこまれてしまいました。うぅ。
「今週妻が浮気します」の切実なコメントに感嘆しています。
私も、あまり自分からすすんでコメントする方では
ないので、この相談コーナ(?なんと言えばいいのでしょう?)も
始めの出だしと結論を読んで感動だけしたタチです。
ですので、h_tutiyaさんがこのお話について
しっかり考えていらっしゃるので正直驚いています。
なるほど、そんな見方もあるのか・・・と
ネット世界と現実の次元の相違は難しいですよね。
嘘も真実もネット世界にはあるけれど、
どちらなのかは第三者には分からない。
確かめようもないですし、真実だとしても
話の背景までは把握できないものです。
この話も、もしかすれば全部作り話かもしれません。
そんなネット世界に身をおく者として、
ある一定のラインを引くべきだと私も思います。
でも、世の中ラインを引ける人ばかりでは
ないのが現実ですよね。少し寂しい気もしますけど
家庭内初コメント、ありがとうございます。
つーか、家庭内トラックバックしたのは確かに僕ですが。
今も後ろでノートPC開いて、ネットやっている人にコメント返すってどうよ。
やっぱ、うちって仲悪い?(苦笑)
ただ、あのスレッドをずっと読んでいて、回答者の人がみんな自分の言いたいことを言っているだけじゃんという苛立ちを覚えたのも事実であり、本の紹介には、ネットによる集団セラピーって言っていたけど、ほんまかいなと、ついつい思ってしまったのも事実です。
うちの奥さんは、これがフィクションだとしても、上質のフィクションとして楽しめればいいんじゃないかと言っていて、それも一つの見識だと思います。
そして、家庭内だじゃれぱんだであることも、これまでブログ読者には、全く知られていなかったのに、正体がばらされてしまった。(照)
文章にするととっても恥ずかしいおやじギャグをかましながら、肉じゃが作っていたのです。
ネットの上にある嘘とか真実は、わりと嘘のほうがくるっと回って真実を示していることが多いので、私は好きです。真実は、自らを真実だと言って回っているものほどうさんくさいので、それはそれでいみじいです。
でもこの辺りの仕分けは、社会人もしくはミステリ読みをやっていると、つい第二の天性になってしまうような気がします。嘘と真実ともしも取り違えてしまっても、このあたりなら命にはかかわらないですしね。
ところでよんだよ、浮気の話はそんなに上質のフィクションじゃないと思うよ。ただ、面白いことは面白い。上質っていうのはニューシネマパラダイスとかあれレベルだと思ってんだ私。
旦那さまには、いつも適切なアドバイスを
コメントしていただいている三人グミの一メンバーです。
夫婦同士でブログ仲間なんて、とても素敵だなぁと思っておりました。
まさか、奥さまにコメントをしてもらえるなんて光栄です!
私も、結構議論で熱くなる性質なので
理屈っぽいのは好きですよ。
と言いつつすぐ感情に走ってしまうのですが・・・・。
この「浮気」も面白半分で読んで、すぐ感動してしまいました。
ダメですねぇ。もっと深く考えられたらいいんですけど、
のー天気な性格なものでして・・・
何が面白いってお友達がどんどんとブログに参加されているそのさまが面白い。祝8号。びっくりしました。
こんどお邪魔申し上げますね~
普通に楽しいと理由もありますが、
それだけでなくもうすぐ卒業なので、
今後もブログでクラスの輪が
繋がってたらいいなぁ。
という思いが多分あるんだと思います
(そうだよね皆!?)
私も「今週妻が・・」が紹介されていてgooでさらりと読みました。
本当にさらり、、なんです。
私の読み方は当事者である男性、つまりほとんど相談者のコメントしか読みませんでした。
自分でもなぜそうしたかはわからなかったのですが、ここに来てh_tutiyaさんの「回答者の人がみんな自分の言いたいことを言っているだけ」の言葉を見て、「そお、そお、、、」と納得しながら・・
おっしゃる通り私も回答には興味もないし、ほとんど読みもしませんでした。
ただ、相談者が回答者の回答に反応されてた場合は回答者の書き込みも読みましたが・・
でも、私が思ったのは、回答者がどうであれ、回答内容がどうであれ、相談者は確実に回答者と言う人たちと交流して変化してるんですね。そのすごさは感じました。