このほど、サービス付高齢者住宅へ入居しました。いままでURの広いところに住んでいたので、荷物をどうするか悩んでいたのですが、いつかはこういう形を取らざるを得ないと思い、入居に踏み切りました。9月1月かけて少しずつ運びましたが、入らないものも沢山あり処分するものもできてきました。多く運び込んだので寝る場所つくりも毎日苦労しています。落ち着くまでまだ暫くかかりそうです。
なにも動かなかった8年間、これからきっと動いていくと信じます。
活力溢れる枚方。
高齢者が生き生きと暮らしていける街、
認知症になっても安心して暮らせる街、
市長を先頭に、やる気のある有能な職員を活かす枚方市となつて貰いたい。
市長、おめでとうございます。
活力溢れる枚方。
高齢者が生き生きと暮らしていける街、
認知症になっても安心して暮らせる街、
市長を先頭に、やる気のある有能な職員を活かす枚方市となつて貰いたい。
市長、おめでとうございます。
今朝、仙台から夜行バスで帰って来ました。仙台は20℃でした。気仙沼から陸前高田と見て回ったのですが、トータルで見るとまだまだ復興は、進んでいないと思います。劣悪な仮設住宅で沢山の人が苦しい生活を送っているのを見るとこのやり方かわ正しいのか疑問が湧いてきます。
陸前高田一本松
何年も動き続けているコンベア
陸前高田一本松
何年も動き続けているコンベア
塩屋崎からスタートした復興の確認は、いわき市周辺の防波堤工事は、かなり進んでいるようにも、見えましたが、原発近くは、今も死のまちのままで、有名ファミレスやDIYの看板が侘しく立っています。原発で働く人を乗せたバスが何台も走っています。今日は、大川小学校をたずねました。沢山の子供たちが亡くなられたことを思うと涙が出てきます。こんなに海から遠かったのかと不思議に思いました。
塩屋崎灯台に咲くヤマユリ
震災の記憶を残す大川小学校
塩屋崎灯台に咲くヤマユリ
震災の記憶を残す大川小学校
毎年恒例の東北ツアー、5年目です。今年は、復興状況を見るほかに、アテルイ関連で田村麻呂史跡も見て回ります。田村市が田村麻呂から来たことをさいきんまで知らなかったのは、ちょつと恥ずかしい思いです。田村市内には沢山の伝承があり田村麻呂がこのあたりで戦ったことは事実なのかとは思いますが、802年とかですから。
大鏑矢神社 田村麻呂が射た鏑矢が落ちた
田村麻呂と戦った地元の英雄
大鏑矢神社 田村麻呂が射た鏑矢が落ちた
田村麻呂と戦った地元の英雄