おじさんの独り言

団塊の世代の呟きです。

新聞配達 休み

2014-10-22 02:24:58 | Weblog
高校二年生の時、弁論で大阪での全国大会へ出場が決まった。
新聞配達は皆勤手当てがもらえなくなるが、どうしても行きたかった。
もう一つ問題があった。
この年九州管内の大会に前年を大幅に超えて出場していたために予算を使い切っていた。
弁論部の顧問の先生と話していると、他の先生から
「職員会議に出すけんまっとけ」と、言われ翌日
「職員会議はダメじゃった。先生たちから寄付をもろうたけん」と
大阪行きの費用半額をわたされた。新聞配達でためた貯金を加え大阪に行った。
献血運動と応援団の話をして結果は三位だった。
宿舎に帰るとテレビでニュースが流れていて優勝者より私の扱いが大きく嬉しかった。
翌朝、夜行列車で久留米に帰り着くと、駅に迎えに来ていたのは明善高校に行っていた友人一人だった。
テレビのニュースは大阪ローカルで九州では誰も見ていなかった。
この月、新聞配達の給与は皆勤手当てはなかったが、新聞店の主人が特別手当を付けていてくれていつもより多かった。
後日、生徒総会で
学校の金を使って遠征して賞品を私している。と、非難された。
賞状と盾は学校に提出したが、賞品のメダル、アルバム、蛍光灯スタンド(他にもあったかも)は自分で持っていた。
三年生になってもこの状況は変わらなかったので生徒総会はサボった。
当然優勝できると思っていた宮崎での九州大会で入賞に終わった。
翌日、顧問の先生に宮崎市内観光連れて行ってもらい嬉しかった。
50年前の話だ。

新聞配達 その2(茶碗酒)

2014-10-21 11:13:10 | Weblog
高校2年生の時、一クラス63人で教室のなかは机で溢れていた。
その時、私の席は入口に一番近い最前列だった。1時間目が数学で授業が終わってから先生から職員室に来るように言われた。
この先生は私が福岡大学の弁論大会で優勝した時に授業の始まりに優勝弁論をやれと数学の時間に弁論をやらせた先生だった。
職員室に行くと
「目の周りが赤い、酒の臭いがする。」
「今朝寒かったので、いつもは一杯の茶碗酒を今日は二杯飲みました。」
「以後はやめろ」
といわれた。その後二杯飲むのは止めた。
三年生になって卒業間近、担任の先生から職員室に呼び出された。
この先生は、月曜日の遅刻が多いので注意をされた。
「新聞配達の時、自転車がパンクしました。」(早朝野球をしていた)
と、答えると真顔でタイヤを買い替えろと叱った先生だった。
「目の周りが赤い、酒の臭いがする。」
「朝、ウイスキーボンボンを食べすぎました」
と、答えると他の先生から
「バカ」と平手で頭をたたかれてその場はお開きになった。
無事卒業はできた。
50年前の話だ。

新聞配達

2014-10-20 10:57:20 | Weblog
10月15日の朝日新聞天声人語に元出雲市長岩國哲人さんが新聞配達をしていたことが書かれている。
私も高校の3年間新聞配達をしていた。その新聞店に小学生の男の子と女の子を連れて新聞配達に来る母子がいた。
男の子が頼みに来てしばらくおいて母親も来るようになり母子で二つの区域で新聞を配っていた。
店の主人に児童保護法違反ではないですか。
と、言うと「親父が酒と競輪で家に金を入れん。しょんなか。飯が食えんちゃもん」
と言って監督署から注意されながらも雇い続けた。
50年前の話だ。新聞配達員も今は様変わりしている。
その店の主人は久留米商業の先輩で、夕刊配達員が休むと代わりをよく頼まれた。
時々、賃金の代わりに文化街に連れて行ってもらった。
クラブで飲んでいると生活指導部の先生と鉢合わせしたことがある。
翌日、恐る恐る学校へ行くと何事もなかった。
その後もお咎めがなく、無事卒業できた。
50年前の話。