舟橋聖一 1904年(明治37年)12月25日~1976年(昭和51年)01月13日
東京市本所区横網町に東京帝国大学助教授舟橋了助の長男、旧制水戸高等学校、東京帝国大学文学部卒業、大学在学中に『朱門』の同人となる。
『丹羽文雄とのライバル関係は有名で、丹羽さんの話をすると機嫌が悪くなった。丹羽文学は禁句だった。
昭和30年代の終りごろ毎年、芸術院会員の発表がある11月が近づくと周期的に神経がいらだってくる兆候が見えた。そこに自分の名がなく、ライバルや後輩の名前が出ることが続いたから。
昭和40年、還暦翌年の10月、眼疾を患い心楽しまぬ日々を送るようになり一段と癇癪持ちになった。家族や使用人、診察に来る医師たちにも完全主義を振りかざし屋敷の中には不機嫌からくる陰気さが漂っていた。医者を信用せず」医者を変えているうちにやぶ医者にひっかかり左目を失明する。
勲章好きで昭和50年秋文化功労章をもらうことになったが弟妹達がお祝いの品物を届けなかったと大癇癪を起している。その後心臓喘息の発作を起こし年が明けて13日大発作を起こし日本医大付属病院に運び込まれ急性心筋梗塞で死去。
「兄は煩悩の塊と言ってよい人だった。その死に顔を見たとき、私は兄の体から、もろもろの煩悩がまるで見えない煙かなんぞにになってすうーツと空中へぬけて行くような感じを受けた」』(船橋和郎『兄・船橋聖一の素顔』より)
主な作品
戯曲『白い腕』・『ダイヴィング』・『木石』・『雪夫人絵図』・『悉皆屋康吉』・『花の生涯』・『江島生島』・『新・忠臣蔵』・『お市御寮人』