『スプートニクの恋人』に次のような箇所がある。下はその英訳である。
(1)そして本を読みながら夜明けがやってくるのを待った。
I sat, reading, waiting for the dawn.
また、『1Q84』に次のような箇所がある。下はその英訳である。
(2)そしてあたりが暗くなり始めると、再び鐘撞き台に上ってそこに身を潜め、夜明けがくるまで猫たちの行動を観察した。
When darkness approaches, he hides in the top of the bell tower again and observes the cats’ activities until dawn.
「夜明けが(やって)くる」がdawnだけで訳されている。
もちろん、「夜明けが(やって)くる」がcomeで表されないというわけではない。次例(3)参照。
(3)夜明けがやってきて、ニワトリが鳴き、東の空が明るくなると、七人のリトル・ピープルは仕事をやめて、それぞれにのびをした。『1Q84』
When the dawn comes and the cock crows and the eastern sky lightens, the seven Little People stop working and begin stretching.
また、「くるのを待つ」の「くる」がcomeで表されないというわけではない。次例(4)参照。
(4)小さな黒い蜘蛛がそこにへばりついて、小さな獲物がやってくるのを我慢強く待っていた。『1Q84』
To each web clung a small black spider, patiently waiting for its small prey to come along.
ということは、日本語頭では、「夜明けが来るのを待つ」でも「夜明けを待つ」でも良いが、英語頭では、「夜明けが来るのを待つ」という発想はないということか?
(1)そして本を読みながら夜明けがやってくるのを待った。
I sat, reading, waiting for the dawn.
また、『1Q84』に次のような箇所がある。下はその英訳である。
(2)そしてあたりが暗くなり始めると、再び鐘撞き台に上ってそこに身を潜め、夜明けがくるまで猫たちの行動を観察した。
When darkness approaches, he hides in the top of the bell tower again and observes the cats’ activities until dawn.
「夜明けが(やって)くる」がdawnだけで訳されている。
もちろん、「夜明けが(やって)くる」がcomeで表されないというわけではない。次例(3)参照。
(3)夜明けがやってきて、ニワトリが鳴き、東の空が明るくなると、七人のリトル・ピープルは仕事をやめて、それぞれにのびをした。『1Q84』
When the dawn comes and the cock crows and the eastern sky lightens, the seven Little People stop working and begin stretching.
また、「くるのを待つ」の「くる」がcomeで表されないというわけではない。次例(4)参照。
(4)小さな黒い蜘蛛がそこにへばりついて、小さな獲物がやってくるのを我慢強く待っていた。『1Q84』
To each web clung a small black spider, patiently waiting for its small prey to come along.
ということは、日本語頭では、「夜明けが来るのを待つ」でも「夜明けを待つ」でも良いが、英語頭では、「夜明けが来るのを待つ」という発想はないということか?