梅花女子大学教授・米川明彦氏が、読売新聞(2005年04月12日)で次のように書いています。「玄関のインターホンや自動販売機などに「故障中」という張り紙をしばしば見かける。この「~中」の使い方は明らかに間違っている」
つまり「故障中」は間違った日本語であるというわけです。その理由として氏は次のように述べています。
何かをしている間・状態であることを表す「~中」は、行為・動作・動きの意味を持つ言葉に付く。たとえば「話し中」「工事中」「会議中」など。問題の「故障」は作動していないので「~中」を使うことはおかしいのだ。「死亡中」と言えないのも同様。
氏はまず上のような基準を提示し、それに反しているので、「故障中」は「間違っている」と議論しているのです。しかし、これでは本末転倒ではないでしょうか。ある言葉遣いが実際に存在している場合、なぜその表現が存在するのか考えるのが先ではないでしょうか。
私は、この表現には存在する意味があると考えます。それは、「故障中」には、読んだ人に対する「今は故障していますが、もうすぐ直ります」というメッセージが含まれているからです。もし、ある自動販売機に「故障」と書いてあったら、それを見た人は、その販売機から品物を買うために再び戻ってくることはないかもしれません。しかし、「故障中」とあれば、しばらくしたら「もう直っているだろう」と考えて、再び買いに来てくれるでしょう。つまり、米川氏の基準からは外れているが、日本語としてまっとうな表現であると考えます。
このことをもう少し言語学的に考えて見ましょう。上で述べられていることは、「動作」と「状態」の問題と考えられますので、簡単にするために、米川氏の主張は、「~中」は動作を表す語につく。しかし、「故障」は状態なので「故障中」は間違い、というふうに用語を変えます。
氏はどうやら、語には「動作」を表すものと「状態」を表すものの二つがあると考えているようです。しかし、そうではありません。たとえば英語のstandを考えてみましょう。この語は「動作動詞」でしょうか、それとも「状態動詞」でしょうか。私の答えは「文脈次第」です。例えばHe’s standing there(かれはそこに立っている)の場合には「動作動詞」として用いられていると考えられます。しかし、A castle stands there(城がそこに建っている)であれば「状態動詞」として用いられていると考えられます。しかし、この違いはstandという動詞の性質に由来するのではなく、主語の違いに由来します。前者の場合には人間は立ったり座ったりするので、standが「動作」を表すと考えられますが、後者の場合、人間の寿命よりも城が建っている時間は通例ずっと長いので、standには継続性が生じ、「状態」を表すと考えられます。
このように、「動作」と「状態」の区別は本来明確ではないのです。どちらかに偏って用いられる場合がある、ということです。He is foolishといえば、「彼」の不変(その時点ではそう捉えられている)の性質を現していますが、He is being foolishといえば「彼は馬鹿なまねをしている」と通例訳され、「その場限り」であることを表しています。進行相だけではありません。Be patient(我慢しなさい)という命令文が可能なのは、そのような状態に移行可能だからです。これが、Be tall(背が高くなりなさい)になると、人間が知覚できる範囲内でその状態に移行することは不可能ですから、ありえない表現ということになります。もっとも、突然背の高さが倍になることが可能なファンタジーの世界なら、Be tallは普通の表現になるでしょう。
そこで、本題に戻りますが、「故障」はたしかに動作ではありませんが、「故障」している状態から元に戻ることが視野に入っている場合には、「~中」を用いることは可能です。類例としては「入院中」があります。この場合も決して「入院」は「病院に入ること」という「動作」を表しているのではありません。「病院に入っていること」という「状態」を表しているのです。しかし、通例しばらくすると退院するということが視野に入っているので、「入院中」はよくある表現なのです。
ここまでくれば、米川氏が最後に挙げている「死亡中」という間違いの例が、私の主張をさらに補強することになることは、おわかりいただけるでしょう。現実世界では、死んだ人が生き返ることはないので「死亡中」は普通にはありえないのです。つまり、「~中」という表現は、「一時的にそうなっている」ということを表しているのであって、「動作」とか「状態」といったこととは関係はないと私は考えます。
つまり「故障中」は間違った日本語であるというわけです。その理由として氏は次のように述べています。
何かをしている間・状態であることを表す「~中」は、行為・動作・動きの意味を持つ言葉に付く。たとえば「話し中」「工事中」「会議中」など。問題の「故障」は作動していないので「~中」を使うことはおかしいのだ。「死亡中」と言えないのも同様。
氏はまず上のような基準を提示し、それに反しているので、「故障中」は「間違っている」と議論しているのです。しかし、これでは本末転倒ではないでしょうか。ある言葉遣いが実際に存在している場合、なぜその表現が存在するのか考えるのが先ではないでしょうか。
私は、この表現には存在する意味があると考えます。それは、「故障中」には、読んだ人に対する「今は故障していますが、もうすぐ直ります」というメッセージが含まれているからです。もし、ある自動販売機に「故障」と書いてあったら、それを見た人は、その販売機から品物を買うために再び戻ってくることはないかもしれません。しかし、「故障中」とあれば、しばらくしたら「もう直っているだろう」と考えて、再び買いに来てくれるでしょう。つまり、米川氏の基準からは外れているが、日本語としてまっとうな表現であると考えます。
このことをもう少し言語学的に考えて見ましょう。上で述べられていることは、「動作」と「状態」の問題と考えられますので、簡単にするために、米川氏の主張は、「~中」は動作を表す語につく。しかし、「故障」は状態なので「故障中」は間違い、というふうに用語を変えます。
氏はどうやら、語には「動作」を表すものと「状態」を表すものの二つがあると考えているようです。しかし、そうではありません。たとえば英語のstandを考えてみましょう。この語は「動作動詞」でしょうか、それとも「状態動詞」でしょうか。私の答えは「文脈次第」です。例えばHe’s standing there(かれはそこに立っている)の場合には「動作動詞」として用いられていると考えられます。しかし、A castle stands there(城がそこに建っている)であれば「状態動詞」として用いられていると考えられます。しかし、この違いはstandという動詞の性質に由来するのではなく、主語の違いに由来します。前者の場合には人間は立ったり座ったりするので、standが「動作」を表すと考えられますが、後者の場合、人間の寿命よりも城が建っている時間は通例ずっと長いので、standには継続性が生じ、「状態」を表すと考えられます。
このように、「動作」と「状態」の区別は本来明確ではないのです。どちらかに偏って用いられる場合がある、ということです。He is foolishといえば、「彼」の不変(その時点ではそう捉えられている)の性質を現していますが、He is being foolishといえば「彼は馬鹿なまねをしている」と通例訳され、「その場限り」であることを表しています。進行相だけではありません。Be patient(我慢しなさい)という命令文が可能なのは、そのような状態に移行可能だからです。これが、Be tall(背が高くなりなさい)になると、人間が知覚できる範囲内でその状態に移行することは不可能ですから、ありえない表現ということになります。もっとも、突然背の高さが倍になることが可能なファンタジーの世界なら、Be tallは普通の表現になるでしょう。
そこで、本題に戻りますが、「故障」はたしかに動作ではありませんが、「故障」している状態から元に戻ることが視野に入っている場合には、「~中」を用いることは可能です。類例としては「入院中」があります。この場合も決して「入院」は「病院に入ること」という「動作」を表しているのではありません。「病院に入っていること」という「状態」を表しているのです。しかし、通例しばらくすると退院するということが視野に入っているので、「入院中」はよくある表現なのです。
ここまでくれば、米川氏が最後に挙げている「死亡中」という間違いの例が、私の主張をさらに補強することになることは、おわかりいただけるでしょう。現実世界では、死んだ人が生き返ることはないので「死亡中」は普通にはありえないのです。つまり、「~中」という表現は、「一時的にそうなっている」ということを表しているのであって、「動作」とか「状態」といったこととは関係はないと私は考えます。