「天狗になる。仁王立ち。菩薩像。如来像」
一番上は「如来」(阿弥陀如来)である。
悟りを啓(ひら)いた如来は布一枚をはおる姿。半眼で人々を静かに見つめている。心で人を引き付けている。
二番目は「菩薩」(日光菩薩・月光菩薩)である。
修行中の菩薩は美しい顔で、躍動感があり豪華な衣装や飾り品を身につけている。ある意味では外観の様相で人を引き付けているのだろう。
三番目は明王(普代明王・仁王)である。
みなさんも山門の入口で、こん棒を持ち荒々しい姿でにらみつけ、威圧的な様相で人を従わそうとしている像を見たことあるだろう。
四番目は天(弁天・吉祥天・天狗)である。
「天狗になる」とはここからの由来であろう。まだまだ序の口、軽はずみで修行はこれからだ。
さて、これを人間性で見ると私はどこの位かな。
時には天狗になり、そして、仁王のように威圧的な態度に出ることもある?
更に、菩薩のように外見的なもので人を引きつけようとすることもあるだろう。
まだまだ、心で人を引き付けるような如来の域に達していないのは事実だ。
あなたは、人を心で引きつける「如来」の域に達しましたか?
(今年の冬は寒いので、布一枚をはおるだけでは風邪を引きますよ)
*今回は長文だったため、前段の文は翌日にするよう編集しました。ゴメンナサイ。
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