友人と言ってはおこがましいのですが、書道家の内田藍亭(うちだらんてい)先生に色紙に「夢」と言う字を書いていただけないかとお願いいたしました。
私の父が好きだった「夢」を言う字を病室で書き、孫に何でも夢を持ちなさいと渡したとのことです。
その書も20数年経ちだいぶ汚れて来たようです。
姉さまの子(孫)はお爺ちゃんの好きだった「夢」の書を形見にしていましたが、もう古くなってと言っております。
では、内田藍亭先生に色紙の大きさで書いて貰らえないかとお願いいたしました。
先生は快く引き受けていただき、先日、驚く枚数ですが十枚ほどの色紙が届きました。
内田藍亭先生は、令和天皇のご幼少のころ書道の先生だった「桑原翆邦先生」の門下門流の方です。
私も書道を少しだけ習っていましたので、門流?(かなり下流)ですが、門下の吉野大巨先生のお教室に通っていました。
(私は今は筆を休めています。日記だけは筆で書いています)
お送りいただいた「夢」と言う字は甲骨文字から書の歴史に沿って書いていただきました。
甲骨文字(こうこつもじ)約3500年前?の書体です。
現存している最も古い書体です。
亀の甲羅や牛の骨に刻されてあったので「甲骨文字」と名づけられました。
甲羅や骨は占いに使われていて、その占い結果を書きつけたものです。
そして金文(きんぶん)です。
約3000年前?の書体です。
殷の国が滅び、周の国の時代になると、人々の活躍をたたえた内容を青銅器に鋳込んだり刻んだりするようになりました。
金属に鋳込まれたり刻まれた字なので「金文」といいます。
もちろん竹や木や絹にも文字は記されていたでしょうが、やはり素材として腐りやすいためでしょうか、周代のものは発見されていません。
古璽(こじ)
古璽は象形文字みたいで、私は好きな書体の一つで引かれるものがあります。
この時代にはたくさんの記録が残されるようになりましたが、その時代に使われた書体を総じて「篆書」(てんしょ)」と言います。
簡帛(かんはく)
紙が無い時代ですので、記録として簡牘として竹や木に書き写していたのでしょう。
気の遠くなるほど前の年代です。
周の時代が終わりを告げると、春秋戦国時代になりました。
孔子やその弟子たちが活躍した時代です。
戦国時代の争いで勝ち残った国は、「秦(しん)」という国でした。
聞いたことのある秦の始皇帝は、度量衡・貨幣・車輪の幅などを中国全土で同じ規格単位に統一しました。
さらに、漢字の統一も行ったのです。
このような書の歴史などは私には良く分かりませんので、一部ネットより検索いたしました。
この時代から石に刻まれた文字もたくさん残っていますので、金文とあわせて「金石文」と呼んでいます。
隷書(れいしょ)は約2000年前の書体です。
漢という国が中国を支配するようになると、物事を細かくきちんと記録することが必要になってきました。
文字を毎日書かなければならない役人にとっては「篆書」は複雑で実用的ではなかったので、簡略化して書きやすい書体が考案されました。
更に、立碑が盛んになり石碑用の銘石体としても実用化が進みます。
それが「隷書」です。
読売・朝日・産経など新聞の題字で使われているものです。
また、一万円札や、日本銀行などの字はこの隷書体で書かれています。
草書(そうしょ)約2200年前(諸説あり)
草書の発生もかなり早く、篆書、隷書の簡略から生まれた書体です。
草書は文字としてのわかりやすさよりも、「書く速さ」を優先した実用性を追求した字体です。
崩し方には王羲之を中心とした法則があり、バランスや筆づかいが大切な要素になっているため「芸術性」が認められることも多くあります。
多くはこの草書を好まれ、飾っている方々も多いのでしょう。
行書(ぎょうしょ)の発生も紀元を遡ります。
行書(ぎょうしょ)は草書をもう少し整えて書いた書体です。
「楷書」(かいしょ)は読みやすく、正確に伝わる字体のため「楷書ではっきりとお書きください」という注意書きをよく見かけます。
篆・隷書から草書・行書、更に楷書へと変遷していきますが、唐の時代に完成した書体です。
はっきりと整理された点画の表現や折れ曲がり方が特徴です。
現在では、この楷書がもっとも広く流通している書体です。
内田藍亭先生の解釈も楷書は、今では一番新しい書体だと言っておりました。
ここまで来ると、素人の私には書の歴史(古い順)が良く分かりません。
内田蘭亭先生のお知恵をお借りして、説明させていただいています。
中国3000年の書の歴史ですが、現在はパソコン中心に使っているため字の思い出せない(書けない)自分もいます。
次に、書道の中の宇宙観の話です。
この書の右上にハンコウ(引首印)が押印されています。
この意味は、書くときの気持ちを表しているのです。
*拡大しましたので不鮮明でスミマセン。
内田藍亭先生は、気持ちを落ち着けて「養中」の引首印を選んだのでしょう。
これは中和の心を養うの意味だそうです。
先生方は大きさも含めて、何種類もの印をお持ちです。
私も5種類の印を持っています。
引首印は、宋時代から起こっており、条幅などの右上部に押すもので、雅号印まで含め自分の範囲を示す(諸説あり)とありました。
ここから、この気持ちで書き始めるとの意味もあります。
引首印が少し右に開いて押印されています。
書が宇宙へ広がるような扇の意味もあるのです。
余談ですが、この引首印は自分の気持ちですのでなんでも良いのです。
私の座右の銘?である漁夫の利から「魚利」と印を作ったこともあります。
労せずして利があるのが一番良いかと思っていますが・・・。
今では印を少なくする傾向もありますが、引首印と左下には本名と雅号を押すのも、古典を守る(継承する)上では必要だと思います。
先日、お送りいただいた「笑顔」の隷書体を軸装にしました。
これは姉さまに差し上げる予定です。
また、行きつけの八王子戸吹「鮨忠」さんにも、「笑顔」と言う軸装をお送りいたしました。
また、一緒に伺った〇藤さんにも差し上げました。
みなさんに大変喜ばれています。
書はやはり身近でいつも目に触れることが大事なのでしょう。
しかし、こんなにたくさんの色紙を書いていただき、感謝のしようがありません。
書の歴史を「夢」と言う字で書いていただき、大変良い勉強ができました。
いつまでもたくさん「夢」を見続けたいものです。
yuki71
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