北の端での高齢者の生き方

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

レビー小体型認知症

2015-07-27 13:16:03 | 日記
平成27年5月18日に母が亡くなった。
母の危篤時、母の枕元で父は、自分の名前を言って、母に判るか?と呼びかけていた。
父が母に自分の名前を言うのは今まで聞いたことがなかった。
様子を見ていると、どうも危篤状態の母を、自分の母親と思っているらしいと判った。
母は、15ヶ月入院し亡くなった。
入院前は、糖尿病で毎日インスリンを注射する。
注射の担当は父だったが、時折母を母とは思わなく、傍にいる母を別人と思い、どこへ行ったのかと探すこともあった。
昭和初期生まれの父にはプライドがある。
そのプライドに家族を含め周りは非常に困惑する。
認知症は、家族以外の人が、たまに会って話をしても認知症とは思われない場合がある。
家族も認知症と判っていても、腹が立つときもある。
保健師さん・訪問看護師さんには、大変お世話になった。
話し方、接し方は本当に敬服しました。
仕事とは言え大変な事だと思います。
その父を、保健センター・ケアマネージャーのご支援があり、グループホームに入所させました。
母が亡くなって、3日後の事です。
母が亡くなる前から、父には食事の事、夜中の幻覚による行動などを話をし、一人で居るには限界であることを理解させました。
その時私は、「姥捨て山の様で申し訳ない」と言うと、父は「姥捨て山だ!」と答えました。
やはり、核家族の中での老後の生活を理想としていたのかもしれないと思います。
私の家族と初めから一緒ならその方法もあったと思いますが、一度父母に一緒に住まないか?と言ったとき、それぞれ気ままに生活できる方が良いと言われた経過があり、私もそう思っていました。
ホームに入り、まだ2ヶ月しか経ってませんが、夜中のトイレに間に合わず、おむつを着用・・・昼間も間にわななくなってきています。
先日、一緒に外で昼食を食べましたが、歩く姿が急に衰えたような気がします。
精神科の医者に言われた、「レビー小体型は、パーキンソン病と同じような症状で、いずれ運動機能がマヒし、寝たきり老人になります。」との言葉が頭を過ぎります。
認知症の家族の対応が本当に大変だと思います。
父は、母の四十九日法要日で88歳になりました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿