こんにちは、13期の塩津です!
ゼミ活動振り返りブログ、私も引き続き三田論について書いていきたいと思います。
前回の記事でも触れられていますが、牛島ゼミでは毎年、3年生が全員で1本の論文を書き上げます。
しかし、2本柱のもう1つ、ディベートリーグがあるのは、三田祭がある1ヶ月程前の10月。そのため、3年生は三田論班とディベート班に分かれて10月のディベートリーグまで活動します。
そのため、ディベートリーグが終わるまでの間、ディベート班はディベートに集中!
定期的に進捗を報告し、同期全員からのフィードバックはもらいますが、三田論班が中心に準備を進めます。
三田論班は全部で7人。
この7人に論文の核となる部分がかかっている上に、ゼミの時間では報告の度にゼミ員から厳しくも的確なアドバイスをもらい、また練り直し・・・という繰り返しでした。
さらに、ディベートリーグが終わって全員が合流した後は21人全員で1つの論文を作り上げます。
心強いメンバーが加わってくれた! と同時に、21人で作り上げることの難しさも見えてきました。(13期は19名でスタートしましたが、留学を終えて帰国した12期2名が秋学期から合流しました)
それまで調査と議論を続けてきた三田論班とディベート班での認識も違っていましたし、三田論班はずっと見てきたからこそ見えなくなってしまっていたこともありました。議論を重ねているうちに、三田論班の中では「暗黙の前提」ができあがっていたのかもしれませんが、それは途中から合流するディベートには伝わりません。
論文を作成する過程では、最終的な問題設定や仮説、検証にたどり着くまでに、長い試行錯誤の道のりがあります。
今まで自分たちがいろいろな可能性を考えて探索してきたプロセスを途中から参加するメンバーにどのように共有するか、いつの間にか暗黙の前提になって「なぜそうなのか?」を問わなくなってしまった思考からいかに脱するか、1つ1つの問題を解決しながら進んでいく作業の中で、皆で作るにはどうすればいいのか?をいつも考えていました。
「なぜなのか?」を深く掘り下げていくこと、ひとつの視点に囚われないことなど、三田論を書くにあたって様々なことを学びましたが、実際に論文を書くにあたって学んだことだけでなく、皆で作り上げるということを学んだ貴重な経験です。

ゼミ活動振り返りブログ、私も引き続き三田論について書いていきたいと思います。
前回の記事でも触れられていますが、牛島ゼミでは毎年、3年生が全員で1本の論文を書き上げます。
しかし、2本柱のもう1つ、ディベートリーグがあるのは、三田祭がある1ヶ月程前の10月。そのため、3年生は三田論班とディベート班に分かれて10月のディベートリーグまで活動します。
そのため、ディベートリーグが終わるまでの間、ディベート班はディベートに集中!
定期的に進捗を報告し、同期全員からのフィードバックはもらいますが、三田論班が中心に準備を進めます。
三田論班は全部で7人。
この7人に論文の核となる部分がかかっている上に、ゼミの時間では報告の度にゼミ員から厳しくも的確なアドバイスをもらい、また練り直し・・・という繰り返しでした。
さらに、ディベートリーグが終わって全員が合流した後は21人全員で1つの論文を作り上げます。
心強いメンバーが加わってくれた! と同時に、21人で作り上げることの難しさも見えてきました。(13期は19名でスタートしましたが、留学を終えて帰国した12期2名が秋学期から合流しました)
それまで調査と議論を続けてきた三田論班とディベート班での認識も違っていましたし、三田論班はずっと見てきたからこそ見えなくなってしまっていたこともありました。議論を重ねているうちに、三田論班の中では「暗黙の前提」ができあがっていたのかもしれませんが、それは途中から合流するディベートには伝わりません。
論文を作成する過程では、最終的な問題設定や仮説、検証にたどり着くまでに、長い試行錯誤の道のりがあります。
今まで自分たちがいろいろな可能性を考えて探索してきたプロセスを途中から参加するメンバーにどのように共有するか、いつの間にか暗黙の前提になって「なぜそうなのか?」を問わなくなってしまった思考からいかに脱するか、1つ1つの問題を解決しながら進んでいく作業の中で、皆で作るにはどうすればいいのか?をいつも考えていました。
「なぜなのか?」を深く掘り下げていくこと、ひとつの視点に囚われないことなど、三田論を書くにあたって様々なことを学びましたが、実際に論文を書くにあたって学んだことだけでなく、皆で作り上げるということを学んだ貴重な経験です。
