goo blog サービス終了のお知らせ 

カッパ・ど・ピア

劇団暁座のこと、私のことをたくさん書きます。

作家志望

2005-05-02 17:51:01 | 回想
女子高校というのは全く不思議な空間である。
運動部で活躍している先輩にあこがれていたり、演劇部で男性役を演じ、ましてショートヘアで美形であれば学校中の人気者なのである。確かに私が通った高校の演劇部は県内でも優秀であり、全国大会にまで進んだ。なおさら役者陣は人気者だ。私にとっては、別世界であった。演劇部は文化部ではなく、運動部の部類だ。発声のため大声で歌を歌いながらかなりの長距離をランニングしているのである。そうかと思えば、アニメ部では部員がかなりの技術の持ち主であったようだ。文化祭に向けてつくられる同人誌などは人気が高い。もちろんコミケ等にも出展していたらしい。
そんな中で私が密かに楽しんでいた事とは、小説を書くことである。授業中にノートにくだらない創作を書き友達と2人で交代で話を進めていくうちにかなり病みつきになったのである。周りでは耽美小説が流行っていたが、私達はいたって単純なSFファンタジーものを書いていた。
作家名を「作家のうずら」と名乗り数々の作品を書いていた。
山間にある小さな食堂、山麓レストランに大量のゴキブリが発生!!翌朝一匹残らず絶滅していた。なぜ?そして犯人は?『山麓殺虫事件』が代表作であった。
こんなことで心が安らいだ。友達と私は、教室内で話すことよりも、こんな話を書いたり、自宅に帰ってからの長電話で盛り上がっていた。その友達が私の家に泊まりに来ることになった。その時にお土産に持ってきてくれた物に、私は驚いた。意外であった・・・

女子高美術部

2005-04-28 14:22:39 | 回想
中学生で美術部に入部をして初めて油絵を描いた。顧問の先生の指導のおかげで、県内の美術家連盟展に3年連続で入選した。たいした絵心があったわけではないが、部活動は楽しかった。本当は運動部の方が、青春って感じがして良かったが満足に運動が出来るわけではなかったので、高校でも美術部に所属することにした。中学では美術部には男子生徒は一人もいなかった。もちろん高校も女生徒だけである。その年の美術部入部希望の新入部員は私一人であった。先輩は6名ほど在籍していたが、ほとんど活動はしていなかった。放課後の活動には1つ上の先輩2人だけが顔を出すことが多く、私と3人でお茶飲みながら話をするだけで部活動の時間が過ぎていった。クラスにいる時間がとても息苦しかったので、部活の時間がホッとするひと時であった。部活があったから、学校に通っていたと思う。
ところで、クラスの中で仲良くなった友達は、彼女の入院をきっかけにより一層親しくなった。
しかし、お互いがおとなしいタイプであった為、2人だけで仲良くしていることをまわりはあまりよく思わない。考えるとおかしなことではあるが、仕方ないことなのであろう。
だから、クラスの中ではグループの中の一員としてお弁当を食べ、話に加わっていた。
周りには知られていないが、2人の中だけで盛り上がっている趣味がある。

クリスチャン

2005-04-27 17:24:32 | 回想
中学生の時に、近所にあるキリスト教の教会のクリスマス礼拝に行った。それから日曜日の礼拝に出席するようになった。それから間もなく洗礼を受ける決意をした。しかし、家族は無宗教である。
私が教会に行くようになったのも、必然的なように感じる。
そもそも洗礼を受けたことで、クリスチャンスクールであるこの高校を受験するきっかけになったのである。
クリスチャンになったからといってもプロテスタント派なので生活の何かが変わると言うことではなかった。ただ、自分の障害が神様からの恩恵であるということを教わった。神様から愛されているがゆえに試練があたえられる。
高校に通うようになってからも日曜日の礼拝は積極的に通っていた。日々の学校生活になじめずにいたが、日曜日は教会を通して出会った仲間との集まりが楽しみであった。
私が通っていた教会は、とても小さくてこじんまりとした教会である。日曜日になると私が通う高校の寮生が礼拝に出席することになっていたため、ほとんど学校と同じ状態になってしまう。
寮には、私が知っている人はいなかったためこれもまた孤独な感じがする。
寮生が、日曜の礼拝に来ない日はなんとなくほっとした。このままでは、ますます行き場をなくしてしまいそうだった。

ハッピーエンド

2005-04-26 18:31:15 | 回想
テレビドラマのストーリーで、障害者が主人公で、なおかつハッピーエンドであったりすると、涙が止まらなくなります。
カタルシスなのだろう。
自分のこの形成異常の障害によって様々なことをあきらめてきた様に思う。
異性から冷たくされたり、恋愛がうまくいかなかったりすべてを、障害のせいにしている。
思ったことをいえない自分。母親に自分のことを聞けない自分。
ドラマの中では見事にうまくいっている。そのことがうらやましくて仕方がなかった。
がんばっている障害者は幸せをつかめる!という勝手な思い込みもかなり強かった。
だからハッピーエンドのドラマで自分を置き換えてしまう。うれしくて泣いてしまうのである。
まるで、白馬に乗った王子様を待ち続けているみたいである。
どんなに辛くてもきっとこれからは楽しいはず、高校を卒業したら明るい未来が待っている。
辛い高校生活をどん底まで辛く演じた。いのちの電話と言うのがあるが、何度か相談していた。
これだと言う回答が帰ってきたかは定かではないが、自分の存在を知ってもらい、話を聞いてもらえることで満足であった。

母子手帳

2005-04-25 17:30:26 | 回想
自分の手の形成異常が、コンプレックスの9割を占めていると思った。それは産まれた時からその形であったからである。
子供がどういった状態で生まれてくるのかはまったく分からないのが現実であろう。
まあ、多少の違いはあったとしても自分がこれほどまでの違いがあったことがどうしても納得できない。
小学生か中学生の時授業の課題で、今考えると変な課題があった。それは、自分の母子手帳とか、へその緒をみたり、自分が生まれたときの事をお母さんや家族に聞くと言うものだった。
母子手帳には、母の名前が記入され、私の情報も記入されていた。分娩時間45時間!?とんでもなく長い時間であった。その時間がどう流れていたか詳しくは聞けなかった。他の子よりは遙かに長い時間である。身長や体重は他の子とそれほどの差はなかった。
自分がこの世に生まれたきた瞬間、その感想を母に聞くことは出来なかった。
これはおそらく自分が母親になるまでは聞けないだろうと思う。
自分の障害についてきちんと母に訊ねたことはない。訊ねられない。自分をこんな姿に産んだことを恨んだことがあったであろうか?ないと思う。誰かのせいに出来ないということがまた辛いのである。
自分の中ではかなりの重荷であった障害であるが、テレビを見ていると、もっと重度な障害をもった人がたくさんいる。テレビドラマの中の障害者はみんな幸せになっている。がんばれば私も幸せになれるのであろうか?

手術の結果

2005-04-22 17:32:05 | 回想
幼いころから繰り返されてきた整形外科的な手術では、ほとんどが想像以上に成功していた。
外側に湾曲していた右足をまっすぐにする。まさに神業である。なおかつ膝も曲げ伸ばしが出来るように辛いリハビリを繰り返した。立って歩ける様になるには相当の日々を費やしたが、幼いころは日が過ぎていくことなど気にしていなかった。
それよりも高校生活の日々のほうが数十倍も憂鬱である。夏休みを利用して入院、そして手術をしたことにより気持ちがまぎれた。
そして、術後の経過も順調だった。包帯に包まれた自分の左手を見る瞬間がきた。
自分の手を目にして、大きくため息をついた。
何も変わっていない!親指と人差し指の間と、人差し指と中指の間に痛々しい傷口があるというだけだった。何も変わっていない、傷跡が残っただけ。使い勝手が良くなったわけでもなく、見てくれが良くなったわけでもない。でも、間違いなく私の手である。
新学期になっても誰も私がこんな思いをしたことは気がつかないでしょう。
起用にこの手を自由自在に使いこなせるのは、私だからなのであろう。
長い指を切り落として、形だけを整えてしまったら取り返しがつかなかったであろうと再認識させられたのである。

麻酔からさめたが

2005-04-21 18:24:31 | 回想
幼い時から、整形外科的な手術を幾たびも繰り返していた。
当時のことはほとんど記憶にはないが、確実に足には20箇所近くの手術の傷跡が残っている。
それから不思議と幼いころの麻酔から醒めた後の一部の記憶だけが、脳裏から離れない。
その恐怖心は、手術の日が近づくにつれてよみがえってくる。
高校生ともなるともっと重く、リスクも考えてしまうのだ。学校に行きたくない、自分の手へのコンプレックス、手術をすればすべての悩みが消えるであろう。しかし、全身麻酔のリスクは・・・。もっとも悲惨な思いをすることも考えられるのである。そんな思いをめぐらせる。
予定通り手術は行われ、形式的に終わった。
無事に麻酔からも醒めた。テレビのニュースでは日航ジャンボ機が、群馬県の山中に墜落した事をしきりに報道していた。そのことが、フラッシュバックの様に脳裏に残っているのは事実である。
そして、左手に巻かれた包帯の中はどのように変えられているのだろう。
ズキズキと痛みはじめてきた。

レーザー光線

2005-04-20 17:44:20 | 回想
幼なじみの子が、あごにほくろがあることを気にしてレーザーでほくろを消す手術をした。
なんとビックリするくらいきれいに消えている。シミやあざなども目立たなくすることが出来るのだ。
私は、目の横にケロイドのような跡がある。これもまた、産まれた時からある。もしかしたらこの跡もきれいに消えるのではないかと希望が見えた。大学病院の形成外科を訪ねてみた。針先ほどの少量の皮膚細胞を取り分析の結果、レーザー治療の効果は得られないとの事であった。
医師は、私の形成異常の手の方に治療の威力を向けていた。
手の形を整える。私も興味津々である。コンプレックスの90パーセントは、この手の形にあったのだから。
幼いころ、右手の薬指の先に綿を付けて医療用の茶色い紙テープを巻きつけていた。そうすることで指を長くみせて、全体のバランスがとれるような工夫である。保育園へ行く前、毎日の日課の様に母はこのテープ巻きをしてくれた。
そのうちそんな子供だましが、邪魔になってきた。今ある指をフルに活用することで、つまむ、握るという事意外は何とかできた。
形成手術をすることによって、もっといろいろこなせる様になるというのだ。「この指がもう少し短いとバランスがいいなぁ・・・」と先生。いやです。あったものがなくなるのは何とも気分が悪い。
まずは、中指と薬指の間を狭くして、親指と薬指の幅を広げる。次第に理想形の手が完成する。


そんなに手が変?

2005-04-19 12:42:27 | 回想
毎日、カレンダーの数字を消している。学校へ向うのが憂鬱になる。
通学にはほとんどの生徒が電車、バス、自転車を使っていた。幸か不幸か私の家から高校までは、徒歩で10分くらいであった。近すぎる。だから仕方なく通学した。県内の各地からこの学校に通ってきている。セーラーの制服がかわいくて人気が高い私立の学校であった。外からの印象はとてもすがすがしい学園ライフに写っていたと思う。
教室に入ると、某テレビ番組の「中学生日記」の様な異様な空気が立ち込めているのだ。女子校特有のちょっと反抗した感じの子が3人くらいいる。後は4~5人のグループが数組できてキャッキャと騒いでいる。
私は決していじめにあっていたわけではないと思う。むしろ、話し方になまりが目立つおとなしそうな子の方が、バカにされた態度でからかわれていた。
面と向ってではない視線に、軽蔑されているのではないかと勝手に怯えていた。睨まれているのではないか?悪口をいわれているのではないか?クラス中の視線が気になって自分から話しかけることが出来ない状態になってしまっていた。
徹底的だったのが、私の手の形を笑いながら真似されたのを見た瞬間だ。
子供のころはそんなことがあっても、仕方がないんだろうなと思ったいた。小中学校で男子にからかわれたことはあった、女子はからかったりはしなかった。手の形について聞かれることと、バカにされることの差は大きい。
高校生になりそんなことをされた事でかなりの衝撃だった。悔しくてたまらなかった。かなり鮮明に目に焼きついてしまった。
自分に障害がなかったら、自分に自信がついて思っていることを面白おかしく語れるのに・・・。
大人なっても、からかわれることはあるんだ。これから先、自分の手を見てバカにされることがあるに違いない。
その夏、手の形成を整える手術をすることを決意した。

あと、965日

2005-04-18 16:54:09 | 回想
友達のお母さんからの電話は、友達が入院したと言う知らせであった。
2~3日めまいやら頭痛に悩まされ、ついに検査の為に入院することになったようだ。友達は私に会いたいと言っているらしい。せっかく話が出来る友達が出来たのに、学校に来なくなっちゃうなんてあんまりだ。しかも、高校生活初めての中間テスト期間中なのだ。翌日、学校が終わるとすぐに病院にかけつけた。次の日のテスト勉強も気になったが、いまさらジタバタしてもしょうがないだろう。友達の病状は悪化することはなかったが、一向に原因が不明のようだ。担任の先生は、クラスでいじめにあっているのではないかと、まじめに問いただしたらしい。私もそうだったが、クラスに対するストレスもあったのではないかと思う。
私は、日記帳の見出しに日にちを書くことにした。965日、964日、963日・・・カウントダウンされる。高校生活卒業までに登校する日数である。休みの日を抜かして、数えてみた。数字にするとたいしたことはなさそうだ。何とかがんばれるだろう。明日もがんばろう。そう毎日綴っていた。ショックなことがあるたびに、書く事でその鬱憤を晴らした。絶対にゆるせない一生忘れない・・・いつもよりも気が重い。