女子校生活にうんざりしていた私も重ねる文通によって、かなり興味が広がり、憂鬱な休み時間も楽しく手紙を書く時間として割り切っていました。そのうちクラスの友達も興味深々にのぞき込んでくることもありました。意外な私の一面であったらしい。まあ、それがきっかけで話せる友達が出来ました。
文通相手との写真交換など繰り返しながら1名の女の子と3名の男の子と文通を続けていました。そのうちの一人の子は、私の好きなアーティスト大江千里の地域限定のラジオ番組を毎週欠かさず録音して手紙に同封してくれました。もう一人はなぜか毎回ラブレターのような内容のものでした。後の2人とは20年たった現在も忘れたころにメールをやり取りしています。文通はあくまでも手紙のやり取りですが、大切な出会いでもあります。私を見れば形成異常という障害があることはわかってしまうものなのですが、本当はとても隠しておきたいです。だから文通だったらばれないんじゃないかな、という思いもありました。でも文通相手に会う時はなぜか罪悪感がありました。ちゃんと自分の障害のことを話してあった2人とは本当に友達として続いています。
学校ではやっと、気楽におしゃべり出来る友達が出来たのですが、しばらくするとこの子が学校を休みはじめました。
そして数日たった夜、友達のお母さんから電話がかかってきた。
文通相手との写真交換など繰り返しながら1名の女の子と3名の男の子と文通を続けていました。そのうちの一人の子は、私の好きなアーティスト大江千里の地域限定のラジオ番組を毎週欠かさず録音して手紙に同封してくれました。もう一人はなぜか毎回ラブレターのような内容のものでした。後の2人とは20年たった現在も忘れたころにメールをやり取りしています。文通はあくまでも手紙のやり取りですが、大切な出会いでもあります。私を見れば形成異常という障害があることはわかってしまうものなのですが、本当はとても隠しておきたいです。だから文通だったらばれないんじゃないかな、という思いもありました。でも文通相手に会う時はなぜか罪悪感がありました。ちゃんと自分の障害のことを話してあった2人とは本当に友達として続いています。
学校ではやっと、気楽におしゃべり出来る友達が出来たのですが、しばらくするとこの子が学校を休みはじめました。
そして数日たった夜、友達のお母さんから電話がかかってきた。