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カッパ・ど・ピア

劇団暁座のこと、私のことをたくさん書きます。

痛いの、かゆいのって!

2005-05-27 18:54:55 | 回想
腰の横のところがかゆい。ちょうど、スカートのウエストのところだ。家に帰って痒いところを見たら、ポツポツと2つ小さな虫さされのあとのような物があった。ヤダーッ!我が家の愛猫ラムちゃんについたノミにさされたのだと疑わなかった。とりあえず、虫さされの薬をぬった。かゆみはおさまらず、翌日はポツポツポツと5個に増えた。かゆみを我慢するのも大変だ。最近は腰痛というか股関節痛にも悩まされていた。もともと5cm以上の左右の脚長差があるため季節の変わり目の腰痛は仕方がない。高校生にして腰痛もちなのだ。しかし、いつもの痛みよりも激しい痛みだ。学校から帰って湿布を貼ったりしていたが、次第に歩けないくらい痛み出した。激痛である。どうしてもその痛みが我慢できずに、夜間緊急外来に行って診てもらうことにした。
母の運転する車で病院に向かう途中、深夜であったためたくさんの大型トラックが猛スピードで走っていた。すると、並んで走っていたトラックが近づいたような気がした。
バキッ!助手席側のミラーが割れた。こわーーい。でも、一瞬痛みを忘れることが出来た。
トラックは気付かぬ振りして走っていってしまった。半べそをかきながら病院に向かった。それにしても、夜間緊急外来というところは混んでいる。昼間の病院と変わらないくらい患者が待っている。待って待った・・・そこまでした。しかし診察の結果は不明とのことだ。原因が何であるか知りたいが、それよりも痛みは何とかならないものなのか。「あー痛いよーぉ」「痒いよーぉ」翌日、ポツポツは10個以上に増えていた。なんじゃこれは?皮膚科に行った。きれいに一列にポツポツが並んでいる。診察中に保険証をみて「昨日、緊急でどうしたの?」先生が私に聞いた。「腰痛がひどくて」と答えると、「これは帯状疱疹だよ。」と言われたのだ。全く無関係だと思った、痒いのと痛いのは同じ原因であったのある。人間の体とは全く不思議だ。
それ以来ちょっと無理をすると、ポッポッの気配がするのであった。

コリコリタイム2

2005-05-26 16:34:29 | 回想
それにしても企画的にすごいとおもいませんか?ラジオの1コーナーだとしても、そんなの電波に乗せてしまうのだから。だいたいリスナーのOLさんとかが出ていたのですが、あまり興味なかったので真剣に聞いたことなんてなかった。さて、花の女子高校生のうめき声はいかがな物なのか。幼なじみのところで参考になりそうなビデオを見せてもらった。だが、それほど参考になるほどのビデオはなかった。洋画なんて、金曜の夜にダンスパーティーに出かけ彼女を部屋に連れ込むが、出かけたはずの両親が車のパンクで家に戻ってきはちあわせしてしまう。翌日クラスメイトは、ばっちりだったぜ!てな具合の内容なのだ。そうそうグローイングアップはほとんどそんな感じだ。
いくらなんでも電話の声を相手に、どんな声が出せるのだというのか。考えると恥ずかしくなる。
番組がCMに入った。我が家の電話が鳴り響いた。というのは家は親子電話で4台の電話がいっせいに鳴り出す。慌てて受話器を取った。「アーっ緊張する!!」と、友達からだ。今からいこうか?
って今から来たって終電ないし、番組終わるよ。とりあえず電話を切った。
CMあけコーナーが始まり、さぁ!!!とカールスモーキ石井(てっぺいちゃん)がダイヤルを回す音が聞こえた。呼び出しているが、うちの電話はならない。
そして、「いゃーーーっ今日はがんばって2人いっちゃおうとおもったのに・・・・時間がなくなった。」静かにエンディングテーマが流れるのであった。  

コリコリタイム1

2005-05-24 15:27:30 | 回想
テスト前になると勉強をはじめなければいけない気になる。いつも勉強をしているわけではないので、なかなかはじまらない。ラジオをつけて深夜放送に耳を傾けると、これがまた面白い。テスト勉強ではなくリクエストのはがきを書いてしまう。番組の中で自分の名前が読まれて、リクエストをした曲がかかるとすごくうれしい。中学3年の受験勉強をきっかけに深夜ラジオにはまりだした。午後9時から午前1時くらいまで聞いていた。曜日によってパーソナリティーが変わる。《カールスモーキー石井のスーパーギャング》という番組がお気に入りだ。米米クラブのファンである私は毎週欠かさず聞いていた。
リスナー参加のコーナーにも出演したくてたまらなかった。友達と一緒にはがきを書いて出したことがあった。でも、すっかり忘れていたある日、ラジオ局の番組担当ディレクターと名乗る人から電話がかかってきた。内容は私が出したはがきが採用され、コーナーに出演出来るということだ。
今夜の放送時間内に電話をかけますのでよろしくお願いします、というのだ。カールスモーキー石井さんと話が出来る。うれしかったけど、ものすごく動揺した。なぜならそのコーナーは最も怪しげなコーナー、コリコリタイムというものであった。それはちょっとHな感じで、カールスモーキー石井さんが言葉でせめ、あえぎ声で返すといったコーナーだったのだ。
そんなことをいくらラジオでも出来るわけない!!とりあえず友達に電話して、興奮を抑えた。
念のため、おさななじみにも相談してみた。何の回答を得られないまま時間が過ぎた。番組が始まってしまった。コリコリタイムは最後のコーナーだ。電話を横に置き、ラジオを聞いた。

凸凹の真ん中に

2005-05-20 14:08:50 | 回想
部活を終えて帰る時間になると外はかなり薄暗くなってしまうことが多い。昼間の校舎とは全く雰囲気が変わってしまう。新しい校舎を増築して渡り廊下でつながっている建物なので、かなり広い。美術部の部室があるのは一番奥の校舎の4階。友達が所属しているアニメ部の部室は新しい校舎の地下にある。文化祭間近で特に文化部は張り切って準備に取り掛かっていた。実は私は部活を3つ掛け持ちするはめになっていた。メインはもちろん美術部そして、アニメ部、点字とか手話とかをするボランティア活動部である。そんなわけで、文化祭前はアニメ部にも顔を出してセル画を描いたりもしていた。すっかり帰りが遅くなり、校舎も薄暗くなっていた。友達と2人で玄関にむかっていた。引きずるような長いスカートをはいた私と、膝丈のスカートをはいた友達と並んで歩いていた。廊下の突き当たりに大きな鏡がある。まさに凸凹コンビといわれる2人の姿が暗闇の鏡に写っている。いや、私達が見ていたものは2人の姿ではなかった。鏡の中には凸凹コンビのちょうど真ん中にもう一人制服姿の女の子が一歩さがって一緒に歩き、3人並んで鏡にむかっているのが見えていた。鏡の前を曲がるとなんだか不思議な感じがした。一直線の廊下で2人しかいないのは確かである。靴を履き替えている時かすかな物音がした。でも2人以外誰もいないのだ。2人で顔を見合わせ一目散に校舎を出た。「きゃーーっ!!こわかった!!」「いないけど、いたよね?」
翌日、いつものように職員室に行き、「先生、昨日の放課後にね、廊下の鏡にいない人が写っていたの。」と話した。先生は「あぁー・・・・」とつぶやいただけでした。化学のの先生なんだから納得いく答えをして欲しかった。

校則違反

2005-05-19 17:15:22 | 回想
冬になると冷たい風に当たるせいで顔が赤くなる。女子高生にとってそれはちょっと恥ずかしい。そして、顔にある傷も気になっていたので、それを隠すためにも私はファンデーションを塗って登校していた。それ以上に派手なメイクをしているわけではないので先生や他の人にはファンデーションを塗っていることは気付かれなかった。一度、先生に化粧をしているんじゃないかと指摘された時、一緒にいた人たちは、もともと色が白いんですと言ってくれた。実はそう思っていたらしい。
そのうちいろいろとエスカレートしてくると、制服のスカートを友達のと取り替えてはいたりした。これはどういうことかというと、私はクラスで一番背が低く、友達は一番背が高い。そしてそのスカートを交換してはくことによって規定の長さを違反することになるのだ。職員室に行く時はまじめを装ってはいるが、ときどきそんなことをしていた。ちょっとしたジョークのつもりで気をまぎらしていたのだ。校則違反と言うほどではないはずだ。
授業をまじめに受けていれば、先生に怒られることもない。
成績は悪かったが、唯一予習をしていたのが、英語だった。教科書の文章をノートに写してすべて訳していた。読むことは自信がないが、辞書を引き意味を調べて訳すことが大好きだった。
地道な作業が好きなのかもしれない。自分のお気に入りの英和辞書を開きながら調べた単語を色鉛筆でなぞっておくのだ。どんどん手になじむ辞書を開き、そんな作業が楽しくて仕方がなかった。

職員室

2005-05-17 20:01:11 | 回想
休み時間に教室にいるのが、なんだかいやだ。グループの子達の話に入るのが、めんどくさくなった。そしてなぜか私は休み時間は職員室に行くことが日課になった。友達と2人で職員室に遊びに行くのだ。一日に2回は顔を出していた。先生達と無駄話をするためにいくのだ。生徒は普通はあまり近寄らない場所ではあるが、結構いごこちがよいのである。自分のお気に入りの先生と授業とは違う話をするのが楽しみだった。
スターダストレビューのコンサートに行った時に会場で国語の先生とばったりあった。それから、国語の先生とはスタレビの歌の話をする様になった。それから、演劇部の顧問の先生と戯曲の話をする機会があり唐十郎の話になった。私はすごく興味をもった。もともとコンサートや演劇には興味があり、たくさん観ていたが、先生の話を聞いて益々興味がわいてきたのだ。
自分の感情をうまく発散できないで悩んでいた私も、演劇を観ることでかなりストレス解消になった。あまり表に出さない感情を演じる演劇はかなり魅力的であった。舞台に立つものはきれいであり、洗練された物だと思っていた。そんなことはなく、人間なのである。初めて唐十郎の芝居を観た。自分の障害を恥じることはない、自分で思った道を進んでいけばよいのだと思った。この世で生きられるすべての時間を自分の時間として生きればいいのだと思った。自分が人と違うのは悪いことではない。自信をもって表現していいのだ。唐組の芝居の幕が開き、間もなく小さな大人が3人出てきた。とても小さな大人であった。私は釘付けになった。今まで自分は隠していた。どんなに隠しても隠せる物ではないのに・・・ずっとずっと昔障害者は、隠されていた。
教壇にたって授業をしている先生も自分の趣味をもち楽しんでいる人間なのである。休み時間、教室で過ごすことよりも職員室で過ごすことの方が楽しく快適であった。


禁じられた遊び

2005-05-16 15:14:32 | 回想
私の家の隣には私と同じ歳の女の子がいる。学年は私よりも一つ上である。小・中学校は同じ学校だったが、高校は別の高校である。家がすぐ隣ということもあり、私がいつも彼女の家に遊びに行ったり、泊まりに行ったりしていた。彼女がフォーク部に入ったと言い練習の「禁じられた遊び」を何度も聞くはめになった。映画でも音楽でもすぐに新しい物に飛びつく性格で流行には敏感なようだ。
お互いが一人っ子であったので、ちょうど姉妹のような感じで相談をしあっていた。
その彼女の友達が交通事故で重体になった。彼女よりも2つくらい年上の男友達は車の免許を持っていた。自分で運転していたのか、助手席であったのかは分からないが、かなり大きな事故だった。知らせを聞いた友達がたくさん集まり、献血もしたようだ。数日間の昏睡状態から目覚めた彼の足は動かなくなっていた。すでに切断されていたのだ。どんなにみんながお見舞いに来て励ましても、以前のような明るい彼ではなくなっていたそうだ。私の幼馴染は、どうしても私に合わせたいと思ったのだ。私が彼のお見舞いに行った時、少しずつ自分のけがを受け入れその体で将来いき続けて行く覚悟ができかけていた様子であった。笑顔でジョークも言っていた。
私は、生まれてからずっと障害を持って生きてきている。それが私のありのままの姿であった。
しかし、彼はほんのちょっと前までは自分の足で元気に走りまわっていたのである。
私は、県内には障害者なんて私しかいないのではないかと思っていた。実際はいることは分かっているが、自分の気持ちで、自分の考えで・・・自己中心的過ぎるがそんなふうに思っていた。
24時間テレビの中のドラマが大好きな私。がんばっている障害者を自分とダブらせて感動しまくって泣いている私。障害を乗り越えて幸せをつかむストーリが大好きなのだ。
幼馴染の家で、ドラマを見ながら大泣きしていた。車椅子バスケットのシーンをみて彼を思い出して2人で彼に電話をかけた。事故からすでに5年はたっていただろうか・・・「今、ドラマみてた?車椅子バスケ選手、同じチームの人たちなんだよ。」生き生きとした彼の声が返ってきた。
私も、ドラマじゃなくて現実で勝負しようと思う。



一味と七味

2005-05-12 19:51:19 | 回想
自分にもし障害がなかったら、今とは違う結末になっていたであろうか。考えたくはないがそう考える。捨てる神あれば拾う神あり。
もう一人、同じ文通で知り合った友達を紹介したい。彼はとても綺麗な字を書くギターリストであり、板前見習いでもあった。すなわち指先が器用なのである。それはともかく、私は彼とほとんど毎日のように電話で話をしていた。つまらない学校でのことを忘れてしまうくらい楽しかった。「私ね、手に障害があるの・・・」さらっと言い出せたわけではない。私の事を知って欲しくて彼に伝えた。「へぇー、そうなんだ。じゃあ何か困ったことがあったらいつでも相談しなよ、なっ。俺は応援するよ!」うれしくて涙が止まらなかった。同じ歳のためとても話題がはずんだ勉強の話から音楽の話、自分はこんなに冗談を言ったりするのかと、自分でも不思議に感じた。お互いが忙しくなると電話で話す事も減ってきたが、久しぶりに話てもかなり盛り上がれてしまう。しかし、お互いが連絡をしなくなるようなケンカをしてしまった。そのケンカの種は、お土産の一味唐辛子と七味唐辛子を間違えたことからはじまった。なんと高校生らしのであろうか!
それでも忘れたころに連絡を取り合っているのである。
私とは全く違う道を歩んでいる。20年後も受話器の向こうの彼と相変わらずのジョークを交わせる事がうれしい。

文通相手暴走 その2

2005-05-10 18:30:32 | 回想
前回に引き続き、もう一人のショッキングな文通相手について話たいと思う。
私と同じ年で、隣の県に住む男子高校生。
文通を始めた頃は、ごく普通の内容のやりとりであった。 しかし次第にラブレターみたいな愛の告白のような、熱列なアピールの文章になっていった。なんだ?と思ったら浜田省吾の歌詞の引用であった。そんな内容ばかりだと返事にも困る。まして私はラブレターなんてもらったことがないのでなおさらである。少しづづ距離をおくことにした。
すると今度は、私に会いたいと行ってきたのである。私は会いたくなかった。私の手に障害があることなどは話ていなかった。私を自分の理想のイメージに作り上げてかなりエスカレートしているからだ。益々自分を隠したいと思った。
返事など待つまもなく彼は、私に会いに来た。
私は、知り合いのお姉さんに相談して、一緒について来てもらうことにした。お姉さんは車で駅まで迎えにいくのについて来てくれた。彼が乗ってくる電車を待っている間も心強かった。それでも、その場を逃げ出したいくらい彼に会いたくなかった。彼に会った第一印象はない。お土産にペンダントをくれた。挨拶が段取りのように済まされ、お姉さんの車で食事に行った。そして、お姉さんは帰った。その後2人で映画を観に行くことになった。映画が始まりしばらくすると、彼は私に「トイレに行って来る」といって席を離れた。映画が中盤ラストシーン。エンドロールが流れ会場が明るくなった。隣の席に彼はいない、そして会場にも・・・・
どうしたのだろう?慌てて出来る限り探し回った。初めて来た街で迷子になっちゃったら大変だ。とても心配になった。お姉さんにも連絡して一緒に探してもらったのだが見つからなかった。
その夜やっと彼と連絡がとれた。無事に家に帰っていた。
彼曰く「トイレに行ったら、知らない人に人違いされて絡まれて映画館を出て、時計を見たらちょうど電車の時間だったので帰った。」とのことだ。
その後、手紙はこなくなった。

文通相手暴走 その1

2005-05-06 18:28:43 | 回想
その夜、うちにやってきた友人は手に大きな紙袋を持っていた。紙袋の中からおもむろに野菜と米を差し出した。それは彼女のうちでとれた野菜とお米だそうだ。意外な手土産にちょっとうれしくなった。
そういえば彼女の中間テスト期間中の入院は、原因不明のままであった。おそらくストレスであろうと診断されたらしい。私と同様に今のクラスにかなりのストレスを感じていたのだ。
私と彼女が仲良くなったきっかけは座席にあった。最初、クラスの座席は名簿の順番で決められていた。その後席替えを一度した。彼女と隣の席になった。それから、一年間席替えもなくずっと同じ座席であった。そのため「作家のうずら」の執筆活動も難なくこなせた。文通相手への手紙を一緒に書いたりもした。ある日、文通相手から、私と友達の分と言うことでパイナップルが届いた。なんか文通だけなのにねぇ・・・友達と2人でちょっとすっぱいパイナップルを食べながらお礼の手紙を書いた。この後、文通相手は思いもよらない行動に出たのだ。せっかくなのでそのことを書こう。クリスマスの夜中に車で家までプレゼントを届けに来たのだ。しかし、それは翌朝発覚したことだ。二軒先の家のおばさんが、玄関の前に私宛の包みが置いてあったと持ってきてくれたからだ。また、近所のおばさんが「昨日、夜遅くにあなたの家を訪ねてきた男の子に道を教えたわよ。」と意味ありげに教えてくれた。文通だけなのにとも思いながら・・・不安がよぎる。ちなみに中身は、ペアのマグカップである。