不思議と名前だけは頭にのこっていた。筋ジストロフィーの難波紘一さん。その人の生活や思いをもっともっと知りたいと思い著書も購入した。
そして、翌年の講演は田原米子さんという方だった。田原さんは高校三年生の時、電車の来るホームに飛び込み自殺をしようとしたのだ。幸い一命は取りとめたが、手足に障害を負うことになってしまった。足と手の指の切断により不自由な生活を送ることとなった。片腕の3本の指を残し切断されてしまった。「なんで自分だけが不幸なの」というマイナスな考えから「自分にはまだ3本の指がある」と変わっていった話などを聞いた。田原さんは伝道師の旦那様と出会い明るく前向きに生きていると話した。残された3本の指を皆に見せながら力強く講演していた。私は出来ることなら自分の手なんて誰にも見せたくはないし、何で自分だけが不幸なのかと考えていたので、かなり衝撃的だった。講演が終わって控え室で、たまたま田原さんにお会いできた。「大丈夫よ。あなたには10本指があるじゃない。」そんなふうに声をかけてもらえた。
田原さんは、たくさんの学校などで講演をしていたらしい。障害者の方を勇気づけ若者の悩みや相談を聞き、たくさんの勇気を与え続けていたと報じられていた。
そして、今年4月に67歳で昇天したことを先ほど知った。
そして、翌年の講演は田原米子さんという方だった。田原さんは高校三年生の時、電車の来るホームに飛び込み自殺をしようとしたのだ。幸い一命は取りとめたが、手足に障害を負うことになってしまった。足と手の指の切断により不自由な生活を送ることとなった。片腕の3本の指を残し切断されてしまった。「なんで自分だけが不幸なの」というマイナスな考えから「自分にはまだ3本の指がある」と変わっていった話などを聞いた。田原さんは伝道師の旦那様と出会い明るく前向きに生きていると話した。残された3本の指を皆に見せながら力強く講演していた。私は出来ることなら自分の手なんて誰にも見せたくはないし、何で自分だけが不幸なのかと考えていたので、かなり衝撃的だった。講演が終わって控え室で、たまたま田原さんにお会いできた。「大丈夫よ。あなたには10本指があるじゃない。」そんなふうに声をかけてもらえた。
田原さんは、たくさんの学校などで講演をしていたらしい。障害者の方を勇気づけ若者の悩みや相談を聞き、たくさんの勇気を与え続けていたと報じられていた。
そして、今年4月に67歳で昇天したことを先ほど知った。