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「匿名の悪意」との付き合い方

2008年04月06日 09時46分08秒 | Weblog
AERA 08、4.4
内田樹の市民講座より

 ホームページの時代からかれこれ7,8年、ネットで日記を綴っている。ちらちらと煙が立ったことはあるが、炎上したことはまだ無い。
 理由は簡単で、そのような批判にも反論しないからである。(これは、一般のメディの批判についても同様である)。
 ネット上の炎上対策は通常の消火法と同じである。酸素を供給しない。「酸素とは反論のことである。先方は反論を求めている。だからわざと隙をつくり、論理が破綻し、事実誤認を含んだ批判を書き送ってくる。これが「餌」なのである。「何をバカな」と反応することを先方は手ぐすね引いて待ちかまえている。
 あらゆるコミュニケーションは不可避的に毒を分泌する。それは不可避である。毒を除去して、対話の場を無菌状態に保とうとするのは不可能なことだ。毒の被害を最小限にとどめる方法についてクールに、テクニカルに工夫するしかない。
 私は匿名の批判には決して回答しない。罵詈や冷笑の語をできるだけ多くの読者の前に黙って置く。ブログの場合、日が経つ内に話題が変わり、書き込まれた批判が時事性を失うと同時に、書き手の焦燥と飢餓感だけが死んだ獣の骸骨のようにそこに残る。
 匿名の悪意がどれほど醜悪であるかは、それを隠蔽したり除去したりせず、満天下にさらすことでより教化的な意味を持つと私は思っている。