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聖書では、サタンは「空中の権威者」と❗❗電波みたいね❗

2023-06-07 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
新約聖書の中には、サタンは「空中の権威者」と書かれている。

長い内容なのでお時間がある時に読んでね。

次の文は、サタンについてのある方の質問「なぜ、サタンはこの世の神と言われているのか」という質問に答える牧師さんの答えです。

「この世の神」という表現は、サタンが大多数の人々の理想や意見、目標や希望、そしてその見解に大きな影響力を持っていることを示しています。サタンの影響力は世界の哲学体系や教育、そして商業にも及びます。この世の思想、概念、思索、偽宗教はサタンの支配下にあり、彼の偽りと欺きとから発生しているのです。
これは、ある教会の牧師さんの答えからの引用:

サタンはまた、エペソ人への手紙 2:2で「空中の権威を持つ支配者」とも呼ばれています。ヨハネの福音書 12:31では「この世を支配する者」となっています。これら、及びその他の数々の称号はサタンの能力を表わすものです。例えば、サタンが「空中の権威を持つ支配者」であると言うことは、サタンが何らかの形でこの世界とそこに住む人々を支配していることを示しています。

それは、サタンが世界を完全に支配していると言うものではありません。やはり、主権は神にあるのです。しかし、それは、神がその無限の知恵において、この世で神が設置した境界線の範囲内でサタンが働くことを許していることを意味しています。サタンがこの世を支配すると聖書に記されているとき、私たちは、神が未信者に対する所有権のみをサタンに与えていることを覚えておかなければなりません。信じる者たちは、もはやサタンの支配下にはありません(コロサイ人への手紙 1:13)。信じない者たちは、反対に、「悪魔のわな」にとらえられており(テモテへの手紙 第二 2:26)、「悪い者の支配下」にあって(ヨハネの手紙 第一 5:19)、サタンに捕らわれているのです(エペソ人への手紙 2:2)。

ですから、聖書がサタンは「この世の神」であると言うとき、それはサタンに最高権威があることを意味しているのではありません。それは、信じない世をサタンが独特のやり方で支配するという概念を伝えているのです。コリント人への手紙 第二 4:4で、信じない者はサタンの計略に従っています。「この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。」サタンの目論みには、この世界における誤った人生哲学を推進させることが含まれています。その原理は不信者を福音の真理に対して盲目にするのです。人々は、サタンの哲学体系という要塞に閉じ込められており、彼らはキリストによって解放されなければなりません。

そのような誤った哲学の一例として、人が特定の行為や行動によって神の好意を得ることができるという教理があります。ほとんどの偽宗教において、神の好意を得ること、あるいは永遠の命を得ることは、主要な課題となっています。しかし、行いによって救いを得ることは、聖書の啓示に反しています。人は努力して神の好意を得ることはできません。永遠の命は無償の賜物だからです(エペソ人への手紙 2:8-9)。そして、その無償の賜物は、イエス・キリスト ただ一人のみを通してしか手にすることができません。(ヨハネの福音書 3:16; 14:6)。なぜ人はその無償の救いの賜物をあっさりと受け取ってしまわないのだろうかと疑問に思う人がいるかもしれません(ヨハネの福音書 1:12)。その答えは、この世の神であるサタンが、むしろ自分のプライドに従うよう人間を誘惑してしまっているということです。サタンが計略し、不信仰な世界が従い、人類は騙され続けるのです。聖書がサタンを偽り者と呼ぶのは、少しも不思議なことではありません。

以上、長いお答えですね。

ここからはひろばあの意見も混じってます。

ある牧師さんはサタンについて次のようなことも書いています。
悪魔(サタン)とは、罪や悪によって神や人に敵対する霊的存在のことです。
聖書にも登場し、
• 誘惑する
• 別の生き物の姿に変わる
• 既に亡くなった人に化ける
• 不思議な業を見せ、奇跡を起こす。

• 悪い考えを浮かばせる

などの手口によって、人々を惑わしている様子が描かれています。
聖書を読むと、手下の悪霊たちの為せる業もたくさん書かれています。


また、聖書の中で悪魔(サタン)は、
• 空中の権威を持つ支配者
• この世の神
• 暗闇の支配者
• 罪に誘う誘惑者

など、合計17種類もの名前で呼ばれています。

ひろばあの心配事
要注意は、彼らは光り輝く天使の様に見え、多くの人が惹きつけられるということです。
聖書中に、「蛇の様に用心深く、鳩の様に純真であれ。」とのアドヴァイスがあるのは頷けますよね。赤ずきんちゃんの童話の中の悪い狼や、ピノキオのストーリーの中のピノキオをさらった悪人たちを思い起こせば、初めに善良な人の振りをして近づいてくる悪人たちの手くだを想起できますね。

堕天使の暴力的な子供達について旧約聖書の創世記6章では「彼らは名高い英雄であった。」と書かれています。「地は暴虐で満ちていた。」とも書かれていて、シュメールのギルガメシュのように多くの平民の中では慕われ崇拝されていたようです。
悪魔(サタン)は元々は天使のかしらでしたが、高慢になったことで神から追放されました。(後述)
そして、悪魔(サタン)は現在も私たち人間を陥れようといつも働いているのです。



ここからは牧師さんの意見
つまり、以前は神に敵対するどころか、神に仕える存在だったわけです。
では、なぜこんなに堕落してしまったのかというと、聖書にはこうあります。
イザヤ書14章12~15節
「12黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。 13あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、 14雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。 15しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。」


「俺様は神のような存在になって、他の天使たちや人間を支配してやる!!」
という高慢な気持ちを抱き、神様に反逆したからです。
そして、自分に賛同する他の天使たちも集めて、戦争を起こしてしまいました。

しかし、彼らは結果的に神の軍団に敗北し、天から投げ落とされてしまったのです。
このとき、悪魔(サタン)と共に地に落とされた天使たちは、全体の3分の1にも達しました。

こうして、悪魔(サタン)はいわゆる“闇堕ち”してしまったんですね。

悪魔(サタン)は聖書でも度々登場しますが、その代表的なシーンを見てみましょう。
• 創世記:イブを誘惑する
• ヨブ記:ヨブに様々な災いをもたらす
• マタイ伝:イエス・キリストを誘惑する
• イスカリオテのユダの中に入る
• 黙示録:サタンの最期

「へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。」
(創世記3章4、5節)

ここからはまたひろばあ解説
聖書の中でも非常に有名なお話“アダムとイブ”の中で、早速サタンは登場します。
その姿はなんと、大変ずる賢いヘビ。

聖書の最初から最後まで読まないと聖句が(さて、何のことやら?はてな?となります。ひろばあもそうでした。「聖書の聖句は聖書の聖句から解明する。」と言うのが教会や牧師サンたちの言う原則です。聖書を切り取って読んで自分で解釈すると大間違いを犯しますので、気をつけてね。

黙示録の12章9節を読めば、この蛇がサタンのことだと分かります。
9この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使いたちも、もろともに投げ落された。

この聖句ではサタンは龍とも言われています。それで、ある牧師さんはむかし蛇には足があったのでは?と言っています。なぜなら、聖書の創世記の3章には次のような記述があるからです。

14 主なる神はへびに言われた、/「おまえは、この事を、したので、/すべての家畜、野のすべての獣のうち、/最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、/一生、ちりを食べるであろう。

しかし、サタンが蛇を使ったとしても、蛇が悪いわけではないとも思いますよね。神が蛇を呪ったのが何故か❓それは、私にはわからない。これには二重の意味があって、サタンも地を這うような経験をすることになったのかな?、なんても思うのですが、やはり勝手に自分で解釈するのは危険なので、神に「教えてください。」と言って待つのが正しい態度かもしれません。前にも言ったように、「天地を創造した。」と言われる神に較べて、私の場合地球でさえ創造できず、可愛い犬やネコでさえ欲しいと思っても無から生じさせることなど絶対できない情けない存在なので、神のなさることを完全に理解するのは不可能なのでしょう。

宇宙でさえ創造させることがおできになる神が、私達人間に奥深いことを理解させようと思っても、乳児に方程式を教えるようなもので不可能なのでしょう。


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