これを読んでいる途中、業務で個人情報保護法について調べる機会があり。
プライバシー保護と個人情報保護法は、思った以上に別々だった。
私は専門家ではないし、あくまで私の感覚でいうと、ですが。
いわゆる法で定義されるところの「個人情報」が晒されたり覗き見られたり
すること自体ではなく、その先のプライバシーの侵犯こそが問題なのに。
データを活用する側(私の業務はそれ)もされる側(これもワタシ)にも
手間がやたらかかる割にちゃんとプライバシーが守られていくのか確証が薄い。
国内制度と議論、エネルギーのかけかたが間違ってないか?
閑話休題。
意外と手に馴染む縦長のB5変形。
ブルーのインクで穏やかに綴られるコラムはキーテーマを重ねていく。
多く取り込まれている引用の先に、おそらくより深い知が横たわっている。
だから、読んでいくと、軽い散歩に出たつもりが、
いつの間にか深い森に入り込んでいたような錯覚を覚える。
論点の森。
本書139頁からの引用:
「プライバシーの死」は肯定できるのか?これが本書の当初から念頭に
あった問いである。勢いづくポスト・プライバシー論の背景には、人間
という概念のアップデートを迫り、人間はテクノロジーと合体すべきだと
謳うトランス・ヒューマニズム」の世界観が横たわっている。
トランス・ヒューマニズムは、一神教的価値観を背景とした神格化への
希求を孕んでいると、以前に読んだ幾つかの書籍で語られていたっけ。
また一方にデータ資源論。デジタル世界によるリアルな私への浸食のこと。
デジタルの処理スピードに追い付かない人間の判断。契約行為の増大。
ありのままが記録され、記憶の改変という緩衝材が無効化する世界(狂うぞ)。
プライバシー保護と個人情報保護法は、思った以上に別々だった。
私は専門家ではないし、あくまで私の感覚でいうと、ですが。
いわゆる法で定義されるところの「個人情報」が晒されたり覗き見られたり
すること自体ではなく、その先のプライバシーの侵犯こそが問題なのに。
データを活用する側(私の業務はそれ)もされる側(これもワタシ)にも
手間がやたらかかる割にちゃんとプライバシーが守られていくのか確証が薄い。
国内制度と議論、エネルギーのかけかたが間違ってないか?
閑話休題。
意外と手に馴染む縦長のB5変形。
ブルーのインクで穏やかに綴られるコラムはキーテーマを重ねていく。
多く取り込まれている引用の先に、おそらくより深い知が横たわっている。
だから、読んでいくと、軽い散歩に出たつもりが、
いつの間にか深い森に入り込んでいたような錯覚を覚える。
論点の森。
本書139頁からの引用:
「プライバシーの死」は肯定できるのか?これが本書の当初から念頭に
あった問いである。勢いづくポスト・プライバシー論の背景には、人間
という概念のアップデートを迫り、人間はテクノロジーと合体すべきだと
謳うトランス・ヒューマニズム」の世界観が横たわっている。
トランス・ヒューマニズムは、一神教的価値観を背景とした神格化への
希求を孕んでいると、以前に読んだ幾つかの書籍で語られていたっけ。
また一方にデータ資源論。デジタル世界によるリアルな私への浸食のこと。
デジタルの処理スピードに追い付かない人間の判断。契約行為の増大。
ありのままが記録され、記憶の改変という緩衝材が無効化する世界(狂うぞ)。
等々。
ああ、この辺の話、読んでいると意外と体感覚に来るなぁ。
私の思慮による制御が効かない、痛みだか痒みだかが、
私の外側で増幅された強烈さをもって、私の裡に来るのだ。むずむず。
何故だろう。
考えるに、管理や取引の対象は、固定的なもの・あるいは固定されたもの、
景色でいえばスナップショット、環境変化に応じて千変万化するものではない。
デジタルツインな私は、私のいつかのスナップショットであって、
変化する私そのものではない。ゆえ。
デジタルの枠に置かれるのは、"その"デジタルの定義に基づく制度の中に
拘束されることだから、本文にあるように中世的・過去の枠組みに戻らされる
感覚はある意味当然のことかも知れない。
技術が進んで、デジタルへの反映がタイムラグなしかつ100%全体に近づいたら
それは確かに私自身だと許容できるのか。でもそれを
私自身がみるのは(私はわりとメタ認知をする方だと思うけど)きついかな。
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プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明
武邑 光裕 著
黒鳥社 2020/11
https://blkswn.tokyo/
参考: https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000052157.html
年末読書記録棚卸の続き、読みかけ本Finish。歳またぎ。
(2021.1.1 読了)
「歳またぎ」が最初の変換で「都市マタギ」と出て、これはこれで(笑)。