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【読書】プライバシー・パラドックス

2021-01-01 13:36:39 | 読書記録
これを読んでいる途中、業務で個人情報保護法について調べる機会があり。
プライバシー保護と個人情報保護法は、思った以上に別々だった。
私は専門家ではないし、あくまで私の感覚でいうと、ですが。
いわゆる法で定義されるところの「個人情報」が晒されたり覗き見られたり
すること自体ではなく、その先のプライバシーの侵犯こそが問題なのに。
データを活用する側(私の業務はそれ)もされる側(これもワタシ)にも
手間がやたらかかる割にちゃんとプライバシーが守られていくのか確証が薄い。
国内制度と議論、エネルギーのかけかたが間違ってないか?

閑話休題。

意外と手に馴染む縦長のB5変形。
ブルーのインクで穏やかに綴られるコラムはキーテーマを重ねていく。
多く取り込まれている引用の先に、おそらくより深い知が横たわっている。

だから、読んでいくと、軽い散歩に出たつもりが、
いつの間にか深い森に入り込んでいたような錯覚を覚える。

論点の森。

本書139頁からの引用:
 「プライバシーの死」は肯定できるのか?これが本書の当初から念頭に
 あった問いである。勢いづくポスト・プライバシー論の背景には、人間
 という概念のアップデートを迫り、人間はテクノロジーと合体すべきだと
 謳うトランス・ヒューマニズム」の世界観が横たわっている。

トランス・ヒューマニズムは、一神教的価値観を背景とした神格化への
希求を孕んでいると、以前に読んだ幾つかの書籍で語られていたっけ。

また一方にデータ資源論。デジタル世界によるリアルな私への浸食のこと。

デジタルの処理スピードに追い付かない人間の判断。契約行為の増大。

ありのままが記録され、記憶の改変という緩衝材が無効化する世界(狂うぞ)。

等々。

ああ、この辺の話、読んでいると意外と体感覚に来るなぁ。
私の思慮による制御が効かない、痛みだか痒みだかが、
私の外側で増幅された強烈さをもって、私の裡に来るのだ。むずむず。

何故だろう。
考えるに、管理や取引の対象は、固定的なもの・あるいは固定されたもの、
景色でいえばスナップショット、環境変化に応じて千変万化するものではない。
デジタルツインな私は、私のいつかのスナップショットであって、
変化する私そのものではない。ゆえ。

デジタルの枠に置かれるのは、"その"デジタルの定義に基づく制度の中に
拘束されることだから、本文にあるように中世的・過去の枠組みに戻らされる
感覚はある意味当然のことかも知れない。

技術が進んで、デジタルへの反映がタイムラグなしかつ100%全体に近づいたら
それは確かに私自身だと許容できるのか。でもそれを
私自身がみるのは(私はわりとメタ認知をする方だと思うけど)きついかな。

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プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明
武邑 光裕 著
黒鳥社 2020/11
https://blkswn.tokyo/

参考: https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000052157.html

年末読書記録棚卸の続き、読みかけ本Finish。歳またぎ。

(2021.1.1 読了)


「歳またぎ」が最初の変換で「都市マタギ」と出て、これはこれで(笑)。

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