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ぐるぐる・ぶらぶら

歌舞伎と映画と美術と読書の感想

【公演】元禄港歌-千年の恋の森-

2016-01-30 23:12:16 | 演劇

ばた、と音をたてて降り落ち続ける椿の花は、悲運の予感。
人の営みなぞお構いなしに、不意に何かを断つように降っては、
さだめへの時を容赦なく刻む。

「葛の葉」に象徴される"異界"のあちらとこちらの物語である。
千年の森。蔑まれる人々。瞽女。狐の子。

役者さんそれぞれが役の人物像に高い説得力。

猿之助さんにはっとさせられた。
型の超応用(あるいは猿之助さんの中での窯変か)で糸栄を表わす。
自然で、深かった。

お浜/新橋耐子が上方の空気の背骨。

特に強く強く印象に残ったシーン:
・冒頭、瞽女たちが客席を通って現れたときの初音/宮沢りえ、
 あまりの美しさに息が。
・終盤、歌春/鈴木杏が上手から舞台に現れ、人々が眼を向けた瞬間。
 空気が変わった。何かが鷲掴みにされて、幕が下りるまで涙腺崩壊。
・終幕直前、客席を通っていくときの糸栄/猿之助の表情。

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元禄港歌-千年の恋の森- Bunkamura シアター・コクーン
公式サイト:http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/16_genroku/index.html

(2016.1.30)


【公演】禁断の裸体

2015-04-18 21:19:57 | 演劇

舞台はブラジル、少女期の母の一言から"死"の観念に囚われた女性。
彼女を巡る3人の男。妻を喪った男とその息子、弟。
彼らに密着する未婚の叔母たち。
死と対極であり表裏でもある、"性"が物語のもう1つの基調。
あるいは、抑圧と開放。間に"神"。

極から極に飛ぶ、人の不思議さ・面白さを俳優陣が好演。

ひとつ間違うと(日本人には)死と性に対する人の反応の因果関係が
説明的に陥りそうなところを、寺島しのぶが演技で押さえ込む。

"ブラジル"な?男性陣の人物造形、感情移入ゾーンからの乖離を、
ぎりぎりのところで俳優陣が踏みとどまらせる。

際立って、俳優が脱ぐ舞台でもある。

観てる間は、身体の美しさだったり個性だったりを感受していた。
行為表現、予想超。そこだけについて言えば前衛劇の域。

観終わって、はて、と。
今回の裸体の意味するところは?(これだけ演技陣揃えてあえて脱ぐ意味は?)

演者そのものの美?
性の生々しさを表現するため?
ぎりぎりまで実物を見せ、かつ遵法の範囲にするという技術?
観る側の受け取り方次第か。

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禁断の裸体 Bunkamura シアター・コクーン
公式サイト:http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/15_kindan.html

(2015.4.17)