pさんは話すときには力が入るらしく言葉がどもる、
悪い人ではないが、面白い人でもない、どちらかというと
自分主義な人だと感じることが多かった、
ゲストハウスで初めて会ったのは、私が初めてここに来た時だ
かれこれ18年前になる、
pさんは、奴らに(タイ人の女)持てるらしい、私は何人もの彼女を紹介されたがものの見事に皆にふられた
酒が飲めないかららしい、場が楽しくないとだめらしい、
無理です、店のウェイトレスさんに気持ちが動かないしね、
決して私に魅力がないわけではない(そう思わずにはいられない)
pさん曰く、おお、お前はだめだよ、奴らが言ってた、
なんて?
あーーー、そのーー、いいいいわな。
何を言ってるのかは不明だった、ごまかしてるな、そう思っていたが違うらしい、
もっとな、飲ませないと、買わないと、
そうか、金を使わないかららしい、が 無い袖は振れない、
でも、よく紹介してくれる、なぜなのか最後まで分からなかったけどね、
そんなpさんが、ある日、
ここ(ゲストハウス)からアパートに引っ越すわ、と さっさと荷をキャリーバックに詰めて
じじ、じゃな と引っ越してしまった、
どうもタイ人の彼女と暮らすらしい、と感じたのは引っ越す1週間前だった
おおおお、女にさ、もっといい暮らしをしてよ、と言われた、ホテルに住んでほしいらしい、との事
かかか、金がかかりそうだ、今度のは、
ホテルは無理だな、こここ、コンドーでいいだろう、と言ったらいやな顔された
どどど、どうするかな、めめめ、めんどくさいな、と
嬉しそうだった、
そして、急に引っ越した、
そこは、pさんに限らず気楽なものでバッゲージ一と身体一つで動ける、
タイ人が探したのだろう、ホテルかコンドーの話がアパートメントに代わっていた、
それからは、私に女の紹介はなくなり、やることもなくなり 毎日タイマサージ通いの日々をすごした
このころのマッサージはすごかった、まるでプロレスのようなスタイルがあった、
ボデイケア、足、腕、が終わると終了まじかにこのスタイルに入る、
ブリッジ
私はこれが怖くて、怖くて、毎回断っているが何せ言葉が通じないのか
はい、どうぞとばかりに座らされ、背後にタイ人のねいちゃんが回り
後ろから肩を組む、羽交い絞めのようにね、姉ちゃんの足が腰のあたりにあてがわれ
私はエビぞり状態で宙に浮く、その状態でゆさゆさを腰あたりを揺さぶられるのです
小さな体のタイ人の姉ちゃんが体重70kの私を浮かせるのですが、もろに腰にくる、時間は短いのだが
これが腰に悪い、必ず次の日は腰痛でひどいときは歩くことが出来なくなる
ゲストハウスの廊下を足を引きづって歩いていると、タイマッサージか?と必ず言われる
今はやらなくなった、あれは観光客用だったらしい、どう考えても変だったし効果はないと思う
良くなるわけがない
それから街歩き、散歩だ 観光はなんてものはもう行かない、どこに行っても同じだし、
ラオスも カンボジヤも ベトナムもどこも一緒、暑いだけ
で、バンコクで過ごす毎日、これを皆は 沈没してるという
そんな毎日を過ごしていると、pさんがエアコンの入っている待合室にいた、
久しぶりだね、どうしたの?
いいい、いやー、久しぶりに恋しくてさー、やはり一人は辛いな、話し相手がなくてさ、
なんて言っているが ふられたな、そう直感した、
いつまでいるの?
ふふふ、2日くらいかな、指をピースサインにして出した、
いいい、いや、奴が帰ってこないんだよ、俺一人じゃ毎日がやることなくてさ、
誰も来ないし、毎日テレビ見ていても、NHKは入らないから訳の分からないタイ放送
みみみ、見飽きた、こここ 孤独は辛いよ、
そう、
ははは、はじめだけだね、愛してる、あなただけよ、なんていうのは、
なー 知ってる?
キッン、キッーンてさ、恋しい 恋しいという意味らしいよ、
毎晩言ってたね、
それがさ、
最後のセリフは、日本人バカーーー、だもんね
出て行ったよ、
家財道具どうするんだ?コノヤロー、て怒鳴ったけどさ、
(どうも、冷蔵庫、テレビ、ベット、タンス、化粧台、キッチン用品、すべて購入したらしい)
全然連絡なし?
そう、あのさ 悪いけど手伝ってくれる、荷物(家具)の処理したいんだ、
いいの、帰ってくるんじゃない?
ももも、もういよ、10カ月暮らしたし、あれはだめだなと思う、気性が荒いし・・・・
もう、2カ月になるし こないだろう 帰っては?
ということで、私はpさんのアパートに行くことになった、
別れる原因になった出来事が別のゲスト仲間から聞かされた、
私がいないときに相談に来たらしい、
それは・・・・・奥さんが