この9年間、ショーケンの事をポツンポツンと5つも書いてきた。
そして、今回で6つ目。
映画「約束」に始まり、
ドラマ「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」と大ヒットを飛ばし。
あふれ出る、瑞々しい感性を惜しみなく放っていたのが、若き日のショーケン。
だが、
薬、暴力事件、、と黒々とした暗雲に自らが取り込まれ、
気がついたら<あの人は、今。。>に。
だが、<あの人は、今。。>では終わらなかった。
1995年のドラマ「外科医柊又三郎」で観たショーケンは、別人のような印象、、へ。
そこには
母の死、過去への懺悔から、1993年四国八十八箇所のお遍路を決行。
1400~1600㎞を37日間で敢行。
このお遍路が、ショーケンのくすんだ人生に一矢を放った。
それは、
10代から芸能界に身を置く彼にとって、
人の温かさと無償の愛を知る大事な転機になった。
でも今時、
四国巡礼八十八箇所のお遍路と云われても、、ピンとこないさね・・・
なので、
チョットだけ図解で見てみよう!
◇四国八十八箇所巡りとお遍路さん◇
お遍路は、基本は歩き。
全行程は、二カ月弱が目安。
北海道テレビ「水曜どうでしょう」でも、お遍路編でやっていたが、
なにせ大泉洋のあの感じのせいか、車で移動というのもあり、
霊験あらたか、、という言葉とは無縁な、ゲーム感覚の踏破。
テレビの前の私は
「ふーーん お遍路さんって案外簡単に廻れるんだなぁ~」と思っていたら、
全然違っていた!!
独白本「ショーケン」に描かれていたお遍路は、
人の心根を変えるほどの威力があると知った。
そして不思議だったのは、
現代なのに、なぜ江戸中期のような出で立ちの白装束で、お遍路するのか、、
ショーケンの最初のお遍路は、ジーパンにTシャツという出で立ち。
この姿を見た住民が、
『白装束で行かないと困った時、助けてもらえないよ」と助言。
そして後々、
彼は、この白装束の偉大な効果と深い意味を身をもって経験する。
お遍路の道のりは、実は獣道も多く、迷ったりした場合などは、
途中で人家があれば泊めてくれたり、温かい食事をふるまってくれる。
そして、先に歩いてたお遍路さんとも顔見知りになり、
見知らぬ人のお遍路に来た事情に、耳を傾けるようになる。
そこには、
社会的地位も男女の垣根を超えたナニカ見えない信頼感が生まれ、
励ましあいながらこの苦行を続ける。
ショーケンも例外ではなく、
地元民の家に泊めて貰ったり、
手作りおにぎりや
突然、ジュース代として100円を持ってきたり、
お小遣いとして1000円渡されたりと。。
見知らぬ人の温かさと深い慈しみに、
彼の心は、人を受け入れることに心地よさを感じ、
静かで平らな気持ちを味わう。
最初の御遍路さんの旅は、今までの人生の不安定さを大きく変えたキッカケだった。
そして、
俳優ショーケンとして、萩原敬三として、
<心を尽くす美学>を魅せてくれたと思っている。
◇お遍路さんは 確かにナニカを変える!!!◇
実は、お遍路さんに纏わる話しが一つある。
私が高校生の頃、
小さい時から通っていた家の裏にあった八百屋さん。
仲睦まじいご夫婦で営んでいて、仲の良さは有名だった。
でも運命とは皮肉なもので、
まだ50そこそこで、奥様はガンであっけなく亡くなられた。
深い哀しみで商いも閉じ、ご主人は四国へお遍路さんに向かった。
我が家の裏庭から見えるご夫婦の家は灯りがともることもなく、
四カ月が経ったある日。
突然の帰宅と同時に、裏庭で手を振るご主人の晴れやかな笑顔を見た。
そしてあくる日、
我が母に プロポーズしにやって来た。
幼いころからの馴染みの八百屋さんを「パパ」とは呼べない!!!と
困惑する私。。
そして、
母は一刀両断、にべもなく断った。
ご主人は、自宅と店を売却。
二度と会うことはなかった。
あの時は、奥さんがなくなったばかりなのに・・・と憤ったが、
今なら、なんとなく分かる気がする。
お遍路の四カ月、色んな感情を巡らせながら、哀しみを消化してきたのだと。
そして、
明るい未来を生きよう!と意を固めた。
だからか、何十年経っても<お遍路さん>と聞くと、このことを思い出してしまう。
長い長い道のり、
人の情に触れながら、
ただひたすら足を棒にして歩くことは、
世間体や、絡めとられていた感情を小さくしてくれるのだろう。
お遍路さんと聞くと、
なぜか胸がチクチクとする感覚に、いつか行ってみたいと思う。
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