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鈴木るりか 15歳の小説家「さよなら田中さん」~「14歳、明日の時間割」

2019-08-27 18:24:04 | 

前回のブログは、矢部太郎氏「大家さんと僕」の番外編と完結編。
番外編「大家さんと僕」と僕には、
沢山の著名人から寄せられた言葉が詰まっていた。

その中で、グラッとよろめいたのが、15歳の小説家<鈴木るりか>さん。
矢部太郎という人となりを、鮮やかな切り口で言い表していた。
短い文面なのに、一瞬で惹きつられてしまったワタシ。

若干15歳で、プロの小説家。
その若さに反し、言葉を知り尽くしていて、
鈴木るりかという物書きの目線が、えらく老成しているような気がした。

彼女が生まれ育った家の隣は、図書館。
その図書館で、沢山の絵本をめくり、小説を読んで過ごした。
そして
いつの間にか、頭の中で物語りを描くことが日常になった。

この感受性を持つ少女の本が読みたい!!
ワタシの小さな脳みそは、昂る気持ちでプリプリし始めたのだった。


◇14歳の作家デビュー 「さよなら田中さん」◇

読み始めた時から読み終わるまで、退屈する暇のない物語りだった。

近所の激安堂や
夕方のスーパー最終見切り品が、生活の根っこを支えている家庭。
田中さんちは、母子家庭だった。
しかも、お母さんは男たちに交じってキツイ仕事をしている。

だが、
どんな局面にもお母さんは強く、生きるための戒めの哲学を持っている。
その子供が、物語りの主人公<田中さん>なのだ。

小学校の同級生、大家さんと大家さんの引き籠り息子、激安堂の店主が、
田中さんの気持ちをオトナの入り口へと彩っていく。

母と娘はかなり経済的には苦しいが、お母さんは弱音を吐かず、
自分が出来る最大公約数で乗り切ってくる。
それでも、
思春期の娘にとっては、チョット切なかったりもするが、
母の最大公約数はいつもカッコよく、
がんばる母の哲学を、その細い背中を、誇らしく思っている。

そんな風景を少女作家は、
イソップ童話『すっぱいぶどう』の狐とたわわに実る葡萄に例えたり。
もらい物に関して異常な記憶力の母を、
ホイットマンの『寒さに震えたものほど、太陽を暖かく感じる』を引用したり。

彼女の想像力が描く物語りは、
機知に富み、どんな局面もヘコタレナイ、
なのにフワッとした優しい光が寄り添ってくる。

この筆力の豊かさは。。
出掛ける前に、入念にチェックする白髪もない、、
視力の衰えに憂うこともない、、15歳の少女が書いた物語りだった。。


◇二作目「14歳、明日の時間割」◇

一時間目~六時間目、放課後と一つ一つの時間割が物語りに。

懐かしい匂いがした。
セピア色になったはずの中学生のワタシを思い出した。

家庭科や数学は苦痛で、早くオトナになってこの呪縛から逃れたい、、
それは、
社会に出て、この夥しい複雑な数式が、役に立つとは思えなかったからだった。

だが、今になると分かってくる。

小難しい勉強や運動の多くの苦しさは、ある地点に到達するまでの過程を知ること。
それは、到達した瞬間に、風景が変わることを記憶すること。
多分、
これが人の精神的な体力を作っていくと気づく頃には、
社会で生きていく一員となっている。

今思えば、
ヘンな先生、孤立する同級生、立ち回りの巧いヤツ、妙に生真面目な友人、
何処かずれてる面倒な校則やら、、
全部が、生き抜く体力を培うのだと。。

そういう過程を描いたのが『14歳、明日の時間割』だと思う。

その中の五~六時間目の体育の章は、
いくつもの人生がスクランブル交差点のように交差する。

ここに込められた言葉は、とても老成した哲学だった。

そして、
この二作目の小説で知ったのは、
鈴木るりかという作家は、あらかじめ物語の帰結点を設定していない。
登場人物の設定をし、書き始め、
物語りがどう動いて行くのか、書きながら決めていく。

コレをやってる人は、物語りを紡ぐために生まれたような村上春樹氏だ。

全くタイプの違う作家だが、光のある小説を書きたい。。という鈴木るりかさん。
沢山の光を放ってくれる作家になって欲しいと思う。

**今回の表紙**
「14歳、明日の時間割」の表紙は、矢部太郎氏の作品ですよ🎵

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日常の幸せは,,矢部太郎「大家さんと僕」と僕~「大家さんと僕 これから」

2019-08-06 14:53:03 | 

一年前、体調不良で心が折れてしまった夏。

ただ日常に流されまい、、と踏ん張っていたはずが、
揺るがないはずの根性は、見事なほどあっけなく崩れおちてしまった。。
今までの積み重ねは、ナンだったのだろう、、と。

入院する前日、家人が一冊の本を買ってきた。
それが「大家さんと僕」。
ページをめくると、ふわふわした線のオトナ二人。
二人は大家と店子という、ドライな関係。

チョット時代ずれしたような大家さんと中途半端な売れ方の芸人の会話は、
噛み合うはずもなく、
矢部さんの困惑ぶりと、内心のほっといて・・・感は、至って当たり前のように見えた。

それでも
流れゆく日常の中で、大家さんと矢部さんのボタンの掛け違いは、
徐々に個性的な面白さに変わり、
お互いの生活が、枯葉色の孤独を帯びた色から、
チョットづつチョットづつ
小さな出来事やプチ共感の積み重ねで、
それぞれの人生に、若葉のような色を放ち出した。

「大家さんと僕」は8年間の凝縮が綴られていたが、
この裏側に埋もれてる大家さんの意思やトラウマは、
読み手の感性が試されるように、うっすらと滲ませる程度。
この描き方に、矢部太郎という人の大家さんへの静かな優しさが見える。

そのうっすらの滲みを一歩掘り下げた本が、一年後、新たな二冊の本に。
この二冊が「大家さんと僕」を再び、今も湧き続ける深い井戸のような物語にした。


◇日常の幸せ 完結「大家さんと僕 これから」◇


大家さんと矢部さんの何気ない会話は、天然ボケと変化球の突っ込み。
だからか、起承転結は予測不能。
なんたって、大家さんが突っ込みで、矢部さんはボケなのだから。

読み手が驚くのだから、当事者の矢部さんの驚きは、えらく共感できちゃう。。

80代後半になっても、大家さんの言葉は優しいのに、鋭い。
矢部さんの何気ない言葉も、大家さんはインプットし、
ここぞというタイミングで緻密にさらりと行動する。
恩着せがましくなく、
矢部さんとのプチワンダフルな想い出の一つにしてしまう大家さん。

そこには、静かな孤独と向き合ってきた人の優しさと、とても上質な想いがある。

大家さんの持ち味は、
意外なほどの芯の強さとフランスのマダムのようにエスプリの効いた言葉。

大家さんのエスプリ感に共感出来るのは、矢部さんも同じ立ち位置で視ているからだと。

ただ一つ
矢部さんが共有出来ないのは、それは<戦争体験>。
「大家さんと僕 これから」の中には、
大家さんの戦争への恐怖と沢山の友達を失った大きな喪失感が、トラウマになっている。

8月が好き。。沢山戦争のことを放送するから、、
矢部さんが戦争に取られたら、どうしよう・・・

色んな場面で、戦争の恐怖を語ると止まらなくなる大家さん。

それでも、矢部さんはその言葉の中に真実の怖さを知り、
戦争体験者の大家さんの言葉を拾い上げ、
大家さんの太陽と隠された月の両方を俯瞰しながら描いていた。

「次は にぎやかな 一冊 がいいわ!!」とノタマッタ大家さんだが、
その想いには、十分なほど応えたんじゃないか、、と。

読み終わり、完結した「大家さんと僕 これから」の余韻に浸っていたら、
今年の6月に「大家さんと僕」と僕がこっそり出ていた・・・


◇こっそり番外編 「大家さんと僕」と僕。。◇


著名人が「大家さんと僕」に寄稿しているパートがあり、
その中で、15歳の小説家、鈴木るりかさんの書評が素敵すぎた。

14歳で作家デビューした精度の高すぎる感受性によろめいたワタシ、、
多くの人が、ほっこり。。という言葉で括りがちなのに、
彼女も大家さんと矢部さんの月の部分を見逃していなかった。

<12歳の文学賞>に2013・2014・2015年と三年連続大賞に選ばれ、
14歳に書いたデビュー作「さよなら田中さん」を是非!!読んでみたいと思う。


矢部太郎という人は、
とても弱そうで、案外弱くなく、
流されていそうで、流されていない。

だからこそ、この三冊が描けたのだと思う。
彼の心の強弱の振れは、大家さんの心の振れにとても良く似ている。

流される日常の中で、しっかりとした物語があったことに、元気づけられた本だった。



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大山淳子「あずかりやさん」&桐島くんの青春 待つエネルギーの愛、、

2019-06-14 10:18:04 | 

◇大山淳子「あずかりやさん」◇

読み始めると、なんとも気持ちのいい静寂が心を潤していた。
それは、
著者/大山淳子さんの名前も知らず、
友人の
「是非!!読んでみて 
なぜか 心が澄んでくるから~」という言葉に導かれた本。

小説なのに、
一つ一つのエピソードが、ピリピリと沁みる不思議な感覚があった。。

エピソードの語り部は、人ではなく、
あずかりやさんの店主桐島君のお店にかかる暖簾や、
店内にあるガラスのショーケース、古いオルゴールや猫の視点で語られている。

ひょんなことから、
盲目の17歳の青年が生まれ育った実家に戻り、一人で暮らしを始める。
偶然、
青年の家に逃げ込んだ一人の男が持ち込んだ<物騒なモノ>が、
「あずかりやさん」を始めるキッカケに。
『預かっってくれ!』と言い残し、去って行く。
その男は、
間もなく警察に捕まり、刑に服すことになるが、青年はそんなことは知らない。
この時、青年は
「あずかりやさん」という珍妙な商売を始めようと決める。
預けに来る人、預けたモノを取りに来る人を、ただただ待つ生活が始まった。

訪れた客は一日100円でモノを預けていく。
どんなものでも一日100円。
それが、使い古した鍋釜、時には幼子だったり、死にそうな子猫も。。

店主の青年が目が見えないため、中味を見られる心配もない。
なので、
預けた自分の顔も見られることもないし、詮索されることもない。
人に言えない事情や悩みを抱えた人たちは、
青年が見えないことへの安心感からか、店はそこそこ営んでいけるようになる。

預かり期限きっちりに取りに来る人もいれば、そのまま取りに来ない人もいる。
期限を過ぎたら、店主のモノとなり、処分されても文句は言わないシステム。

だが、
この若い店主には、人並外れた記憶力が備わっていた。
あずかりモノと預けた人の声色、微かな匂い、言葉の抑揚を瞬時に記憶。
だから、人とモノを間違えることがない。
なにより、青年の静謐な佇まいに、預けた人は抱えている想いをポツポツと話すように。
そして
彼らは「あずかりやさん」で、少しづつ心を取り戻し、心の澱がうすまっていく。

訪れた人たちの幾つもの物語が、「あずかりやさん」で語られていく。
そして続編の「あずかりやさん 桐島君の青春」で、

店主は父母が生きているのに、
なぜ、天涯孤独なのか、、

盲学校では頭脳明晰でスポーツも出来、
みんなの期待の星だった桐島君が、東大受験をせずに、
なぜ突然一人で実家に戻ったのか、、

注目の的だった桐島君の青春の初恋は、、


「あずかりやさん」でのいくつもの謎が、徐々に紐解かれていく。

ひとつ またひとつ
物語を読む度に、言葉に出来ない感情に、ちいさく息をのんだ。
「あずかりやさん」に来た人は、
みんなそれぞれの決着をつけ、前に向かって生きていく。

だが、美しく凛としたあずかりやの店主の物語だけは、
家族という、、とても大事な部分がぽっかり抜けていた。。。。


◇待つエネルギーの愛、、◇

「あずかりやさん」の中には、時代の流れにのまれず、
静かなで誠実な時間が流れている。


そこには、
分刻みのスケジュール、
細く弱い人間関係、
猜疑心、
自分の魂をすり減らすこと、の全てがなかった。。

ただ
一人の青年が長い年月を経て中年になっても、
変わらずに持ち続けていたのが<待つエネルギー>だった。

<待つエネルギー>が、何かと云われると、、ワタシは愛だと。
母親なのか、、どうかは分からないが、、
そこには店主の強い信念と深い慈愛を感じざる得なかった。


そして、
孤独は決して無意味ではなく、
孤独を飼いならすことが、生き方を滋味深くするのだと確信する。

素晴らしい二冊の本を書いた大山淳子さんに、心から感謝したい。



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くたばれ鬱病!中島らものバイブル。。

2019-05-14 18:00:18 | 

◇オスの匂いの立ち込める本 「心が雨漏りする日には」◇

夥しい本で敷き詰められた書店の棚。

なぜか一冊のタイトルに、 ふーーと引き寄せられ、何の本かも確かめずにレジへ。

家でじっくり見ると、中島らも氏の本だった。

名前は知ってるが、ずい分前に唐突に死んじゃった人。

初めて手に取った彼の本は、躁鬱病とのデタラメな共生エッセイ。

 

ページをめくり始めると、しまった・・・ トンデモナイ本を買っちまった、、と後悔。

三年前、

母のアルツハイマーと躁鬱が合体、

その特殊な症状に専門医すらお手上げに。

どうしょうもない孤独と焦りが娘のワタシを孤立させた。

だから、 躁鬱には、二度と関わりたくない。。という想いがあった。

だが、 らも氏の筆圧とういうか、潔く晒された壊れっぷりに圧倒された。

躁や鬱は薬で治るとされている。

が、

そうじゃない特殊なケースは、

樹海のように行けども行けども出口が見つからない。

 

らも氏の場合は特殊なケースで、てんこ盛りの矛盾だらけ。

専門医の指導と入院治療する真っ当な見識を持ちながら、

隙あらば、

身体をお酒で満たすことを選ぶ強烈なアルコール依存症。

 

 この二つをミックスすると、 アルコールで丼一杯の薬を流し込む、、という異常が日常になった。

小説やエッセイを書き、

DJやバンド、

そして自分の劇団で興行を打つ。

 

過剰なくらい自分を追い込むことで、

鬱を抑えたと思えば、

ハイテンションの躁に操られ、暴走をし尽くす。

 

普通の人では持ちこたえられない躁鬱の乱気流の中、

過剰摂取の薬と連続飲酒でガンガン仕事をこなしていく。

まるでオスの本能の赴くまま、、という感じ。

だが、らも氏の暴走の行く手には、

躁鬱の大きな洞穴が待っていた・・・

 

◇オスを失う時、、◇

らも氏はワーカホリックになっていた。

お酒をガソリンにして、仕事をする。

しかも眠らない。

でも死なない。

が、 

その代償として、オスを失ってしまう。

失禁、 下痢が止まらず、おむつをして出かけるとか、

男性機能の不能 歩行のふらつき

転倒

意識の混濁

そして

ナルコレプシー

(コントロール不能の突然の強い眠気で昏倒する)

 視力障害で字を書くことも、読むことも出来なくなった。

 

凡人ならココで挫折するが、

コレがダメなら、アレがあったを思いつく。。

らも氏が語り、妻が筆記というスタイルで、次々と本を出した。

52歳の突然の死まで。

 

躁鬱の一切合切をドーーーーンと綴った「心が雨漏りする日には」は、

反響が予想以上に大きかった。

樹海で彷徨う患者の深い孤独感に、響いたというより、

寄り添ったのかもしれない。

 

らも氏は オスとして、

どこまでも無茶なオスであり、スゴク優しい。

小豆相場のようにデンジャラスなのに、

懐に深く沁みる優しさを持つ人だから、

支えられる人たちに恵まれたのだと思えた。

 

そして

無茶苦茶なエッセイの中に散らばる鬱病へのあったかい手は、

こうだった。

 

◇あったかい手 ◇

1 薬は凄い!薬を飲めば、治る。

2 ナニカに依存してもイイじゃないか。。 

3 時間に圧し潰されないこと。

4 結論の先送りをする。

これは、 躁になると自殺する元気が出てくるための防衛策。

「 明日になってから考えよう。。」

 時間の先送りという思考が、抑止力になる。

5 保健所の精神保健相談に行け!

 全ての精神科医がオールマイティではない。

躁鬱のケースによって、得意とする医師を探してもらう。

この本を読み終わって、不思議な安息があった。 内容は乱気流なのに、癒される。 多分、ワタシだけじゃないと思う。
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主婦だってやれる!!「メモの魔力」前田裕二 負の財産と最強のオタク

2019-04-25 18:53:13 | 
最近、ツイッターで
「私も買いました~<メモの魔力> 今日から頑張る!」は、
毎日、幾度となく見かける呟き、、

本を書き、今の時代のニーズを確実に捉えた前田裕二氏は、
メディアへの露出が頻繁になり、猛烈なメモブームを起こしている。


◇大うけの「メモの魔力」◇

彼のメモ作業は、空気を吸う事と同じ感覚。
テレビに映し出されるコメンテーターたちの横で、
絶え間なくメモを取るシルエットが。。
今時メモ?!の珍しさに加えて、
その真摯な佇まいは、確かにグッと惹き込まれるものがある。

風呂と睡眠以外は、
スマホいじりが生活の大部分を占める世代にとって、
新鮮な姿に映ったのかもしれない。

企業を興そうとか、
自分を変貌させ天下を獲る!みたいな感情ではなく、
コレならナントナク出来そう。。という感じ。

大ウケの根っこは、誰でも出来る<メモ>に、
自分を変える可能性がありそう🎵という軽~い思惑がほとんどだと思う。

そんなデジタル世代の死角にいるのが、ハーフアナログ世代のワタシ。

腕時計は秒針付き、公衆電話のダイヤルをジーコジーコと回し、、
いつも手帳を持ち歩いていた。
日常のスケジュールを書き込むだけの手帳から、携帯一つへ移行した世代。

そんなハーフアナログの主婦が、3・11東日本大震災がキッカケでガラリ変わった。


◇主婦だってやれる!!メモの魔力◇

仕事以外で
家のことや、親の介護など目の前にあることに忙殺されるのが、主婦。
忘れてはいけない細々した雑事が、<なりたかった自分>を後回しにする。

ワタシの場合は、
前田氏のようにビジネスに活かすツールではなく、
自分の立ち位置を探すツールがメモだった。

主婦というのは、極めて行動範囲が限られてくる。
しかも、
どんなに踏ん張りを駆使しても、称賛される機会もない。

大海が目の前にあるのに、金魚鉢でひたすら泳ぎ、
海の豊かさや広さを味わえない金魚のよう。
このまま、ある日突然死んじゃったら悲しすぎる。。。。と思った。


始ったのが、メモ。

夫婦の距離、
なりたい自分に近づくため、
<身も心もしなやか>になるため、
後は
どうせ書くなら、
見知らぬ誰かの役に立つものを発信するため、

これを一年毎にゴール決め、ほとんどが不出来にも係わらず、
これらの宿題を粛々と更新していく。
同時にブログで発信するものは、拙く未熟なのに、
書き綴った自分の言葉に驚くことしばし。

何度も言葉を掘り起こしていくうちに、自分の本音を掘り起こしていたからだった。
残念なことに、感情優先の書き方では、全く何も変わらないこと。
 物事を正確に読み取る力不足
と圧倒的にない知識。
ナイナイ尽くしを埋める孤独な作業を始めて、8年。。。。

前田氏の<量が質を生む>言葉に、途轍もないエネルギーを費やした熱量を感じ、
まだまだやるぞ!!と思った。



◇負の財産を侮るなかれ!!!◇

前田氏のバックグラウンドは、兄のみ。
全て自分の決断と知恵で乗り切らなければいけない状況。

あるべきものがない状態は、心に闇を抱える。
格差、理不尽さ、憤り、孤独感、、
絶対他人には言えない言葉や思いは、物凄いエネルギーを生む。
そのエネルギーを生み出したのが、メモ。
ストイックを越えたメモの力は、世の中で光の当たらない人たちへのチャンスを生んだ。

極端に言えば、「メモの魔力」は、負の財産が生み出したもの。
最後の章を読み終えた時、
前田氏は「メモの魔力」を読む見ず知らずの人たちのために、
自分の血肉を分け与えてのだ、、と思った。
ここまで書き切るには、踏ん切りが要る・・・
林修先生の言葉を借りると、
本は著者が命を削って書いたもの。。という言葉が浮かんだ。


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