願榮寺 福峯だより ブログ版

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10月の御文

2013年09月30日 | お寺のこと

  10月の月忌参りの際に拝読させていただく御文は次のとおりです。

 意味をある程度思い浮かべながらお聴きいただくと、趣きもより深く味わえると思います。

 

 10月 拝読  「経釈明文」の御文 (第五帖 第二十一通)

 【原 文】

  当流の安心(あんじん)というは、なにのようもなく、もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)のこころをすてて、わが身はいかなる罪業(ざいごう)ふかくとも、それをば仏(ぶつ)にまかせまいらせて、ただ一心に、阿弥陀如来を一念にふかくたのみまいらせて、御(おん)たすけそうらえともうさん衆生をば、十人は十人、百人は百人ながら、ことごとくたすけたもうべし。これさらにうたがうこころつゆほどもあるべからず。かように信ずる機を、安心をよく決定(けつじょう)せしめたる人とはいうなり。このこころをこそ、経尺(きょうしゃく)の明文(めいもん)には、「一念発起(いちねんほっき) 住正定聚(じゅしょうじょうじゅ)」とも、「平生業成(へいぜいごうじょう)の行人(ぎょうにん)」ともいうなり。さればただ弥陀仏を一念にふかくたのみたてまつること肝要(かんよう)なりとこころうべし。このほかには、弥陀如来のわれらをやすくたすけまします御恩のふかきことをおもいて、行住座臥(ぎょうじゅざが)につねに念仏をもうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

 

 【現代語訳】

  当流の安心(あんじん)というのは、何のはからいもなく、さまざまな雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)をたのみとするこころを捨て、我が身はどれほど罪業の深い身であっても、それをすべて仏におまかせし、ただ一心に阿弥陀如来を一念に深くおたのみ申し上げて、おたすけくださいとおたのみするならば、そのような衆生を十人は十人ながら、百人は百人ながら、ことごとくおたすけくださるというものです。このことをほんの少しでも疑ってはなりません。このように信じる衆生を、安心をよく決定(けつじょう)した人というのです。このこころを経釈(きょうしゃく)の文(もん)には、はっきりと「一念発起(いちねんほっき) 住正定聚(じゅしょうじょうじゅ)」 (『浄土論註』意) とも、「平生業成(へいぜいごうじょう)の行人」とも言っております。それゆえ、ただ弥陀仏を一念に深くおたのみ申し上げることこそが肝要なのだと心得てください。このほかには、弥陀如来がわたくしたちをたやすくおたすけくださるその御恩の深いことを思って、日常いかなるときであれ常に念仏申すべきであります。なかしこ、あなかしこ(= 敬って申し上げます)。


推進員の集い

2013年09月21日 | お寺のこと

「彼岸寄席」に引き続き、当寺の教化事業の推進にご協力くださっている同朋の会推進員の方々が集まり、「推進員の集い(推進員会議・研修会)」を開催しました。
現状の活動の見直しや、今後の方向性について協議するとともに、資質向上のための研修を行いました。


彼岸寄席

2013年09月21日 | お寺のこと

毎年恒例になりました「彼岸寄席(落語会)」を開催しました。
寺院は聞法の道場であると同時に、古くから地域の人々が集い、語り合う場として親しまれてきました。地域の核家族化や、意識の多様化などによって、お寺離れが進行しています。私たちを取りまく環境が益々複雑かつ空虚さを増し、人同士の関係性が希薄になる中、今、とにかく人々がひとつに集うことが、今の社会には大切なことであり、そして、そのことをとおして、笑いの中から他者や仏法と出遇っていくご縁になれば…と、この落語会を開いています。
今年も桂米朝一門の噺家さんをお招きし、本堂に皆さんの笑いの花がたくさん咲きました。
また、東日本大震災の被災地に送る救援金のご支援ありがとうございました。

 


ホームカバーの会

2013年09月12日 | お寺のこと

恒例の「ホームカバーの会」を当寺本堂にて開きました。

近隣地区の女性同朋会会員さん方が集まって、東日本大震災で被災された方々に贈るホームカバー(防寒用部屋履き)を編んでくださいます。

本堂に少しばかり涼しくなった風が吹き抜け、編み手の皆さんのおしゃべりにも花が咲きます。

今月被災地へホームカバーを届けていただきましたが、その時のお話も世話人の赤穂市・専光寺の藤木さんからお聞きすることができ、充実したひと時でした。

毛糸等をご提供くださった皆様、どうもありがとうございます。今後とも不要になった毛糸、セーター等を頂戴できれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。