
・娘に盛大な結婚式を挙げてやるより、
一人でやっていける気力を、
叩きこんでやるべきである
つまり、神さんの投げられる当番札が、
首へポン!とかかっても、
平気でニッコリ笑って、
当番が果たせるようにしてやるのが、
親の慈悲である
それにも気づかず、
つい目先の結婚式だけ、
盛大に挙げたいというのだから、
こっちはそれに張り合って、
喜寿パーティ、当番済ましパーティを、
やるのも刺激になってよいかもしれぬ
次の日からまたもや、
息子やその嫁どもの電話で、
ゆっくりできない
「パーティやりまんねんて?
いったいおばあちゃんがパーティやって、
何しまんねん」
とありったけの不満そうな声は長男
おや、婆がパーティやったらいかん、
いうのか
「ほんならオジンを見てみなさい
子供のおもちゃみたいな勲章もろた、
いうてはパーティし、
表彰された、
いうてはパーティしてるやないか、
なんでオバンが七十七まで生きたパーティ、
したらいかんのや?」
「しかし、
男は公的な立場やよって・・・」
「おや、
おかしなことをいうねえ
婆やいうても私はもと専務、
女実業家のはしくれ、
今でもお習字教室持ってます
女一人で自立してるんやから、
公的立場にちがいあれへんやろ」
「そないいうても、
いったいどないなパーティに、
なりまんねん」
長男は理解に苦しむようであった
「何やったら、
ウチの会社、戦後三十周年に、
なりますよってそれと一緒に、
お得意先呼んで感謝パーティ、
いうのんしたら、
古いもんも来てくれるし、
経費で落とせまんがな・・・」
「うわ、やめてやめて、
わたしゃ禿げちゃびんや白髪あたま、
むさいオジンらが義理で来るようなん、
いやや
それはあんたが会社のお人らと、
勝手にやりなはれ
こっちは私の好きな人、
喜んで来てくれるような人ばっかりを、
呼んでやりますのや」
「そやから料理屋で・・・」
「百人や百五十人の人間、
高級料亭へ呼んでられますかいな」
「百人も来まんのか、
誰らが来まんねん」
「わたしの友達やがな」
「おばあちゃんに、
そないにようけ(沢山)、
おりまんのか、友達が」
「世間のせまいあんたらとは違う」
ことごとく話がくいちがってしまう
次男の電話は夜かかってきた
「大体やな、
オバンいうもんは、
子や孫の後ろにかくれているもんじゃ」
ガミガミ言いの次男は、
私が電話に出るなり、
あたまからカマすのである
なんやて
女親や思ってバカにするのか
なんで男というもの、
会社でちょっと地位が上がると、
私生活でも同じようにいばるのであろう
一流や大会社やといばってみても、
広い世間、長い人生からみたら、
ほんの小さな水たまり、
そんな中でいばったって、
私から見れば、
水たまりを偉そうにスイスイゆく、
アメンボみたいなものである
この子も四十八、九、
五十に手がとどこうというのに、
そのくらいの省察もできないようでは、
嘆かわしい
尤もこの次男のガミガミ言いは、
私に対する甘えと依存心の、
裏返しかもしれない
「何でも子供に寄りすがって、
子供が喜寿のお祝いしようか、
いうたら、
そんな晴れがましいことはやめて・・・
と切なそうにするのが、
トシヨリというもの、
それでこそ奥ゆかしい日本の母、
いうもんじゃ
それをおばあちゃん、
なんやて?
ホテルでパーティやって、
楽隊よんでブカブカドンドンやるんやて?
なんでそう、
おばあちゃんは目立ちたがりやねん」
まるで私が露出狂のようなことをいうから、
私もカッとする
「何が日本の母や、
七十過ぎたら母親当番の札も、
首からはずれてますわいな
あんたも充分モトとったやろ?」
「当番がどないした、て?」
「何でもない、
とにかくわたしゃ、
このトシになったら、
やりたいようにやるのや、
人に寄りすがるなんてまっぴらや・・・
『とまり木』いう歌かて、
けしからん、
思てるのや
♪すがってゆきたい
あなたのあとを・・・♪
なんてあきまへんで
♪けとばしたい
あんたなんかは・・・♪
いうたらよろしねん」
「何やそれは
何のこっちゃねん」
次男はあっけにとられるが、
これは私が電話をかけながら、
横目で見ると、
テレビで小林幸子が歌っていたのである
三男はいつものことで電話なし
理屈いいの三男の嫁が電話してきて、
「お姑さん、
キンジュのお祝いなさるんですって?
キンジュって七十でしたかしら、
八十でしたかしら?」
大学出を鼻にかけてるわりに、
どこかひょっくり抜けていて、
学問がある人間というのは往々、
教養が偏波であることが多い
「七十七ですよ、
だから喜寿っていうんですよ、
キンジュじゃない、
キジュですよ」
「あら、私、
おめでたいことだから、
欣寿か金寿と思っていましたわ、
なんで喜ぶという字が、
七十七なんでしょう・・・」
大学で何を習うてるのや、
こういうのは「教養偏波の当番札」
をかけられているのであろう
しかしこういう当番は、
ヨソヘ廻ることがない、
いつまでも首へかけていなくては、
ならない
してみると、
どの人間もいつまでも、
ヨソへ廻せない当番札を、
一、二枚、首へかけられている
私もまたそうかもしれない
すっかり当番を済まして、
いまは首が軽いと思ってるけれど、
・・・と考えて、
ハタと思い当たった
私は恋をしたことがない



(次回へ)