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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

11,姥見合 ①

2025年03月24日 08時21分37秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・もとはといえば、
息子らとのケンカ

あれがなければ、
あんな会へ入るはずはなかった

いや、息子らとのケンカというより、
正直にいえば、
私のモウロクのせいかしら?

約束の日を取り違えてしまったことで、
へんなところへ紛れこんだのだから

モウロクとは思いたくないが、
しかしこの頃、なぜだか、
確かにバッグに入れたと思う書類が、
入っていなかったり、
重要なものを屑籠に抛りこんだりする

この前、
電話で次男としゃべっているとき、

「ようモノを忘れるようになってなあ
年のせいとは思いとうないけど、
おかげでこの頃は、
屑籠に抛る前に、
よく確かめるクセがついて」

といったら、

「危ないやないか!」

四十九の次男は怒鳴るのである

この子はガミガミ言いであるが、
それは私に対する甘え、
母離れのできていない証拠であろう、
と私は思っている

「そやさかい、
一人で住んだら危ない、
いうてるねん!
もしものことがあったら、
どないするつもりやねん!」

かみつくように言われるのは、
腹立つが気持ちは嬉しくなくもない

「大丈夫やで、
これでも体はどっこも、
悪いところはないのやし」

「体のことなんかいうてへん、
モウロクして一人で居ったら、
銀行の通帳や定期の証書、株券、
そんなんちゃんとなっとんのか、
いうてんねん
ゴミと間違うて屑籠へほかしたらあかんで
宝石なんかみな、
銀行の貸金庫に入れてまえ
何やったら金庫の鍵、
あずかったるわ」

何のこっちゃ

もしものこと、というから、
私は体のことを心配してくれてる、
と思ったら財産管理のほうを、
心配しているのだ

このドけち

「そこまでモウロクしてませんよ
ま、仮にそうなってもええやないか、
一人で暮らして一人で使いきってしまう、
それかてどこからも、
文句いわれる筋合いはないのや
貸金庫にも入るべきもんは入ってる
要らん心配しなはんな」

モノをいえばケンカになってしまう

これが娘なら、
やさしくいってくれるであろうか

いやいや
泣き言、愚痴、涙・涙とこられちゃ、
たまらない

まだしも、
息子らと怒鳴り合っているほうが、
ファイトをかきたてられてよろしかろう

阪神間の小さい町の市民文化講座で、
私はこんどあらたに、
書道教室をひらくことになり、
会場を見がてら打ち合わせのために、
私は出かけた

梅雨の晴れ間のさわやかな日曜日

私は紺のシフォンジョーゼットのドレス、
黒エナメルのハイヒールをはいて、
手には黒レースの手袋、
白い日傘といういでたち

英会話教室の友人の、
エバこと魚谷夫人は、
歩くのに便利というので、
神戸の中国雑貨店で、
ぺたんこの靴を買って、
喜んではいているが、
あれは若い人のもの

木綿のだぶだぶパンツも、
老婦人が身につけると、
まるで昔の苦力(クーリー)という、
いでたちになってしまう

おや苦力だなんて・・・

その昔のはやり言葉が、
つい出てくる

中国大陸の労働者のことを、
昔、戦争中、そういった

日中戦争からほぼ半世紀、
たとうとしているのに、
言葉というものは面白いもの、
ひょいと思わぬときに出てくるらしい

ともかく、
「清く正しく美しく」の私としては、
苦力みたいなモンペ式パンツや、
ぺたんこ靴を身につけるわけにはいかぬ、
優雅に装う必要があるのだ

紺のシフォンジョーゼットは、
ひらひらと透けて、
肌がよけい白く見えるのである

アンダードレスは濃紺だが、
こまかな白い水玉があるので、
それが透けてよけい涼しくみえる、
私のお気に入りのもの

私は水晶のネックレスを持っているが、
それはちょっと流行おくれ気味に、
感じられだしたので、
ごく軽いプラスチックの、
トルコブルーのにする

首筋の衰えを隠すため、
スカーフやアクセサリをあしらうのを、
忘れてはいけないが、
これもほどほどに流行を、
取り入れることが大切である

そんな身なりで私は、
心地よく出かけた

健康は申し分なし、
食欲もちゃんとあるし、
何たってこの月やくあがり、
更年期障害も済ませた、
なんていちばん幸福、
いまがゴールデンエージである

何しろ、
タンポンもナプキンも、
不要の身になってよかったよかった、
若い女の子らはああいうものを使いつつ、
青春を謳歌しているのであろうけど、
ほんまいうたら、
ええのはそれより五十年後、
みんなアガッたその後や

市民会館は立派な建物であった

この町は高級住宅地として成長したので、
市もお金持ちなのかもしれない

正面の大きいガラスのドアを開けると、
まるで劇場のロビーのように、
多くの人が群れていた

明るいクリーム色の壁には、
市の文化祭で入賞した、
市民の作品である油絵がかかっている

正面に大階段、
二階にも小部屋やホールがあるらしい

玄関でお出迎えします、
とのことであったから、
私はちょっとたたずんで、
目でさがした

世話人は私の弟子の一人だから、
紛れるはずはないのだが、
ロビーに人は多すぎるのだ

私がキョロキョロしているように、
見えたのであろうか、
体格のがっしりした半白髪の老紳士が、

「あ、こっちです、
こっちです、どうぞ」

と私を呼んだ

「初めてですな」

とその老紳士は私を、
大階段横へ連れていった

そこには細い机が置かれてあり、
五、六人の中年老年男女が、
書類を重ねたり、
書き込んだりしている

おや?
もう今日からお稽古だったのかしら、
と私は思い、

「はあ、初めてですけど」

というと、

「ではこのカードに書き込んでください
それから番号札を胸につけて頂きます」

どうも書道教室の申し込みにしては、
おかしい・・・






          


(次回へ)

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